<?xml version='1.0' encoding='UTF-8'?><?xml-stylesheet href="http://www.blogger.com/styles/atom.css" type="text/css"?><feed xmlns='http://www.w3.org/2005/Atom' xmlns:openSearch='http://a9.com/-/spec/opensearchrss/1.0/' xmlns:georss='http://www.georss.org/georss' xmlns:gd='http://schemas.google.com/g/2005' xmlns:thr='http://purl.org/syndication/thread/1.0'><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989</id><updated>2012-02-06T00:44:27.956+09:00</updated><category term='否定'/><category term='フッサール'/><category term='薔薇'/><category term='覚書'/><category term='訓練計画'/><category term='犬の本'/><category term='記録方法'/><category term='空しさ'/><category term='形どり'/><category term='稟性評価'/><category term='訓練記録の書き方'/><category term='GoodとNo'/><category term='記憶'/><category term='認識論'/><category term='ベイトソン'/><category term='「無いもの」'/><category term='再ＴＰ１'/><category term='a'/><category term='茶門'/><category term='終わらないアトリエ'/><category term='哲学'/><category term='説明'/><category term='日記'/><category 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type='html'>キミとはなれることがこんなに早くに来るなんて。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕も想像できなかったんだ。&lt;br/&gt;もう少しキミとはいたかったよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;二ヶ月先のことを考えながら送っていた日々が今日で終わった。&lt;br/&gt;キミとのお別れのときを考えながら残りを過ごそうと思うんだけど、&lt;br/&gt;そのことを僕は伝えることさえできないのだからね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;たしかにキミは僕を好きになってくれたよ。&lt;br/&gt;それは僕が求めていたことでもある。&lt;br/&gt;それだけは僕が求めてはいけなかったことでもある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕がキミに執着をはじめてから何日がたったろうか？&lt;br/&gt;僕はキミへの執着を冷静に受け止めて反省する。&lt;br/&gt;それをできなければならない立場に僕はいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミにはそんな反省も立場もありはしないのに、&lt;br/&gt;僕はそんなことをキミに求めてしまっていたのかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あるときからキミは僕からはなれたことに気づくのだろう。&lt;br/&gt;ただただ「あいつがいない」ってことだけを思い知らされる日々が何日か続くだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もうサヨナラが近いのに、今はじめてキミの未来を気遣ってなかったことに僕は気づいたんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミが近寄って尻尾を降り始めた頃に戻り、もういちどキミとの距離をはかって過ごしたい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、わかってるんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;距離は測ったところで、縮まりも伸びもしないってこと。&lt;br/&gt;本当は一点の集まりにすぎなくて、その一つ一つに近さも遠さもないってこと。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;だから僕は間違いを犯してしまうんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミへの執着は地続きの幻想だ。&lt;br/&gt;点と点との間に引いた線の跡に惑わされ、いつしかキミという刺激が執着に変わった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まるで一本の長い線が初めから続いていて、どこまでも続いているように思えてしまうとき、僕らは瞬間と瞬間の間を心で満たそうとする。&lt;br/&gt;心は刺激と刺激を結ぶ一つの幻想だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;満たされた心に覆われていた点の一つ一つが「ふっ」と現れるのは、そう、今日のこんなサヨナラのときだと決まっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今なら僕はキミのことを素直に理解できるような気がするよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そこに見えるキミの顔は、故人の断片的な面影とどこか似ている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img aligncenter" src="http://lh5.ggpht.com/-1Eni7memx7U/TpRDBCUYzuI/AAAAAAAABXM/fCTLP5nFrJk/20111012_---%252520%2525281%252529.jpg?imgmax=400" alt="20111012_--- (1).jpg" width="400" height="300" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2693599853685297574?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2693599853685297574/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/10/20111011.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2693599853685297574'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2693599853685297574'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/10/20111011.html' title='20111011_ハナコ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh5.ggpht.com/-1Eni7memx7U/TpRDBCUYzuI/AAAAAAAABXM/fCTLP5nFrJk/s72-c/20111012_---%252520%2525281%252529.jpg?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2223240189073533468</id><published>2011-10-03T02:56:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.610+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='b'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='フッサール'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='哲学'/><title type='text'>b 『デカルト的省察』 フッサール 1950 岩波文庫</title><content type='html'>【20111002-あゆみブックスにて「第二省察」まで】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;判断する/判断/明証&lt;br/&gt;ｐ31&lt;br/&gt;判断することは思念することであり、一般的に言えば、かくかくしかじかとただ思うことである。それに対し、判断（判断されたこと）は、ただ思われた判断や思われた事態、あるいは、思念された事実や思念された事態である。場合によってこれに対立するのが、卓越した仕方で判断しながら思念すること（判断しながらかくかくしかじかと意識していること）であり、これが明証と呼ばれる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1 ある判断という事態を3つに分ける必要性があるのだろう。ノエマ‐ノエシスに分けるところに繋がっている。現象学における明証の重要性があるはずだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;判断停止&lt;br/&gt;ｐ48&lt;br/&gt;判断停止（エポケー）とは、言わば根本的で普遍的な方法であり、これによって私は自分を自我として、しかも、自分の純粋な意識の生をもった自我として純粋に捉えることになる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 判断停止することが可能かどうかが私には非常に気になるところだ。それを基板として現象学が成立っているのであれば、それが可能であることを明証しなければならない。推測に過ぎないが、そのことをフッサールが何ども考えたのかもしれない。禅の世界と通じるところがある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;独我論という批判&lt;br/&gt;ｐ65&lt;br/&gt;おそらく、超越論的な我への還元は、一見すると独我論的にとどまる学問という印象を伴っているかも知れないが、それがその固有の意味にしたがって一貫して遂行されると、それは超越論的な間主観性の現象学へと導かれ、これを介してさらに、超越論哲学一般へと展開されることになろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3  この間主観性というものも新しい言葉だ。客観性とどのように異なるのかがはっきりしない限り、私はこれをどのように考えて良いのかわからない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;反省&lt;br/&gt;ｐ69&lt;br/&gt;把捉しながら知覚すること、想起すること、述語づけること、目的を立てること等々、これらを反省から区別する必要がある、ということが付け加えられねばならない。新しい段階の把捉する作用であるこの反省によって、まさにその直進的な作用が初めて開示される。直進的に知覚している時、私たちはたとえば家を把捉しているが、知覚することそのものを把捉してはいない。反省において初めて、知覚することそのものへ、そして、その家に知覚において向かっているというそのことへと「向かう」ことになる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;4  反省は他のものと区別されなければならない。このことは非常に重要な点であるように思う。反省が行なえることが、人間の思考の本質にあるように思われる。しかし、反省だけを取り出すことは可能であるのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;志向性&lt;br/&gt;ｐ71&lt;br/&gt;反省の課題は、もとの体験を反復することではなく、それを観察し、そのうちに見出されるものを解明することにある。もちろん、この観察への移行は、新しい志向的な特性において、ほかでもないまさにこの以前の体験が意識され、場合によっては、明証的に意識される。志向的な生についての、あらゆる考えられる知識や認識を、私たちはある経験の知に負っているのであるが、まさに上述の反省によって、このような経験の知、さしあたりは、記述的な経験の知も可能になるのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;5 反省が志向性の記述を可能にするというわけなのだろうか？そして、その記述のあり方はふたつある。ノエシスとノエマだ。私にとって、日常の出来事をノエシスとノエマに分けて描く有効性を知りたいという欲求が、現象学を知る目的としてある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ノエシス‐ノエマ&lt;br/&gt;ｐ74&lt;br/&gt;思うこと（コギト）と思われたもの（コギタートウム）という2つの方向をもった方法的原理に従っていくとき、個々のそのような思うことについて相関的な方向において行なわれる普遍的な記述がまず開かれてくる。それゆえ、一方では、志向的な対象それ自身について、しかも、それぞれの意識され方において、その対象に属すると思われる諸規定について、また、それらへ眼差しを向けることにおいて現れてくる、それらに属する諸様態（それゆえ、確実に存在する、可能的ないし推測的に存在する、等々の存在の様態、あるいは現在に過去に未来に存在するといった主観的な時間の様態）について、記述することである。こうした記述の方向は、「ノエマ的」と呼ばれる。これに対立するのは、「ノエシス的」な記述の方向で、それは、知覚、想起、過去把持のような、思うことそのもののあり方、意識のあり方、しかも、明晰性や判明性のように、それらに内在する様相的区別をともなった仕方に関わる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ286&lt;br/&gt;「ノエマ」という語は、ギリシア語「ノエイン」という動詞の過去分詞形で、同じ動詞の名詞化である「ノエシス」と対概念をなす。「ノエイン」は、ラテン語の「コギト（原形はコギターレ）」に対応する語で、「コギト」と同様に「思う、思惟する」と訳すことができる。それゆえ、「ノエシス」を「思うこと、思惟すること」とし、「ノエマ」を「思われたこと、思惟されたこと」とすることもできる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2223240189073533468?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2223240189073533468/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/10/b-1950.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2223240189073533468'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2223240189073533468'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/10/b-1950.html' title='b 『デカルト的省察』 フッサール 1950 岩波文庫'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-815087014318251448</id><published>2011-09-29T05:17:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.754+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ハナコ'/><title type='text'>20110928_ハナコ</title><content type='html'>キミのこと僕は好きだよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、キミと僕はいつかはなれる。&lt;br/&gt;それはもう決まっていることだから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ただ、キミはそのことを最後まで知らない。&lt;br/&gt;それが唯一の救いなのかもしれないね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕はキミをこのままにしておく。&lt;br/&gt;それが僕にできる唯一の優しさだから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;さびしいよ。&lt;br/&gt;だってキミと僕は繋がってしまったから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その繋がりを僕らは縁と言うんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミと僕の縁は何処から来たのか？&lt;br/&gt;そして、何処へ向かおうとしているのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;巡りあわせたその時からその問いが始まる。&lt;br/&gt;切れ目の無い縁の広がりに僕らはたたずむばかり。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕を見上げているキミの瞳を見ている。&lt;br/&gt;スッと吸い込まれるように僕はキミになるときがある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;瞳の　奥の　キミの姿を　いつからか　思い出す　日々が来るだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img aligncenter" src="http://lh4.ggpht.com/-FtG7v7F2QGk/ToL8gol3unI/AAAAAAAABTg/GizEdV0jQ7Q/20110928_---.jpg?imgmax=400" alt="20110928_---.jpg" width="400" height="300" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-815087014318251448?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/815087014318251448/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110928.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/815087014318251448'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/815087014318251448'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110928.html' title='20110928_ハナコ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh4.ggpht.com/-FtG7v7F2QGk/ToL8gol3unI/AAAAAAAABTg/GizEdV0jQ7Q/s72-c/20110928_---.jpg?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5134185036304542374</id><published>2011-09-27T09:16:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.681+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='サン=テグジュペリ'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 『夜間飛行』 サン=テグジュペリ 新潮文庫 1931</title><content type='html'>【20110926 夜、綱島サンマルクカフェにて】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ20&lt;br/&gt;さて今、こうして夜警のように、夜の真っ只中にいて、彼は、夜がみせている、あの呼びかけ、あの灯り、あの不安、あれが人間の生活だと知るのだった。影の中の一つの星、あれは離れ家だ。星の一つが消えた。あれは愛の上に閉ざされる一軒の家だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ26&lt;br/&gt;「その点、まるで革命のようなものだ。ものの外面がちょっと変わるだけで、ひどくその実質も変わってしまうのだ！」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ33&lt;br/&gt;「あいつは何も考えない人間だが、それだけにかえってまちがった考えを持つ心配のない男だ」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ45&lt;br/&gt;「部下の者を愛したまえ。ただそれと彼らに知らされずに愛したまえ」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ55&lt;br/&gt;「僕は、自分が公平だが、不公平だかは知らない。ただ、僕が、罰しさえすれば事故は減少する。責任の所在は、人間ではないのだ、それは全員を処罰しなければ罰し得ない闇の力のごときものだ。もし僕が公平だったりしたら、夜間飛行は、一度一度が、致命的な危険を伴うものになるはずだ」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ60&lt;br/&gt;「物事の力というものは不思議なものだ、処女林を育て上げるあれと似た隠れた大きな力があって、大事業の周囲には必ず現われ、無理にもこれを助成する」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ62&lt;br/&gt;いわば、彼女がこれまで彼を、いたわり、みとり、愛撫してきたもの、彼女自身のためではなくて、実は彼を奪おうとしている「夜」のためだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ68&lt;br/&gt;「愛されようとするには、同情さえしたらいいのだ。ところが僕は決して同情はしない。いや、しないわけではないが、外面に現さない」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ69&lt;br/&gt;「もっともこれは当然なことかもしれない。芝生の世話をする園丁の努力も、まさにこれと同じわけだ。彼の掌の重み一つで、地が絶えず茂らせようと用意している大処女林を、地下に押戻しているわけだから」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ71&lt;br/&gt;「僕の条理は、自分ながら重いほどの力強さを持っている。僕は必ず打勝つに相違ない。これが物事の順序だ。」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ76&lt;br/&gt;彼にとっては、この闇は、岸べのない夜であった、なぜかというに、彼はいま、港へむかって進んでいるのでもなければ（どの港へも手がとどきかねるように思われた）といって、夜明けに向かって進んでいるのでもなかったから。燃料はあと一時間四十分で尽きるはずだ。おそかれ早かれ、この深い闇の中に盲人のように沈み行くべき運命だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ77&lt;br/&gt;いずれも「快晴、満月、無風」を告げて、欧州便のために、月夜の空路を開いていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ81&lt;br/&gt;―君は信じたりする必要は無い、やりさえすればよいのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ88&lt;br/&gt;「何者の名において、僕は彼らをそこから引き出してきたのか？」自分は何者の名において、彼らをその個人的な幸福から奪い取ってきたのか？根本の法則は、まさにその種の幸福を保護すべきではないのか？それなのに、自分はそれを破壊しているのだ。ところで、ひるがえって思うに、それらの幸福の聖殿は、蜃気楼のように、必ず消えてしまうものなのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ89&lt;br/&gt;「愛する、ただひたすら愛するということは、なんという行き詰まりだろう！」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5134185036304542374?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5134185036304542374/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/1931.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5134185036304542374'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5134185036304542374'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/1931.html' title='a 『夜間飛行』 サン=テグジュペリ 新潮文庫 1931'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-296150795637735548</id><published>2011-09-21T08:35:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.649+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ハナコ'/><title type='text'>20110920_ハナコ</title><content type='html'>キミと僕の何億年も前の祖先は同じだ。&lt;br/&gt;だから僕とキミは何処かしら似ているところがある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミらしい体やキミらしい内臓も、やっぱり僕らしいそれらとどこかで繋がっている。&lt;br/&gt;だから、キミらしさを理解するために、僕は僕の僕らしさを利用するんだ。&lt;br/&gt;キミらしさに僕らしさを投影することではじめて、僕はキミの内面を判断できる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;本当のキミらしさなんて、僕がキミで無い限りわかりっこない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミの内面は、僕らしさを基準に推測されているのだから、本当のキミらしさではないという訳だけれど、でも、だからと言って、それが僕の内面であるとも思えない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕が僕にどことなく似ている様々なキミの器官を観察しながら、キミの内側に思いを馳せるとき、そこにあるのは、僕でもキミでもない、言葉にも、形にもならない、たぶん、僕らが良く便宜的に使っている心というやつが現れてくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;心は決して孤独には現れないんだ。&lt;br/&gt;僕を捉えるもう一人の僕か、キミのような他者が必ず心には必要になってくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;果たして、キミも心を感じてるだろうか？&lt;br/&gt;鼓動をあげて、ハアハアと息をしながら、尻尾を振るとき、キミは心を感じているのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミが僕を見上げて僕を認識するとき、キミにも心が生まれているのかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミはキミ自身のことを認識できないと人間は言うけれど、どうしてそれがキミでない人間によって証明できるのだろう。&lt;br/&gt;キミが僕と同じように、キミらしさを他者に投影できるのなら、僕とキミが真似っこするのを楽しめるのなら、そのとき心がキミにだけは現れないと言えるだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;グルグルとまわり続けている螺旋のはじまりに思いを馳せると、僕にある全てのものはキミにもあるような気がする。&lt;br/&gt;だって、はじまりはキミでも僕でもない何かだったのだから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img aligncenter" src="http://lh5.ggpht.com/-2UxU10aMkds/TniaRr2uoEI/AAAAAAAABSg/tqYXqvv4jbY/20110920_---%252520%2525283%252529.jpg?imgmax=400" alt="20110920_--- (3).jpg" width="400" height="300" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-296150795637735548?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/296150795637735548/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110920.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/296150795637735548'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/296150795637735548'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110920.html' title='20110920_ハナコ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh5.ggpht.com/-2UxU10aMkds/TniaRr2uoEI/AAAAAAAABSg/tqYXqvv4jbY/s72-c/20110920_---%252520%2525283%252529.jpg?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1635453044087480826</id><published>2011-09-15T07:51:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.573+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ハナコ'/><title type='text'>20110914_ハナコ</title><content type='html'>キミと心が通いだして１週間が過ぎようとしている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;これまでしてきた僕の仕打ちに、キミは答えてくれた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もしかしたら、徐々に僕がキミに答え始める番なのかもしれないね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミが求めていることを、僕は考えはじめているよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それに出来るだけGOODと言えることができることを願っているよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミにはキミのやりたいことがあって、僕には僕のやりたいことがある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミが歩きはじめたころのことを思い出す。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あのときしたキミへの仕打ちは、キミと僕が通るほか無かった道なのか今はすこし考えてしまうよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミは色々なところに行きたがっては僕を引っ張った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;立ち止まって匂い嗅ぎをするたびに僕を困らせた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そんなキミが今はどんどん前を向いて歩いている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その歩きを見るたびに僕は悦に浸っていて良いのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミの歩く世界には数え切れないほどの存在がある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その存在にはそれぞれの形があって、匂いがあるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その存在を十分に知る術を僕はキミに教えなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕が教えたのは、ただただ前を向いて歩くことだけだったから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それで本当に良かったのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;いずれキミとのパートナーになる人は、何のために歩く？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;歩くことが目的ではないし、キミを歩かせることが目的でもない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;広がりのある世界をキミの助けを借りながら、六つの足で確かめながら歩きたいんじゃないのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミと僕のそばを通り過ぎる形や匂い、今から少しずつ感じながら歩いてみようか。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もうすぐコスモスの咲く季節です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img aligncenter" src="http://lh6.ggpht.com/-2T6w7hTRZfs/TnCteQHk9uI/AAAAAAAABQw/LGeNuSdOqIc/20110914_---%252520%2525281%252529.jpg?imgmax=400" alt="20110914_--- (1).jpg" width="400" height="300" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1635453044087480826?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1635453044087480826/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110914.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1635453044087480826'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1635453044087480826'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110914.html' title='20110914_ハナコ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh6.ggpht.com/-2T6w7hTRZfs/TnCteQHk9uI/AAAAAAAABQw/LGeNuSdOqIc/s72-c/20110914_---%252520%2525281%252529.jpg?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-6145186069851710634</id><published>2011-09-13T07:32:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.702+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110912_訓練記録</title><content type='html'>1 きっと&lt;br/&gt;・私には頑固に自分が正しいと思う点がある&lt;br/&gt;・・俯瞰的に捉えると、そのことに拘りもないのに&lt;br/&gt;・・・近視眼的に捉えている間は拘ってしまう&lt;br/&gt;‐このことはきっと犬の訓練にも影響を与えているだろう&lt;br/&gt;●「木を見て森を見ず」という&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 計画性&lt;br/&gt;・計画性がないのも大きく影響している&lt;br/&gt;・・計画を現実にあわせることをしたらいいのか&lt;br/&gt;・・現実を計画にあわせることをしたらいいのか&lt;br/&gt;・・・そんなことに頭を使う前に計画を立てることが先決だ&lt;br/&gt;●出来ない理由を探しているうちはなんにも見つからない&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3 形どりと中身&lt;br/&gt;・形にこだわるな、中身にこだわれ&lt;br/&gt;・・この言葉は間違っている&lt;br/&gt;・一定の形にこだわるな、不定の中身にこだわれ&lt;br/&gt;‐まるで、こだわらないことが拘りですとでも言っているようだ&lt;br/&gt;●言葉に囚われるな&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-6145186069851710634?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/6145186069851710634/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110912.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6145186069851710634'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6145186069851710634'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110912.html' title='20110912_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-6637105469519011996</id><published>2011-09-10T08:51:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.722+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ラポール'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110909_訓練記録</title><content type='html'>僕が子どもを育てるとき、訓練のことを思い出すのだろうな。&lt;br/&gt;人生って変なの。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1 自発性&lt;br/&gt;・犬が覚えた行動を引き出す&lt;br/&gt;・・前かがみ、過度なサポートでそれを邪魔する&lt;br/&gt;・・・犬の評価は常に更新していく&lt;br/&gt;‐「今」やるべきことをやること、犬の変化に人も変化すること&lt;br/&gt;●同じ問題を解き続けると飽きてしまう&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;２ 癖&lt;br/&gt;・GOを教えていた段階の名残&lt;br/&gt;・・前かがみ、リード&lt;br/&gt;-姿勢をまっすぐ、後ろポジションで犬を押すように&lt;br/&gt;‐アイマスクで歩いているとき、自然とそうなっている&lt;br/&gt;●自分ばかりが仕事を抱える上司のような僕&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3 Eの計画&lt;br/&gt;・未来が見えている&lt;br/&gt;・・見えていないのはHEELだけ&lt;br/&gt;・・・今ならEに対する計画を詳細に立てることができる&lt;br/&gt;-計画が自然と見えてくるのはなぜ？&lt;br/&gt;●現在が未来を、過去が現在を、未来は何を見せてくれる？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;4 Jの計画&lt;br/&gt;・媚びない&lt;br/&gt;・レベルを上げていく&lt;br/&gt;・出来ないことをNOで教える&lt;br/&gt;‐来週からどんどん人が主導になっていく&lt;br/&gt;●主客転倒&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;5 ラポール&lt;br/&gt;・http://nlpnavi.com/rapport/&lt;br/&gt;・どうもNLPっていう言葉にぶつかるな、怪しげだけど&lt;br/&gt;・・Eの小刻みな尻尾の振りを確認、確実に前日のグルーミングでラポールが確立しだしている&lt;br/&gt;‐「最近ヤル気でないんですよ」「最近ヤル気でないんですね」、バックトラッキング&lt;br/&gt;‐犬が寝ている、僕も寝よう、ミラーリング&lt;br/&gt;‐犬の歩きにあわせてあげよう、ページング&lt;br/&gt;●ますます怪しいNLP、癒し、じゃなくて、イヤラシさ&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;‐&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-6637105469519011996?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/6637105469519011996/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110909.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6637105469519011996'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6637105469519011996'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110909.html' title='20110909_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-8428331555379599803</id><published>2011-09-09T05:27:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.759+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='忘我'/><title type='text'>20110908_すべてのことが。</title><content type='html'>すべてのことが一つになると僕らは時間を忘れる。&lt;br/&gt;この誰しももつ感覚を僕らは忘我と呼んでいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それが犬にあるというのだろうか？&lt;br/&gt;毎日呼ぶ犬の名前。&lt;br/&gt;そこに、一つの存在を僕らは見ているのだろうか?&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;きっとそうでないだろう。&lt;br/&gt;僕らは彼らが持つ名前で彼らを呼ぶことができない。&lt;br/&gt;名づけたそのときから僕らは犬を人格化してしまう。&lt;br/&gt;犬自身がもつ名は、きっとそれとは大きく異なるはずだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;忘我はかならずしも我を忘れることではない。&lt;br/&gt;確かに、僕は名づけられた「僕」を忘れているかもしれない。&lt;br/&gt;その代わりに、名づけられるのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;忘我は自‐他の転倒現象を味わうことだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬が僕らに名を与えてくれるときがある。&lt;br/&gt;そのときだけだろう、彼ら自身の名を知るのは。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕らが犬によって名づけられている。&lt;br/&gt;すべては名づけに始まり、名づけに終わる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それらをできないのは、犬を対象化できないからこそ、&lt;br/&gt;理論も、説明も。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;-----------------------------------------------------&lt;br/&gt;http://www.janis.or.jp/users/ito-mar/love/ryoukan/world.html&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　空海の言葉に「梵我一如」というのがある。　「梵」とは宇宙的原理、「我」とは人格的原理、その両者が究極的に一致する、それが梵我一如である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　　ひさかたの雪野に立てる白鷺はおのが姿に身をかくしつつ&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;　雪野原（梵）に立っている白鷺（我）は、雪も白鷺も同じ色をしているので見分けがつかなくなってしまう。しかし、白鷺が消滅してしまうわけではない。「一如」とは「一つの如し」、つまり、一つになっているかのようである、という意味で、一致とか一体とはちょっと違うかもしれない。蛇足ではあるが、かえったばかりの鳥のひながうす茶色をしているのは、枯れ草や土と同じ色をして猛禽類から身を守るため、保護色である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;--------------------------------------------------&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ふと、我に返るとき、犬の顔に僕の名前が映し出される。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-8428331555379599803?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/8428331555379599803/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110908.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8428331555379599803'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8428331555379599803'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110908.html' title='20110908_すべてのことが。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-6527909913060868461</id><published>2011-09-04T09:29:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.718+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='茶門'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='メモ'/><title type='text'>20110903_茶門</title><content type='html'>コンサート、風と星とメビウスの輪を聴きながら、色々とやりたいことが繋がった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;茶門の絵本&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ＣＧで茶門の絵&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ＦＬＡＳＨでストーリー&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;高校で茶門を拾ったときから、「今までの記憶&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕が旅したところを茶門が旅する&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最後に茶門は月へ&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;終わると、月が　球体の写真アルバムに変わる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;遠目からは球体に、マウスを近づけると一枚一枚の写真が。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;写真はspurから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;茶門が旅しているときに、旅で取ったフィルムやデジカメの写真も挿入。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;いつまでかかっても良いので作りたいな。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まずは、紙状で作ってからの方がいいかもしれない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-6527909913060868461?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/6527909913060868461/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110903_04.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6527909913060868461'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6527909913060868461'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110903_04.html' title='20110903_茶門'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-8810080990331105908</id><published>2011-09-03T19:46:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.763+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='「無いもの」'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110903_訓練記録</title><content type='html'>20110902-2 犬に無い無いもの&lt;br/&gt;・犬は無いものを探すことができない&lt;br/&gt;・・しかし、有るものすらも探そうとはしない&lt;br/&gt;‐有るものは犬にとって探すものでなく既にあるものだから&lt;br/&gt;‐有るものを探させようとする意識は、どこかで犬を人格化している&lt;br/&gt;●問われることが、答えることだと思うのは間違っている。問われることは、問われないことを無視することに過ぎない&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2-1&lt;br/&gt;読み返しながら、問われないことを無視できない犬について考える。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬は無いものを問うことができない。&lt;br/&gt;問われないことを無視することもできない。&lt;br/&gt;無視は、何が問われていないかを知らなければいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬の無いものは、人間の無いものと同じではない。&lt;br/&gt;しかし、共通点もあるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬も対象認知をすることは可能である。&lt;br/&gt;受容器を通して認知できない対象に対する認知が可能かどうかである。&lt;br/&gt;犬もそれが可能であるかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;けれど、その認知した「無いもの」とは一体何なのだろうか？&lt;br/&gt;おそらく人間の場合は、その「無いもの」とは過去に「有ったもの」だろう。&lt;br/&gt;過去の記憶が、現在の「無いもの」を補完してくれる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬は過去の「有ったもの」と現在の「無いもの」を同じものとして認知する能力をもつのだろうか？&lt;br/&gt;もし、そうした能力を持たないとしたら、犬がその場で認知した「無いもの」とは一体何なのだろう・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;なんだか分からないが、漠然と犬に迫ってくる欠乏感といったものだろうか？&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-8810080990331105908?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/8810080990331105908/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110903.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8810080990331105908'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8810080990331105908'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110903.html' title='20110903_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-7997289242317883990</id><published>2011-09-03T08:21:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.749+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='否定'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110902_訓練記録</title><content type='html'>今日は別段書くこと無いが、それでも記録しておこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1 否定&lt;br/&gt;・あるものがないのはおかしい&lt;br/&gt;・ないものがあるのはもっとおかしい&lt;br/&gt;・ただないものがないのはそもそも問うことすらおかしい&lt;br/&gt;・・こうして対象のない否定は否定ですらなくなる&lt;br/&gt;●にもかかわらず、僕らは否定という概念を単独で成立つものだと考える&lt;br/&gt;●きっと論理学の不思議さはここにある&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;２ 犬に無い無いもの&lt;br/&gt;・犬は無いものを探すことはできない&lt;br/&gt;・・しかし、有るものすらも探そうとはしない&lt;br/&gt;‐有るものは犬にとって探すものでなく既にあるものだから&lt;br/&gt;‐有るものを探させようとする意識は、どこかで犬を人格化している&lt;br/&gt;●問われることが、答えることだと思うのは間違っている。問われることは、問われないことを無視することに過ぎない&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;３ だから&lt;br/&gt;・だからきっとこういうことだ&lt;br/&gt;・・犬に有るものを探させようとすることは、学習にはならない&lt;br/&gt;・・・無いものを探させようとすることは、犬にはできない&lt;br/&gt;‐あ、そうか&lt;br/&gt;‐唯一できるのは、無いものを有ると勘違いさせることだけだ&lt;br/&gt;‐それを学習と言っている！&lt;br/&gt;‐ま、いちおこれを答えにしておこう、しばらく&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;４ 適当に&lt;br/&gt;●適当に思いついたことを書くほど、深いこと言っているようになるので、そのあほらしさに笑える&lt;br/&gt;●文学において、事務的な言葉ほど虐げられているものはない&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-7997289242317883990?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/7997289242317883990/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110902.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7997289242317883990'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7997289242317883990'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110902.html' title='20110902_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5362799323972622904</id><published>2011-09-02T05:13:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.686+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='対立'/><title type='text'>20110901_訓練記録</title><content type='html'>1 E&lt;br/&gt;・引き継いですぐ一気にEの気持ちを削いだ。&lt;br/&gt;・・それと今回のDEの結果は関連している。&lt;br/&gt;・・・しかし、それも一つの訓練技術だろうか？&lt;br/&gt;●洗脳、マインドコントロールという言葉に近い気がする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 C&lt;br/&gt;・対等な関係を築ける犬&lt;br/&gt;・・実直さが伺える犬&lt;br/&gt;・・・EとCを比較すると、必ずしもEの結果が良かったとはいえない。&lt;br/&gt;‐DEにおける学習能力の差は、結局のところその犬が本来的にその行動を容易に取れる習慣を事前にもっているかだ。あるいはパピー時代に育てられているかだ。&lt;br/&gt;‐Ｅは面白いほどおもちゃを追いかける。むしろＣは人を意識する。&lt;br/&gt;●良さというのは、悪さの反対ではない。&lt;br/&gt;●悪さに対するものは良さでないということなら、結局のところ、僕らは論理的に倫理を考えることは不可能だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3 岡潔ってだれだ・・・。&lt;br/&gt;数学一筋だった私は、最初のうちはあえて打ち消してみてから出てくる「ある」をずいぶん論理的にも勉強してみたが、そのうちにむしろ、なんだかありそうな気がするという「ある」のほうが立派だと思えてきた。&lt;br/&gt;　なんだかありそうななどというのははなはだ曖昧であるようだが、この曖昧を“心のあいだ”に入れられるかどうかが肝腎のことだったのである。&lt;br/&gt;http://math.artet.net/?eid=1421635&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5362799323972622904?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5362799323972622904/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110901.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5362799323972622904'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5362799323972622904'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110901.html' title='20110901_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-7293794667380069040</id><published>2011-09-01T07:00:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.745+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='再ＴＰ１'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110831_訓練記録</title><content type='html'>1 再ＴＰ&lt;br/&gt;・再ＴＰ１を行なう。&lt;br/&gt;・ＥとＣの２頭。&lt;br/&gt;・・普段の評価と再ＴＰ１での結果にズレ&lt;br/&gt;・・・作業評価では、ＣよりもＥが良かった（個人感想）。&lt;br/&gt;・・・・管理評価では、ＥよりＣが良かった（他人感想）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2　課題 &lt;br/&gt;・Ｅは、作業よりも意識に難（担当者が安心感を与えられていない）&lt;br/&gt;・Ｃは、学習への意欲（管理の中で教えられることがうまく教えられていない）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3 原因&lt;br/&gt;・Ｅ…コミュニケーションの質の問題&lt;br/&gt;・・担当者へ信頼感をもてない&lt;br/&gt;・Ｃ…教え方の問題&lt;br/&gt;・・丁寧に筋の通った教え方&lt;br/&gt;・・やってあげるのではなく、やろうとする意識を！&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;4 解決策&lt;br/&gt;・Ｅ…GOODをより重視&lt;br/&gt;・・Noは慎重にセッション一度に1回を目安&lt;br/&gt;・Ｃ…NOをより重視（必死に頭を使わせる）&lt;br/&gt;・・NOの後のGOODをさらに重視&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;5 キーワード&lt;br/&gt;・外面よりも内面&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-7293794667380069040?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/7293794667380069040/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110831.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7293794667380069040'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7293794667380069040'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/09/20110831.html' title='20110831_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5967678120945700883</id><published>2011-08-31T08:13:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.698+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ハナコ'/><title type='text'>20110830_訓練記録</title><content type='html'>凝ってつくったＥＸＣＥＬの訓練日誌。&lt;br/&gt;結局使わないという状況。&lt;br/&gt;・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;色々と書き方を考案する中で持続できているのは、ここに思い付きを書くことだけか。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1 否定を教える&lt;br/&gt;・否定を教える&lt;br/&gt;・・と考えながら、行動はどんどんその目的から逸れていることに気づかない&lt;br/&gt;・・・前日書いた警告「中途半端」に否定を教えて犬はさらに混乱をきたす&lt;br/&gt;‐普段の人間関係の対処の仕方がもろに出ている・・・・&lt;br/&gt;●「え？良いの？良くないの？好きなの？嫌いなの？どっちなの？」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 ハナコ&lt;br/&gt;・ハナコの顔が変わった&lt;br/&gt;・・病み上がりだからだろうか？&lt;br/&gt;・・・なんだか人間味を感じる顔&lt;br/&gt;‐そして、僕はハナコの真意を理解できない&lt;br/&gt;●「黙って見てないで、何か言ってくれよ」と言いたい僕&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5967678120945700883?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5967678120945700883/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110830.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5967678120945700883'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5967678120945700883'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110830.html' title='20110830_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2307467608536643692</id><published>2011-08-30T10:34:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.617+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='NO'/><title type='text'>20110829_訓練記録</title><content type='html'>1 DE&lt;br/&gt;・ＤＥは放課後のみ&lt;br/&gt;・・犬とのコミュニケーションに徹する&lt;br/&gt;・・手段もカッコウも選ばない&lt;br/&gt;・・・理想が高すぎる&lt;br/&gt;‐今やれることに徹する&lt;br/&gt;●絶望して自分自身であろうと欲することと、絶望して自分自身であろうと欲しないことは、キルケゴールのなかでは同じことだったのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 ＴＷ&lt;br/&gt;・セッションの終わりを常に意識して&lt;br/&gt;・・帰りがけに自ら帰ろうとする犬の意識&lt;br/&gt;・・・ＮＯを教えるときであると同時に、気持ちよく帰ることを教える&lt;br/&gt;‐どちらにするのが良いか迷うが、どちらも中途半端ではいけない&lt;br/&gt;●一つのことを知るには、それに対立するもののことを知っていなければならない&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2307467608536643692?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2307467608536643692/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110829.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2307467608536643692'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2307467608536643692'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110829.html' title='20110829_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-72081052283866136</id><published>2011-08-29T06:28:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:03.730+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='星野道夫'/><title type='text'>偶然。</title><content type='html'>昨日から延々とこのサイト作りに明け暮れ、夕暮れとなった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ご飯を作る気もない、必ずやるべき自由研究にも手がでない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ひとまず夕飯を食べに、久々に外食をすることにした。&lt;br/&gt;同期と数回いったラーメン屋。&lt;br/&gt;一人食べていると、僕に声を掛ける人がいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;Ｓさんだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;二人でラーメン屋をでて飲もうということになった。&lt;br/&gt;年下であるが、先輩でもある。&lt;br/&gt;お言葉に甘えて奢ってもらうこととなった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;二人で星野道夫の話をした。&lt;br/&gt;彼も星野道夫に影響を受けた一人だという。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼の話に優しさを感じた。&lt;br/&gt;純粋な気持ちで星野道夫を眺めていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕はもうあの頃とは違う。&lt;br/&gt;純粋に好きだった星野道夫の世界をどうしても思い描けなくなった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まったく読めなくなった時期は過ぎた。&lt;br/&gt;しかし、読んだところで僕はもう道夫を理解できなくなっている気がする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼の言いたかったこと、伝えたかったこと、そのまま受け取れないような気がする。&lt;br/&gt;Ｓさんにも、道夫にもなんだか申し訳なくて・・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;なんとなく話が尽きて居酒屋をあとにした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;Ｓさんが僕に聞いた。&lt;br/&gt;「星野道夫の話で一番好きな言葉は？」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;迷わず僕はこの言葉をあげた。&lt;br/&gt;「Life is what happens to you while you are making other plans」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この言葉は、フラフラと一つの道に歩めない情けない僕を良くも悪くも肯定してくれる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;唯一、僕が今でも確実に素直に受け取ろうとするのは、この言葉だけだ。&lt;br/&gt;たとえ、それが道夫の意とした意味とは異なって受け取ることになっていたとしても。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-72081052283866136?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/72081052283866136/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/72081052283866136'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/72081052283866136'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/blog-post.html' title='偶然。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-3347179362687440757</id><published>2011-08-28T06:40:00.001+09:00</published><updated>2012-02-05T22:51:23.403+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='写真・絵'/><title type='text'>Album_spur</title><content type='html'>&lt;embed flashvars="host=picasaweb.google.com&amp;amp;hl=ja&amp;amp;feat=flashalbum&amp;amp;RGB=0x000000&amp;amp;feed=https%3A%2F%2Fpicasaweb.google.com%2Fdata%2Ffeed%2Fapi%2Fuser%2F100955367603756489993%2Falbumid%2F5606288964535587041%3Falt%3Drss%26kind%3Dphoto%26hl%3Dja" height="550" 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type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/albumspur.html' title='Album_spur'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2190854154820240413</id><published>2011-08-22T08:13:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:31.960+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベルクソン'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='哲学'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 『創造的進化』 アンリ・ベルクソン 1907 ちくま学芸文庫</title><content type='html'>【20110819 あゆみブックスにて 3章の気に入った文】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ245&lt;br/&gt;「知性より先に進むと主張されていますが、それは無駄です。そのためには、知性そのものを遣うしかないではありませんか。あなたの意識のなかでははっきり照らされているのは、知性だけです。あなたの思考の内部にいて、そこから出ることはないでしょう。お望みとあれば、知性は進歩可能だとか、知性はより多くの数の事物をより明晰に見ることになるとか、言ってもらってもかまいません。しかし、知性を生み出すなどと言わないでいただきたい。なぜなら、あなたは、ご自分の知性を使って、知性を生み出すことになるからです。」&lt;br/&gt;この反論は自ずと精神に浮かぶものである。とはいえ、そのような理屈を使えば、いかなる新しい習慣も獲得できないことが証明されるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ245&lt;br/&gt;しかし、もし私が怖がらずにただ水の中に飛び込んだら、最初は水と格闘しながらどうにか水の上に浮かんでいられるようになり、少しずつこの新しい環境に適応して、泳ぐことを覚えるだろう。こうして、理論上は、知性以外の仕方で知ろうとすることは或る種の不合理があるのだが、率直に危険を受け入れるなら、おそらく行動は、理屈が自分で結んでおきながら解くことのない結び目を断ち切るだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ246&lt;br/&gt;しかし、われわれの思考は跳躍しなければならない。つまり、自分の環境から抜けださなければならない。理性は、自分の能力について考えても、それらを拡張するに至ることは決してないだろう。とはいってもこの拡張がいったんなされれば、非合理なものには全く見えない。歩く、という主題の変奏曲を何千回演奏したところで、そこから泳ぐための規則を引き出すことはないだろう。水の中に入ってもらいたい。あなたが泳げるようになったとき、泳ぐことのメカニズムが歩くことのメカニズムに結びついていることを理解するだろう。泳ぐことのメカニズムは歩くことのメカニズムを延長したものであるが、 後者があなたを前者に導いてくれることはないだろう。これと同じように、あなたは望むだけ知性に知性のメカニズムについて思弁をめぐらすことはできるが、この方法によって、このメカニズムを乗り越えることは決してないだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ250&lt;br/&gt;哲学の 目的は、観想すること、つまり見ることである。生体に向き合う哲学の態度は科学の態度と同じものではありえないだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ254&lt;br/&gt;科学が生命の深みを進むにつれて、科学が与える知識は象徴的なものになり、行動の偶然性に依存したものとなることが分かるだろう。それゆえ、この新しい領域で、哲学は科学のあとを辿って、科学的真理に、形而上学と呼べるような別の種類の知識を重ね合わせなければならないだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ260&lt;br/&gt;空間の概念が、視覚や触覚によって、経験的にわれわれに与えられると想定しよう（カントはこのことを決して反論しなかった）。それでもこの空間の概念には、精神はみずからの力だけでこの空間の概念について思考をめぐらせ、そこからアプリオリに諸々の形を切り抜き、その形の諸特性を精神が規定するという注目すべき点がある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ 261&lt;br/&gt;われわれが実在「それ自体」 について把握しているのは、それがわれわれの知覚能力の諸形式を横切る際の屈折だけだからだ。われわれが実在そのものについて何か肯定しようとすると、すぐさま、同じように証明可能で、同じようにもっともらしい逆の肯定が現れる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ262&lt;br/&gt;純粋な空間について真であるものを物質に拡張するのをやめれば、アンチノミーはたちまち消えうせる。この思い込みから最後に、認識論にとっては選択肢が三つある、ただしこの三つだけであるとの結論がでてくる。精神が事物に従っているか、事物が精神に従っているか、あるいは、事物と精神の間に神秘的な一致を想定しなければならないか、この三つのうちいずれかなのである。&lt;br/&gt;だが、本当のところは、四つ目の選択肢があるのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ263&lt;br/&gt;彼（カント）は時間を空間と同列に置いて、持続に絶対的な存在を付与しなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ267&lt;br/&gt;さて、それまでは意味の中に埋もれていた音が、私の前に一つずつ、その物質性において現れるためには、私は注意を緩めればよい。つまり、私の中で緊張していたものを弛緩させればよい。このために何かを付け加える必要はない。何かを取り除けばいいのである。私が投げやりになるにつれて、継起する音はますます固体化するだろう。文が語に分解されたのと同じように、語は音節に区切られ、私はこれらの音節を次々と知覚していくだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ 269&lt;br/&gt;明らかに、潜在的な幾何学、われわれの空間の表象に内在する幾何学こそが、知性の大きな原動力であり、知性を前進させるものなのである。知性の本質的な2つの働き、つまり演繹と帰納の能力を考察することで、このことは納得されるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ272&lt;br/&gt;演繹は全能なのだ！つまり、どの相で諸事象を検討しなければならないかを発見するためには、ここでもおそらく観察と経験が必要だろう。しかし、万が一、幸運に恵まれれば、その原理を直ちに見つけることができただろう。そして、その原理を手にするや否や、そこから十分先まで諸々の帰結が引き出され、経験はいつでもそれらを立証するだろう。そこから結論されるのは、演繹とは物質の歩みに合わせられた操作、物質の動的な分節を写し取った操作、つまり、物質の対辺となっている空間と共に暗黙のうちに与えられる操作であるということ以外の何なのだろうか。演繹は、空間の中を、そして空間化された時間の中を動き回る限り、なすがままになるほかない。車輪に棒を差し込んで、それが動き回るのを止めるのは、持続なのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ 274&lt;br/&gt;私は、自分の想像力が今日のコンロを昨日のコンロへ、鍋を鍋へ、水を水へ、流れる持続を流れる持続へ移し変えており、したがって、残りのものも一致しなければならないように見えると漠然と感じているのだが、それは、重ね合わせられる二つの三角形の二辺がすでにぴったり一致しているとき、三番目の辺も一致するのと同じ理由による―。しかし、私の想像力がそのように働くのは、本質的な二つの点に眼をつぶっているからでしかない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ275&lt;br/&gt;われわれが質的差異を、その対辺をなす空間の等質性に溶かし込む範囲に正確に応じて、われわれの帰納は確実であるようにわれわれの眼に映る。その結果、幾何学は、われわれの演繹にとっても帰納にとっても理想的な極限となる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ278&lt;br/&gt;数学的形式を持つ諸法則が、物質に完全に適用可能になることは決してない。このためには、物質は純粋な空間をとらなければならないし、持続から抜け出さねばならないだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ280&lt;br/&gt;物質は常にわれわれの数学的な枠組みのどれかの中に落ちていって、そこに収まるだろう。なぜなら、物質は幾何学という錘りをつけているからだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ281&lt;br/&gt;詩でも散文でもないものを語るとき、彼はそれを考えていると思い込んでいる。けれども、それは擬似表象でしかないだろう。もっと先に進もう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ283&lt;br/&gt;言語の便宜を得て無秩序の観念はこの失望を客観的に存在するものに仕立て上げるだろう。しかし、無秩序の観念は、理論にとっては何の使い道もないだろう。それでもなお、無秩序の観念を哲学に持ち込もうとすると、間違えなくわれわれは無秩序の観念の真の意味を見失うだろう。この観念はある秩序の不在を記していたが、その際、もう一つの秩序（かかずらう必要の無かった秩序）が浮き彫りにされるのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ283&lt;br/&gt;秩序が無秩序に、形式が質料に押し付けられるのかという問題がこうして生じるだろう。このように巧妙に仕立て上げられた無秩序の観念を分析すれば、この観念がいかなるものも表象していないことが分かるだろうし、同時に、この観念をめぐって立てられた諸々の問題も消えてしまうだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ288&lt;br/&gt;同じ種の個体間の類似は、同じ原因の同じ合成によって獲得される、諸々の複雑な結果の間の類似とはまったく違った意味を持つだろうし、まったく違った起源を持つだろう。しかし、どちらの場合にも類似が存在し、ひいては一般化が可能である。われわれの日常生活とは、必然的に同じもの、同じ状況を期待することであり、実践においてわれわれの興味を惹くのは類似と一般化だけであるから、この共通の特徴、われわれの行動にとって本質的なこの特徴によって、二つの秩序が内的に異なったものでありながらも接近することになるのは自然なことであったし、しかも、この全く内的な差異は思弁の興味しか惹かないのだ。そこから、自然の一般的秩序、どこでも同じで生命と物質を一度に上から支配している秩序という観念が生まれる。そこから、不活性な物質の領域における法則の存在と、生命の領域における類の存在とを、同じ語で言い表し、同じ仕方で表象する習慣が生まれた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ289&lt;br/&gt;古代人は、なぜ自然が法則にしたがっているのかとは問わずに、なぜ自然は類に従って秩序づけられているのかと問うた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ294&lt;br/&gt;生命全体が進化、つまり不断の変容であることに疑いの余地はない。しかし生命は、それを一時的に預かる生物を媒介にして初めて進展することができる。生物が作り上げる新しさが増大し、成熟するためには、ほとんど同じような何千何万という生物が、空間と時間中で反復される必要がある。それは、ある本が一度に何千部ずつ、何千回も版を重ねながら、改訂へとむかうようなものである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ294&lt;br/&gt;しかし、これら二つの場合には、次のような差異がある。続けて刷られる版同士は同一で、同じ版で同時に印刷される本同士も同一であるのに対して、空間上の相異なる点、時間上の相異なる瞬間にあって、同じ種の成員同士が完全に類似することはないのだ。遺伝は単に特徴だけを伝達するのではない。遺伝は、これらの特徴を変化させる弾みをも伝達するのであって、この弾みこそ生命性そのものなのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ295&lt;br/&gt;結局のところなぜ諸事物に無秩序ではなく秩序があるのかを知ることである。秩序が存在すること、これは事実である。しかし他方で、秩序より以下のものとわれわれに映る無秩序は、権利上存在しているように思える。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ295&lt;br/&gt;秩序は反対の秩序に対して偶然的であり、また、そのようなものとしてわれわれには現れるのだが、それは詩が散文に対して、散文が詩に対して偶然的であるのと同様である。しかし、散文でない語りはすべて詩であり、必然的に詩として考えられ、詩ではない語りはすべて散文であり、必然的に散文として考えられる。それと同様に、二つの秩序のうちの、一方の秩序でない存在の仕方はすべて他方の秩序であり、必然的にその他方の秩序として考えられる。しかし、われわれは、自分が考えていることを理解せず、感情的な状態のもやを通してしか自分の精神に真に現前している観念に気づかないことがありうる。無秩序の観念を日常生活の中でどのように使っているか考えれば、このことは納得されるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;【つづきは又別の日に記入】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2190854154820240413?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2190854154820240413/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/1907_22.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2190854154820240413'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2190854154820240413'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/1907_22.html' title='a 『創造的進化』 アンリ・ベルクソン 1907 ちくま学芸文庫'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-9098991101240084005</id><published>2011-08-18T09:45:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.101+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='GOOD'/><title type='text'>20110817_訓練記録</title><content type='html'>１　ルールの勝ち負け&lt;br/&gt;・求められる行動に合致するとおもちゃがもらえるというルール&lt;br/&gt;・・このルールのなかで、「おもちゃがもらえる」というのはルールなのだろうか？&lt;br/&gt;・・それとも、「おもちゃがもらえる」というのは評価ではないのだろうか？&lt;br/&gt;・変な話、勝ち負けが存在しなくてもサッカーはできる&lt;br/&gt;・・ルールにのっとってどちらかに点が多く入ったという事実さえあれば良い。勝ち負けはゲームをするための必要な条件ではない&lt;br/&gt;・・・でも、勝ち負け以外のルールが一つでも欠ければ、サッカーはサッカーでなくなる&lt;br/&gt;‐評価を抜きにしてルールを覚えることが人間はできるが、犬はそれができない気がする&lt;br/&gt;●無目的な行動に喜びを見出せる人間は、どっかで頭がおかしくなっている&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 GO&lt;br/&gt;・ルールを提示し続ける&lt;br/&gt;・・提示し続けたルールの最後に評価（勝ち負け）をもってくる&lt;br/&gt;・・・提示している間に評価をもってきても、それは評価ではなくルールになる&lt;br/&gt;‐ルールを教えている最中に「GOOD」と言えば、「GOOD」はルールになる&lt;br/&gt;‐‐「GOOD」がルールになると、いったいゲームが完結したときの評価はなんになる？&lt;br/&gt;●やっぱり、評価はルールではあってはいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3 ？&lt;br/&gt;・おもちゃがルールで、「GOOD」が評価&lt;br/&gt;・・でも、僕がいずれ無くしたいのは「GOOD」ではなくて、おもちゃの方&lt;br/&gt;・・・なら、欠けてはならないルールを無くせば、ルールがルールでなくなるじゃないか&lt;br/&gt;・おもちゃを抜くためには、やっぱり評価として提示しなければいけないのか？&lt;br/&gt;‐こう考えたらいいのかもしれない、おもちゃは終わりを告げる「ホイッスル」&lt;br/&gt;‐ルールが終わり評価が到来したこと告げるルールの一つ&lt;br/&gt;‐ホイッスルは何でも良く、おもちゃでも、「GOOD」でも良い&lt;br/&gt;●ホイッスル自体はルールだけれど、ホイッスルがもたらすものは評価&lt;br/&gt;●まあ、そんなことはどうでもよく、ルールは「GOOD」という言葉で締めれば良いというだけ&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;4 GOOD&lt;br/&gt;・GOODの提示は、かならず自発的な行動に対してに限る。&lt;br/&gt;・・関連付けの最初の段階ではそれは難しく、「やらされた」行動に対する「GOOD」かもしれない&lt;br/&gt;・・・サポートしては「GOOD」といい続ければ、犬は「やらされた」行動を褒められていると覚える&lt;br/&gt;‐少しでも自発的に正しい行動を行なえるようになったことを見逃さず、そこを「GOOD」で褒める&lt;br/&gt;●やらされたことを褒められと、悪知恵の働くようになる&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-9098991101240084005?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/9098991101240084005/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110817.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9098991101240084005'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9098991101240084005'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110817.html' title='20110817_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-8477573286544500649</id><published>2011-08-17T09:40:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.093+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ハナコ'/><title type='text'>20110816_ハナコ</title><content type='html'>今日、ハナコは男に忘れられた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;何時ものように車に乗せられる。&lt;br/&gt;ハナコには当たり前になった日常。&lt;br/&gt;どこへ行こうが、ハナコには男がついている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ハナコを降ろすと、男は体に胴輪をつける。&lt;br/&gt;そして、男はハナコを歩かせる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それが今日は一度も男が彼女を降ろさない。&lt;br/&gt;ハナコは車のケージに入れられたまま。&lt;br/&gt;男の姿をついに見なかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ハナコにとってそれは初めての体験だった。&lt;br/&gt;男以外の人間に連れられ、最後までケージの中にいたハナコ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし、ハナコはまだ人間のする意図が理解できていない。&lt;br/&gt;人間がするすべてのことは彼女にとって同じ一つの出来事だろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;これまでも、これからもハナコにとって全ての出来事は単なる出来事でしかないのだろうか？&lt;br/&gt;同じことが繰り返される中で、あるときからハナコにも意味のある出来事が訪れてくるだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;男はそのことを考えながら、１時間ぶりに出会ったハナコを車から降ろした。&lt;br/&gt;男は満面の笑顔で彼女を迎え入れたが、ハナコの反応は乏しい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そんなとき、痛いほどハナコが違う世界に生きていることを思い知る。&lt;br/&gt;自分を好きではないのかとか、恐がっているのかとかいう感情論に走りすぎてはいけない。&lt;br/&gt;かといって、まだ理解が乏しいし、理解させてあげられないのだという経験論も信じ切れない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;とにかく、今日の男の手違えは、ハナコに何の変化ももたらさなかった。&lt;br/&gt;降りかかった災難は、彼女にとっては出来事ですらないのかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ある時にも、ある場所にもない、現れては消え、消えては現れる。&lt;br/&gt;ハナコを動かしているのは、水平線に見え隠れする、捉え切れないのに本能を搔き立てるようなぼんやりとした船影なのかもしれない。&lt;br/&gt;その船影は、あるときを境に近づいてきて、はっきりとした姿を見せ、ある場所に停泊する。&lt;br/&gt;そうなるとはけして男には思えないのだが、思いとは裏腹にそうなって欲しいと願って毎日訓練をしている気もするのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一向に目をあわそうとしないハナコは男を尻目にスタスタと犬舎へと戻る。&lt;br/&gt;そして、犬舎から次に外へ出されるまで、周りの人間の動きを見つめている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;明日は何が見え隠れするのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img aligncenter" src="http://lh6.ggpht.com/-vOlq30GLG_s/TkqE2UM2aBI/AAAAAAAABKY/cTIUWQXlPjA/20110816_---.jpg?imgmax=400" alt="20110816_---.jpg" width="400" height="300" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-8477573286544500649?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/8477573286544500649/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110816.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8477573286544500649'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8477573286544500649'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110816.html' title='20110816_ハナコ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh6.ggpht.com/-vOlq30GLG_s/TkqE2UM2aBI/AAAAAAAABKY/cTIUWQXlPjA/s72-c/20110816_---.jpg?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-3227921867295979280</id><published>2011-08-16T09:29:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.005+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><title type='text'>20110815_訓練記録</title><content type='html'>1 顔&lt;br/&gt;・人も犬も生気のない顔は同じ&lt;br/&gt;・・神経症の友達のうつろな目、キョロキョロした目を思い出す&lt;br/&gt;・・・Mさんが言う「何をしたらいいのか犬にはわからない」というのがどこから生じるのか&lt;br/&gt;‐まずバーバルとノンバーバルの提示の統一を自分は保っているかを明日見てみよう&lt;br/&gt;●神経症は個人の内面を見るよりも、その人の関係性がどうあるのかを調べた方が確かに良いのかもしれない&lt;br/&gt;●ダブルバインドというベイトソンの用語は、矛盾という言葉と何か違いがあるのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 違い&lt;br/&gt;・先週の終わりは調子が良かった&lt;br/&gt;・今週の始まりは、良かった点が残ったものもあり、先週の初めに戻ったものもある&lt;br/&gt;・・一朝一夕にはいかない訓練だが、少なくとも良いところだけを選択的に残していく方法がベストだ&lt;br/&gt;‐Mさんが言う「犬の出来るところから伸ばしていく」ことを今週はテーマにしよう&lt;br/&gt;●褒めて伸びる子と、叱って伸びる子がいると言うが、褒めて伸びることが必ず先に来る 。それが僕は今だに実践できない。&lt;br/&gt;●僕の教育方法は、僕の教育のされ方と合い通じる&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3 今週の計画&lt;br/&gt;・DEはコミュニケーションについて考える&lt;br/&gt;・TWは関連付けについて考える&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-3227921867295979280?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/3227921867295979280/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110815.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3227921867295979280'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3227921867295979280'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110815.html' title='20110815_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-22932905537928386</id><published>2011-08-15T09:13:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:31.981+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベルクソン'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='哲学'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 『創造的進化』 アンリ・ベルクソン 1907 ちくま学芸文庫</title><content type='html'>【20110814　あゆみブックスのカフェにて読書ー１、２章まで読み気に入った文－】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p178&lt;br/&gt;キツネは、罠が罠であることをはっきり知っている。おそらく、推論があるところなら、どこにでも知性は存在するだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p184&lt;br/&gt;もともと意識が無いことに存する無意識と、意識が消えて無くなったことから生じる無意識である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p190 &lt;br/&gt;もし本能と知性が内に持つ生得的な知識を検討するならば、生得的な知識は、前者では事物に係わり、後者では関係に関わる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p191&lt;br/&gt;知性は、その生得的な部分では、形相（形式）についての知識であり、本能は質料の知識を含んでいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p193&lt;br/&gt;この知性の全く形相[形式的]知識は本能の質料的知識に比べて、計り知れない利点を持つ。一つの形式は、まさに空虚であるという理由で、代わる代わる、好きなように、それを無際限な無数の事物でー何の役にたたないものでもー満たすことができる。その結果、形式的な知識は実践的な有用性を目指して世界に現れたが、それが実践的に有用なものに限定されることはない。知性的存在は自分自身を乗り越えるものを内に携えているのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p200&lt;br/&gt;われわれの知性が明晰に表象するのは、不動なものだけなのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p203&lt;br/&gt;本能の記号は密着した記号で、知性の記号は動的な記号である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p207&lt;br/&gt;ある対象を変化させるためには、われわれはそれを分割可能で不連続的なものと認知しなければならない。実証科学の観点からすると、比類なき進歩が実現したのは、有機組織を細胞に分解した日である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p209&lt;br/&gt;知性はつねに再構成しようとする、ｓかも所与のものを使って再構成しようとする。まさにこの理由で、知性は歴史の各瞬間における新しいものを取り逃がす。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ211&lt;br/&gt;知性は、不活性なものの扱いにかけては抜群の巧妙さを見せるが、生命的なものに触れるや否や、手際の悪さを露呈する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p216&lt;br/&gt;本能と知性の関係は、知覚と触覚の関係と同じである。科学にできるのは、本能を知性の言葉で翻訳することだけだろう。しかし、こうして科学は本能の類似物を構築しているのであって、本能そのものに深く入り込むことはないだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ218&lt;br/&gt;ネオ・ダーウィン主義者たちが、進化は、個体から個体へと行なわれるのではなく、胚から胚へと行なわれる、と主張するとき、ネオ・ラマルク主義者たちが、本能の起源には努力がある（知性的な努力とはまったく別の努力だと思うが）と主張するに至るとき、おそらく彼らの主張は正しいだろう。しかし、前者が本能の進化を偶然的な進化たらしめるとき、また後者が、本能を生み出す努力のうちに個体の努力を見るとき、おそらく彼らは間違っているだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p222&lt;br/&gt;しかし、ジガバチとそのいけにえの間にある共感（共に苦しむという語源的な意味でのsympathie）を、アオムシの傷つきやすさについて、いわば内側から教えてくれるような共感を想定すれば、事情はもはや同じではないだろう。この傷つきやすさについての感情は、外的な知覚に何ひとつ負うところなく、ただジガバチとアオムシが向かい合っただけで生まれるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ224&lt;br/&gt;少なくとも、ジガバチは、それを内側から、認識過程とは全く違った仕方で、ある直観（表象されるというよりはむしろ生きられる直観）によって把握する。この直観は、われわれにおいて予知的な共感とよばれるものにおそらく似ているだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p225&lt;br/&gt;知性が、自分の作品である科学を介して、徐々に完全な形でわれわれに引き渡すことになるのは、物理的な働きの秘密である。生命について知性がわれわれにもたらすのは、、不活性なものの言葉で翻訳したものだけだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p227&lt;br/&gt;認識論がこれら二つの能力、知性と直観をいかにして考慮しなければならないか、また、知性と直観を十分明確に区別しないと、いかにして認識論が観念の幻影を生み出し、そこにさらに諸問題の幻影が絡み付いて、解決不可能な困難に巻き込まれてしまうかを、これらの点を我々はすこし後で示すべく努めたい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ229&lt;br/&gt;意識は確かに行動の道具だろう。いや、行動が意識の道具であると言った方がより真実に近いだろう。なぜなら行動同士を組み合わせて複雑化させ、それらを争わせることが、囚われの身の意識にとっておそらく、みずからを解放する唯一の可能な手段だからである。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-22932905537928386?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/22932905537928386/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/1907.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/22932905537928386'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/22932905537928386'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/1907.html' title='a 『創造的進化』 アンリ・ベルクソン 1907 ちくま学芸文庫'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-3765122431062478451</id><published>2011-08-12T08:12:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.012+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ハナコ'/><title type='text'>20110811_はなこ</title><content type='html'>はなこが今日、はじめて僕をみとめた。&lt;br/&gt;僕の足の脛に噛み付いたのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一瞬、何かが引っかかったのかと思った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;下を向くと、けんめいに引っ張られる体に抗うはなこがいた。&lt;br/&gt;目を大きく開き、首は上がっている。それは必死の形相だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そのとき男ははなこを引綱で引っ張っていた。&lt;br/&gt;望むべき訓練とはかけ離れていると知りながら試みた手段だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;男ははなこの気持ちを無視して引っ張った。&lt;br/&gt;それははなこにとって、謂われない仕打ちだっただろう。&lt;br/&gt;けれど、男にはそうする必要があった。&lt;br/&gt;そうしなければ、はなこをこの世界に引き入れることができないと思っていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;突然、放り込まれたこの世界。&lt;br/&gt;かつての穏やかな空気に包まれた生活とはかけ離れていた。&lt;br/&gt;薄暗い犬舎のなかには、数十頭もの同じ境遇の犬がひしめき合っていた。&lt;br/&gt;そんなところに放り込まれてはなこは愕然とした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;かつての暖かく包んでくれた人さえもどこかへ消え去った。&lt;br/&gt;１歳に満たないはなこにとって、何もかもは崩れ去った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「私はどうなってしまうのだろう」。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;はなこが入った犬室は、犬舎の人目のつく一角だ。&lt;br/&gt;最初は見知らぬ人間ばかりが行ったり来たりするだけで恐怖だった。&lt;br/&gt;「何かをされるかもしれない」という思いで眠ることもできなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;同室にいたのは、離れ離れだったはなこの姉妹。&lt;br/&gt;彼女に慰めを求めようとしても無駄だった。&lt;br/&gt;やはり、彼女もまた同じ境遇なのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「ねえ、私達どうしてここにいるの？」とでもはなこは姉妹に聞いただろうか？&lt;br/&gt;しきりに、けたたましい声を上げるその白い犬にはなこの声は聞こえなかったかもしれない。&lt;br/&gt;いや、はなこは聞かずともすぐに察知しただろう。&lt;br/&gt;「私達はもう帰れない」のだと。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;はなこは共に吠え始める。&lt;br/&gt;なにに向かって吠えるのか自分でもわからない。&lt;br/&gt;一日がたち、二日がたち、一人の男がはなこをしきりに外に連れだすことが分かった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その男、 担当者と言われる。&lt;br/&gt;はなこをこれから盲導犬にするために任された。&lt;br/&gt;しかし、この男、何をしてくれるとも知れない良くわからない男だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;餌もくれないし、夜も眠ってくれないし、楽しい遊びさえもできないこの男。&lt;br/&gt;とにかく、はなこに首輪をつけ、引綱で歩き回ろうとする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この男はここから外へと連れ出してくれる。&lt;br/&gt;はなこに嬉しいのはただそのことだけだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;はなこの吠え声は男に向けられるようになった。&lt;br/&gt;ここから出れば、何か見つかるかもしれない。&lt;br/&gt;あの懐かしい場所の匂いを辿れるかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その思いは日を追うごとに強くなった。&lt;br/&gt;しかし、一向に糸口がつかめない。&lt;br/&gt;探そうにも、男とはなこは一つの引綱で繋がっていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そして、今日、二度ほど噛み付いて、もう必死に歩くしかないとはなこは思った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;男の歩調に合わせて歩くほかに、首にまとわりつく締め付けから逃れられない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そうしてはなこは男よりも先に先に歩を進めていった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;途端に男が「GOOD」とけたたましく叫ぶ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;いったい何なのかわからないが、はなこが先に行こうとすればするほど「GOOD」という声が強くなる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もう後には引けないと思った。&lt;br/&gt;けして心地よいものではないその声だが、引っ張られるよりかはマシだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「とにかく前を歩こう」という思いがいつのまにか匂いを探す行為をはなこに忘れさせた。&lt;br/&gt;ハアハアと激しい息をしながら、歩き始めた場所にはなこと男は戻ってきた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;男は止まる。&lt;br/&gt;男は「GOOD」と言いながら、息切らしたはなこのほっぺたを撫でた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;はなこが、この僕の声を嫌がうえにもみとめた瞬間だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-3765122431062478451?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/3765122431062478451/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110811.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3765122431062478451'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3765122431062478451'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110811.html' title='20110811_はなこ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-985711310714793353</id><published>2011-08-10T09:14:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.107+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='真似'/><title type='text'>20110809_訓練記録</title><content type='html'>1 フィードバック&lt;br/&gt;・GMが見てくれる。&lt;br/&gt;・一番記録しておくべきことはなにか？&lt;br/&gt;・・評価して、それを元に一手、一手&lt;br/&gt;・・・切り替え、切り替え、その時々にあった関与（教えるか、待つか、阻止するか？）はすべて直前の評価から&lt;br/&gt;・・・・僕らがしてしまうこと、「げ、うまく行動していないやん」という気持ちが先行し、時機を逸してしまう&lt;br/&gt;●失意泰然、得意淡然ってな言葉があるんだな&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 PDCA&lt;br/&gt;・訓練記録をどう書くかの議論と一致&lt;br/&gt;・訓練部もそれを毎日、書いているという・・・上手い人すらやっている・・・&lt;br/&gt;・しかし、僕の場合、それが現実的に難しいとの結論に至っている&lt;br/&gt;‐どうしたものか、PDCAをつまり（評価、方法、結果）の三つを事前に書いてセッションに臨むか？&lt;br/&gt;●いや自分なりのやり方でいこう・・・（笑）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3 真似るということ&lt;br/&gt;・真似るということを徹底すること&lt;br/&gt;・真似たつもりでいつも終わっている&lt;br/&gt;・・真似る前に、どこがその人の動きの軸かを考えること&lt;br/&gt;‐真似るために、体を変えることはできない&lt;br/&gt;●バームクーヘンの軸を真似ること、バームクーヘンを食っても軸は出てこないよ&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-985711310714793353?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/985711310714793353/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110809.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/985711310714793353'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/985711310714793353'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110809.html' title='20110809_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2884960088818619209</id><published>2011-08-06T08:15:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:31.992+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='動機と根拠'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110805_訓練記録</title><content type='html'>１ 動機と根拠&lt;br/&gt;・GMの動機と根拠の使い分けを探る&lt;br/&gt;・・動機は人がつくるもの&lt;br/&gt;・・動機だけでなく、根拠が必要&lt;br/&gt;・・根拠も人がつくるもの？&lt;br/&gt;・・動機から、セルフモチベーションへと移行していくことが必要&lt;br/&gt;・・・セルフモチベーションに移行するには、根拠が必要？&lt;br/&gt;●セルフモチベーションは意志とか意欲とか自発性とか言っている&lt;br/&gt;●なら根拠は理性といったところだろうか？&lt;br/&gt;●なら動機は？ここが教育、というよりも「育てる」ってな感じだろうか？&lt;br/&gt;●理性を「育てる」には、理性への意志を育てることが先ってな感じだろうか？&lt;br/&gt;●直観、理性、悟性の使い分けでやると、犬の直観は「本能」という言葉を当てようか？&lt;br/&gt;●犬の直観（本能、稟性、反射行動）&lt;br/&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; →犬の直観的な理性（つくられる動機、つくられる根拠）&lt;br/&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; →犬の理性（セルフモチベーション、根拠）&lt;br/&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; &amp;nbsp; →犬の悟性（思考する犬！？犬神・・・）とでもしておこう&lt;br/&gt;●「すべてのことは三語で言える」とそういえば言っていたな&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 僕の課題（ビデオで確認した感想）&lt;br/&gt;・確かに「根拠をつくろう」という意図が伝わりにくい&lt;br/&gt;・・犬にも何を求められているか分かりにくい&lt;br/&gt;・・・根拠の提示がへたくそ&lt;br/&gt;‐根拠づくりは、条件をどこにするかだけではだめだ&lt;br/&gt;‐条件として提示していることが犬にわかりやすくないといけない&lt;br/&gt;‐‐条件提示の前後の脈略をどうするかの理解ができていない&lt;br/&gt;&amp;nbsp; →いつ条件を提示するか（タイミング）の根拠（これは人の根拠）がないということ&lt;br/&gt;&amp;nbsp; &amp;nbsp; →犬の根拠はけっこうバラバラとするだろうよ&lt;br/&gt;・犬が喜んで来る動機をつくるのに全力をあげていない&lt;br/&gt;・・根拠をつくる下地の動機づくりがおろそかだ&lt;br/&gt;‐もっと「つくる」ことに貪欲に&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3 リードさばき&lt;br/&gt;・リードさばき&lt;br/&gt;・・下手くそすぎる&lt;br/&gt;‐リードを意識しないでも捌くことができていない&lt;br/&gt;‐‐自分の技術の下地ができていないということ&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;4 習得度&lt;br/&gt;・他の人と僕の違い&lt;br/&gt;・・教えられたことが、セッションの中で見られない（客観）&lt;br/&gt;・・予想に反して（主観）、大いに動きが訓練士っぽくない、「バタバタ」&lt;br/&gt;・・・声も予想に反して（主観）、大いに甘ったるい、「ネチネチ」&lt;br/&gt;・・・教えられたとおりにやっているつもりが（主観）、教えられたことをまったくしていない（客観）&lt;br/&gt;‐これでは「理解していない」としか見えない（客観）&lt;br/&gt;●色々な面で「自己チュウ」だから、ま、当然訓練もそうなるだろう&lt;br/&gt;●ちょっと変わった動きする人だな、キョロキョロする人だな、いろいろと僕の動きは自分の予想に大きく反して「変ちくりん」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;5 面白い&lt;br/&gt;絶望的に基本的な行動ができていないという点を憂うことは必要だが・・・。&lt;br/&gt;訓練をしていると僕の言葉がどれだけ氾濫しているかがわかって面白い。&lt;br/&gt;慣れというのは、どこまでも人間に絡みつくなあ。&lt;br/&gt;悪癖はとくにその人から一向に離れない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;行動に必要な言葉は、想起させるための道具にすぎないのだろう。&lt;br/&gt;想起させることもなくできるようになった行動に言葉は必要としなくなる。&lt;br/&gt;でも、それは言葉が内在化され顕在化されていないだけだ。&lt;br/&gt;けして記号を失ったわけでなないのだろう。&lt;br/&gt;内在化された記号の変容が、今僕には必要なのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ただし訓練が上手くいかない大きな要因は、習得するべき行動自体を僕ができないという点にある。&lt;br/&gt;筋肉がうまくうごいていかないのだろう。&lt;br/&gt;慣れきってしまった行動が変容していかないのだろう。&lt;br/&gt;それを変容させていくための道具として言葉はある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかしだ。&lt;br/&gt;輪をかけて僕を下手くそにしているのは、想起すべき言葉の連合関係がややこしすぎる点にある。&lt;br/&gt;その自分自身に取らせたい行動を想起するときに使われる言葉が、あまりにも多くのまとまりの無い想起を連れ出してくる。&lt;br/&gt;内在化されてしまっている言葉の既存の連合関係を打ち消すことができていない。&lt;br/&gt;歳をとり、内在化されてしまった言葉に収集がついていないのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１．行動自体の問題→道具として言葉が必要&lt;br/&gt;２．言葉の問題→道具として整形しなおす必要&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕が基本的な行動を習得できない要因はこの2つにあるのだろう。&lt;br/&gt;そして、２の問題にかかずらっているとますます連合関係が複雑になっていくというジレンマ・・・。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2884960088818619209?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2884960088818619209/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110805.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2884960088818619209'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2884960088818619209'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110805.html' title='20110805_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1172765215107756237</id><published>2011-08-05T08:36:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:31.867+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='形どり'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='自由'/><title type='text'>20110804_訓練記録</title><content type='html'>1 自由&lt;br/&gt;・犬に自由はない&lt;br/&gt;・・だって、自由という概念がないもん&lt;br/&gt;・・・んなわけない。&lt;br/&gt;・・・・自由なんて所詮欲求に過ぎない&lt;br/&gt;‐感受性の高さと自己主張は同じではないだろうか？&lt;br/&gt;●アイスを欲しがれば、いつの日かアイスは無くなる&lt;br/&gt;●アイスを欲しなければ、決してアイスは無くならない&lt;br/&gt;●自由は求める限り永遠に二律背反する&lt;br/&gt;●だから最初からアイスを与えないほうが永遠の自由を与えることができる、コワ&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 形どり&lt;br/&gt;・形取りの弊害、中身が無い&lt;br/&gt;・中身はあるが形がないという形容、そんな形は考えられない&lt;br/&gt;●中身の無い形という形はあるかもしれないが、形のない中身は考えられない&lt;br/&gt;●中身の無い空間を考えることはできるが、空間のない中身を僕らは考えることができない&lt;br/&gt;●「視野内の斑点は必ずしも赤である必要は無いが、何らかの色をもたなければいけない」と言ってたな&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1172765215107756237?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1172765215107756237/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110804.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1172765215107756237'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1172765215107756237'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110804.html' title='20110804_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5884880524090984950</id><published>2011-08-04T08:41:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.045+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録の書き方'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><title type='text'>20110803_訓練記録の書き方</title><content type='html'>歳のせいかな。&lt;br/&gt;本ばかりを頼りにするせいかな。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕のセッションは文章のように。&lt;br/&gt;僕の何が言いたいか、結論がなんなのかが分からないように。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;Tさんに言われたこと。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;指摘されたことを噛み砕く。&lt;br/&gt;注意点を単語で理解する。&lt;br/&gt;文章で理解しないこと。&lt;br/&gt;注意点を踏まえてすぐに実行してみる。&lt;br/&gt;自分の凝り固まった頭と癖を出さないこと。&lt;br/&gt;繰り返し同じ行動をしていないか？&lt;br/&gt;犬は飽きていないか？&lt;br/&gt;犬は良くわからないという顔をしていないか？&lt;br/&gt;犬の行動は僕の行動を照らすかがみ。&lt;br/&gt;訓練記録の書き方を考えるよりも何よりも、実行する力。&lt;br/&gt;そちらが何よりも足りていないことだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今の何でも文章にしてしまおうとする頭を壊すことが先決。&lt;br/&gt;単語と単語を体で繋げることが、何よりの訓練記録だ。&lt;br/&gt;文字に書けても、それを体現できていなければ意味が無い。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それを踏まえて、訓練記録の書き方。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１．セッションする前に注意点を単語で書く。（赤字）&lt;br/&gt;２．セッション後に、結果についてメモしておきたいことを書く。（青字）&lt;br/&gt;３．指摘されたこと、気づいたことを書いておく。（緑字）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;書く事項を三つに分けるだけでよい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それでしばらくやっていこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1日の訓練の振り返りは、【201100_訓練記録】で犬ノートに書いていこう。&lt;br/&gt;これはこれまでと同じように書いていこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;他、だらだらと文章にしたければ【201100_○○】で犬ノートに書いていこう。&lt;br/&gt;こういう文章化することの弊害はあるかもしれないけれど・・・。&lt;br/&gt;まあ、それが好きなんだから自分を大目に見てあげよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;終わり。&lt;br/&gt;訓練記録は明日から。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5884880524090984950?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5884880524090984950/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110803.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5884880524090984950'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5884880524090984950'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110803.html' title='20110803_訓練記録の書き方'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-8670179091237913043</id><published>2011-08-03T08:38:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.097+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='書き方'/><title type='text'>20110802_訓練記録の書き方</title><content type='html'>ああ。ながながと書いたものが消えた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;Mさんは言う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「犬の評価や、セッションのやりかたに曖昧さはないんですか？」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「自分で「こういう犬だから、こういう方法で訓練する」という点に曖昧さはないよ。その方法が当てはまってなければ、次の方法を、次の方法をと訓練方法を変えていくだけ。それでもGOODやNOの理解や課目の進捗がすすまなければ、犬の評価の間違いを検討する。評価を修正したら、また同じように方法を変えながらやっていく。」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;自分の評価や訓練方法がまずいかどうかを考える前に、どんどん試していっている。&lt;br/&gt;試行錯誤と言えるが、その試行錯誤は経験をつむことで錯誤が少なくなっていく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一方、僕はどんどん試す前に、自分の評価や訓練方法に対する問題点を探ろうとする。&lt;br/&gt;探ろうとすることで、自分の評価や訓練方法にある意味こだわりすぎている。&lt;br/&gt;別の視点や別の方法を試し、さらに別の視点や別の方法を試しという流れが阻害されている。&lt;br/&gt;考えすぎることが、思考の柔軟さを阻害している。&lt;br/&gt;それは曖昧さによる弊害よりも良くないことだ。&lt;br/&gt;試行錯誤に入る前で停滞してしまうという結果になる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それは、記録にも現れている。&lt;br/&gt;何を記録していいのか迷う時点で、本当に必要とされる最小の情報は何かを掴めていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;つまりこういうことだ。&lt;br/&gt;記録として最低限必要なのは、&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１．評価&lt;br/&gt;２．方法&lt;br/&gt;３．結果&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;GMが言って言葉を思い出した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬を評価する技術。&lt;br/&gt;犬を訓練する技術。&lt;br/&gt;訓練技術を考える技術。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;の三つが必要だと言ってたな、確か。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今僕が考えているのは、訓練技術を考える技術に当たるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;上記１、２、３のうち、２.方法はいくつも試すので、複数記録されるはずである。&lt;br/&gt;複数記録されながら、３.結果が一向に良くならなければ、１.評価は改めて記録されるはずである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;訓練は数回に分けて行っている。&lt;br/&gt;１回の訓練のことはセッションと呼んでいる。&lt;br/&gt;セッションは長くても５分ほどだ。&lt;br/&gt;１日の訓練で何回もセッションを行なっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１セッション目に実行した方法が合ってなければ、次は別の方法でセッションを行なうだろう。&lt;br/&gt;また、学習が進むごとにセッションの目標も変わってくるので、目標が変わるごとに方法も変わるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;だから、記録されるノートはこういう風になっているはずだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１．評価→２．方法→３．結果→２．方法→結果→２．方法・・・・→結果→１．評価&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１．評価から次の１．評価までの記録スパンはいったいどのぐらいだろうか？&lt;br/&gt;スパンが一日のときもあるだろうし、１週間のときも、進捗確認試験まで1回の評価で終わるときもあるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;曖昧だから記録できないことはある。&lt;br/&gt;しかし、確実性を記録する必要性があるだろうか？&lt;br/&gt;訓練に関する限り、曖昧さの弊害は実行することで結果的に回避される。&lt;br/&gt;回避されないのは曖昧さだけだ。&lt;br/&gt;弊害は回避できるのだったら、曖昧いなことに苦慮するのは無駄なこと。&lt;br/&gt;「曖昧だ、曖昧だ」と言うことを記録しても何の意味も無い。&lt;br/&gt;訓練中の記録に限ってはこれが真実だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;プラグマティズムの真理とはこういうことを言うのだろう。&lt;br/&gt;「真理とは、その人にとって有用かどうかによって決まる」だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;書く事項をまとめておく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;table border=1&gt;&lt;br/&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１．評価...これはそんな毎日書かれることではないだろう。&lt;br/&gt;２．方法（手段でなく具体的なアプローチのこと）...いくつもいろいろな方法を考えて、セッション前に記録しておく。&lt;br/&gt;３．結果...まあ、書きなれてくるだろうから、自由に。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;補足事項。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;４．訓練日&lt;br/&gt;５．訓練場所&lt;br/&gt;６．訓練した犬の名前&lt;br/&gt;７．セッションの目的...これはほとんどの場合「GOOD/NOを教えるため」となるはずだから記入する必要も無い。&lt;br/&gt;８．セッションの手段...そのセッションに選ぶ課目（EX.「COME」、「夢中作り」等）&lt;br/&gt;９．セッションの目標…そのセッションに選んだ課目の達成したい進捗度合い（目標の最終目標は「GOOD/NOを教えることができた」になるはずだ）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/td&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/table&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そして、曖昧だらけの記録、ああでもない、こうでもないと、一人頭を使うのは。&lt;br/&gt;５W１Hの「WHY」に当たる記述は。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それは、この犬ノートに気が向いたら書けばよいことだ。&lt;br/&gt;「なぜ」は余裕があるときに趣味程度に書くことだ。&lt;br/&gt;正直、そっちを書くことのほうが好きな傾向が僕にはあるが・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;table border=1&gt;&lt;br/&gt;&lt;tr&gt;&lt;td&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１０．結果に対する「なぜ？」...この犬ノートで書くこと。毎回、あまり深く考えず書いてもいいかな。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/tr&gt;&lt;/td&gt;&lt;/table&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;さて、一番の問題は、記録を怠らず続けることができるかだけど・・・。&lt;br/&gt;訓練しながら書くのだから、そう完璧さを求めないことが続けるコツだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;以上、訓練記録の書き方。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-8670179091237913043?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/8670179091237913043/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110802.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8670179091237913043'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8670179091237913043'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110802.html' title='20110802_訓練記録の書き方'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1931049508296358964</id><published>2011-08-02T09:39:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:31.949+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='記録方法'/><title type='text'>20110801_訓練記録</title><content type='html'>さあて、どんな風に書くのがベストなのか?&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;夏休みに考えたことは以下のことだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;行動する主体が意識し、結果的に何かを表象する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;これは僕においても、犬においても同じことだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;人も犬も同じ土俵で行動を語りたい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;おなじ言葉を使って、人も犬もどちらの動きも語れたらベストだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕が意識し、結果的に犬の行動を認識する。&lt;br/&gt;犬が意識し、結果的に人の行動を認識する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし、問題は僕が認識主体の犬になりえないことなのだ。&lt;br/&gt;犬の代弁者として僕が犬の認識を記述することしかできないのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;語りようのないものを語るほかないのは、この時点で始まっている。&lt;br/&gt;でも、実は語りようの無いものは、僕が僕の行動を語るさいにも生じていることだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;図式化してみよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬（主体）：遊びたい（意識）→人の動き（認識）→喜ぶ&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬であることを語ることにそれほど疑問はない。&lt;br/&gt;しかし、犬の意識は本当にあのとき、「遊びたい」というものだったのだろうか？&lt;br/&gt;あの時、犬は「人の動き」を認識していたろうか？&lt;br/&gt;はたまた、結果的に「喜ぶ」ことになっていたろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最初に記述する主体以外の記述は、結局のところ推測の域を免れない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、実はこのような曖昧さは僕の行動について記述する場合も十分に起こっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕（主体）：遊ばせたい（意識）→喜んで動く犬（認識）→学習の成立&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「僕」、「遊ばせたい」という２つの記述には疑問がない。&lt;br/&gt;この点、犬の記述よりも一歩先をいっている。&lt;br/&gt;しかし、認識についてはどうだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「喜んで動く犬」を認識したと記述しているが、この真偽は定かではないのだ。&lt;br/&gt;本当に犬は喜んでいただろうか？そこをどのように証明することができるだろうか？&lt;br/&gt;結果的に「学習の成立」が認識されたならば、「喜んで動く犬」という認識の正しさは証明されるのかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;なぜなら、学習は前提として快刺激（あるいは不快刺激）によって成立するというわけだから。&lt;br/&gt;でも、今日、犬の「学習の成立」を認識したと僕が記述した背景には、そもそも「喜んで動く犬」を認識したからだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし、すでに述べたように彼女が喜んでいたかどうかは定かでない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;これでは堂々巡りどころか、何処にも巡っていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕が毎日間違うことなく書ける項目は三つしかないのには驚きだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それは、「僕」、「犬」、「遊ばせたい（という僕の意識）」。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;２つの主体と、１つの意識。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;つまり、「僕は犬に○○して欲しいと思った」といった類の記述だけ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それはこういうこと。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「僕は、犬にCOMEを覚えて欲しいと思った。」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;だからなんだ、と言いたくなる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕の要求が、結果的に犬をどのような行動に向かわせたか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この点を書かずして、僕の意識だけ書いてなにか意義はあるのだろうかと疑問に思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;んん、記録するにも未だに何を書けば良いのか迷う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;書く以上は、ルールにのっとって、さらには役に立つ記録がいいのだけれど。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;自由に書き綴るのが一番なのかな、ま、そんな時間的余裕はないのだけど。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;なんか、うまい書き方のルールはないものか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1931049508296358964?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1931049508296358964/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110801.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1931049508296358964'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1931049508296358964'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/08/20110801.html' title='20110801_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-6750052856532267876</id><published>2011-07-31T21:34:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.082+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='背理法'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='僕の認識論'/><title type='text'>真理と背理01</title><content type='html'>&lt;a rel="attachment wp-att-3054" href="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/?attachment_id=3054"&gt;&lt;img class="alignnone size-full wp-image-3054" title="------ (3)" src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/3.jpg" alt="" width="192" height="173" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;夢にこんな図式がでてきた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;真理の対極に背理が位置しているのだろうか？&lt;br/&gt;この図式は一般的に認められるような関係性なのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「真理でないことは、背理である」という解釈をこの図式に与えるのであれば、その命題は一般的に認められているのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;すこしネットで調べてみた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;コトバンクを引いてみた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="font-size: 20px; font-weight: bold;"&gt;&lt;strong&gt;&lt;br/&gt;「真理」&lt;/strong&gt;&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;１&lt;/strong&gt; いつどんなときにも変わることのない、正しい物事の筋道。真実の道理。「永遠不変の―」「―の探求」&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;２&lt;/strong&gt; 哲学で、&lt;br/&gt;&lt;img src="http://kotobank.jp/i/shogakukan/gaiji/01676.gif" alt="" /&gt;思惟と存在あるいは認識と対象との一致。この一致については、いくつかの説がある。&lt;br/&gt;&lt;img src="http://kotobank.jp/i/shogakukan/gaiji/01678.gif" alt="" /&gt;プラグマティズムでは、人間生活において有用な結果をもたらす観念をいう。&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;３&lt;/strong&gt; 仏語。真実で永遠不変の理法。真如。&lt;br/&gt;&lt;h2&gt;&lt;strong&gt;「背理」&lt;/strong&gt;&lt;/h2&gt;&lt;br/&gt;道理にそむくこと。論理に反していること。「―の論法」&lt;br/&gt;以上が、デジタル大辞泉に記載された「真理」と「背理」の意味だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;①真理にはいろいろな意味があるが、背理には一つの意味しかない。&lt;br/&gt;②真理と背理の関係性は何も書かれていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;辞書を調べて分かったこと、分からなかったこと。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;①真理という言葉を使用するよりも、背理という言葉を使用するほうが自身の論理を厳密に保てる気がする。何かの主張をする際には、論理的に正しいことを主張するために、論理的に正しくないことから述べたほうが良いのではないかと考えた。これがいわゆる背理法と呼ばれるものだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;②しかし、真理と背理の関係性を辞書は言及していない。背理法によって真理を述べることが可能かどうかはわからない。そもそも真理には複数の意味が付与されているため、どの意味で真理を使うかによっても、背理との関係性は異なってくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;結果として、背理によって真理を証明しようとする際、気をつけるべきことが見えてくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;③背理法によって必ず真理を導くことができるわけでない。真理の意味は確定しないものであるから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;真理だと見なされていること。&lt;br/&gt;それを背理法によって完全に否定することはできない。&lt;br/&gt;なぜなら、そもそも真理には、論理的に確定する正しさ以外の意味も含まれているからだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最後に、この点はどうなのだろうか？&lt;br/&gt;背理法によって得られた結論は必ず真理なのだろうか?&lt;br/&gt;もしそうなのであれば、背理は少なくとも論理的な真理と言うことはできそうである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;では、論理的に考えるとは、すなわちすべて背理を考えることにならないだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しばらく背理法を勉強しなければいけないかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-6750052856532267876?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/6750052856532267876/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/01_31.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6750052856532267876'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6750052856532267876'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/01_31.html' title='真理と背理01'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-8251571708560382526</id><published>2011-07-29T04:22:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.088+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='僕の認識論'/><title type='text'>僕の認識論03</title><content type='html'>前回までで知る行為の分析から、対象知の分析にうつってきた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;対象知の条件は以下の3つである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1　行為する主体&lt;br/&gt;2　知ろうとする意識&lt;br/&gt;3　知ろうとする意識によって生じた対象&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この3つのうち、1、2は上位概念と下位概念である。&lt;br/&gt;簡単に対象知の条件を述べると主体（1、2）と対象（3）ということになる。&lt;br/&gt;しかし、対象の生じていないものを僕らは現実的には知りようが無い。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;知りようが無い対象を分析することはできない。&lt;br/&gt;つまり、3が条件として成立すること無しに対象知は分析できないのだ。&lt;br/&gt;反対に言うと、1,2がたとえ成立していなくても、3さえ成立していたら対象は分析できる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;対象知の唯一の条件は3のみであるとも言える。&lt;br/&gt;あえて1、2を条件として要請するのは実用的な課題を満たすためである。&lt;br/&gt;実用的な課題とは、対象知を分析し説明するには1、2を条件として加えておく必要があるということだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この実用的な課題を満たすために僕の認識論は述べられている。&lt;br/&gt;このことは終始一貫していることだろう。&lt;br/&gt;実践の道具としての理論を考える際、常に実用性は理論を監視することになる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;前回述べたとおり、条件は幾らでも 修正可能である。&lt;br/&gt;今のところ、対象知の説明には、1、2を条件としてあげることが必要だと考えている。&lt;br/&gt;しかし、理論を実践する中で条件に変更が加えられる可能性はある。&lt;br/&gt;つまり、今は、この3つをひとまず条件としてあげているにすぎないのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それでは、あらためて対象知を定義する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;対象知とは、対象を知ろうとする意識（主体）の流れであり、その結果でもある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;つまり、対象知は2つの意味を有している。&lt;br/&gt;前者は、対象の原因を条件としてあげている。&lt;br/&gt;後者は、原因の結果を条件としてあげている。&lt;br/&gt;対象の原因が1、2であり、3は結果として生じる対象のことを指している。&lt;br/&gt;先に述べていた3のみが成立していれば、対象知は知りうる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ところで、現実的に結果のみで人間の思考は留まるだろうか？&lt;br/&gt;対象知は、知る行為に意識的になることで生じている。&lt;br/&gt;そのような対象知の性格は、自ずと対象知を分析する行為へと主体を引っ張ると言えないだろうか？&lt;br/&gt;現実の要請として、結果は必然的に原因と結びつこうとするのであるならば、やはり条件として1、2は有用であろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;対象知を分析する行為は、結果から原因を導き出す行為とも言える。&lt;br/&gt;分析するには、任意の条件を設定する必要がある。&lt;br/&gt;対象知の条件である3を設定すると、分析のなかで1、2は必然的に導かれる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;対象知を成立させている条件1、2は、3を分析することで生じると言えるのだが、僕は最初に結果である1、2を対象知の条件として設定している。&lt;br/&gt;これは循環論法ではないか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;条件に1、2を設定しないと現実的に対象知を分析できないと僕は述べている。&lt;br/&gt;一方で、1、2は分析する以前からすでに設定されるべき条件だと僕は述べている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;なぜこのような循環論法に陥るのだろうか？&lt;br/&gt;僕は今のところ、対象知の条件として3つをあげているが、それが間違ってしまっているのか？&lt;br/&gt;それとも、対象知自体がもつ矛盾が循環論法を生じさせているのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕は後者であると考えている。&lt;br/&gt;対象知の分析を始めると循環論法になるのは、意識の連続から対象知が生じていることを暗に示していると考えている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;対象知は意識の連続からしか生じない。&lt;br/&gt;1、2、3の条件が成立しているといっても、その1,2,3は一回性のものではない。&lt;br/&gt;各々の条件は、意識の流れが分析を繰り返すなかで、入れ子状に積み重なっていく。&lt;br/&gt;1、2が3を生じさせたことを、1、2が分析するために、結果的に新たな3を生じさせているのだ。&lt;br/&gt;この連環は、意識が対象化されるまで続けられる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;上記に述べた分析は無自覚的な分析と言える。&lt;br/&gt;この分析が対象としているのは、純粋知である。&lt;br/&gt;対象が純粋知であるため、分析も必然的に自覚することができない。&lt;br/&gt;ここでは、純粋分析という名前で呼ぶことにしよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;純粋分析は、純粋知を対象知に変えていく。&lt;br/&gt;対象知となった純粋知は、そのときから対象知の分析という自覚的に分析に手渡される。&lt;br/&gt;この自覚的に対象知を分析する分析のことを、対象分析と呼ぶことにしよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;対象分析がどうしても循環論法に陥ってしまう背景には、対象知の成立過程に（純粋な）分析が入り込んでいることに端を発している。&lt;br/&gt;対象知の生じた原因を突き詰めると、純粋知の純粋分析が原因として浮かび上がってくる。&lt;br/&gt;純粋分析はしかし、それが純粋知を対象知に変えていった原因でもある。&lt;br/&gt;つまり、対象知の原因である純粋分析を、結果である対象知の分析から原因として導き出そうとしていることになるのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;このように、対象知の分析は行き過ぎてはアンチノミーに陥る。&lt;br/&gt;アンチノミーに陥る前に、対象知の分析は制限されなければいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;実用的であることが真理であるならば、対象分析の限界線をどこに定めるかを次回から考えていこうと思う。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-8251571708560382526?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/8251571708560382526/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/03.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8251571708560382526'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8251571708560382526'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/03.html' title='僕の認識論03'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5983170498845600280</id><published>2011-07-29T01:40:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.052+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='僕の認識論'/><title type='text'>僕の認識論02</title><content type='html'>では、僕の認識論を展開していこう。&lt;br/&gt;その結果として、自ずと存在はどのように存在しているか、何が存在を生じさせているかという問いも明らかになってくるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;認識するとはどういうことか？&lt;br/&gt;認識という概念をこのまま使い続けるわけにはいかない。&lt;br/&gt;認識するとはどういうことかを知る前に、認識という概念は定まりようが無い。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まず日常的に使われる「知る」という行為を分析することから始める。&lt;br/&gt;分析するには条件を必要とする。&lt;br/&gt;条件の内容は任意に決めるものだ。&lt;br/&gt;決められた条件に沿って実践を振り分け、知る行為の分析をする。&lt;br/&gt;そのために決められた条件が有効であればそれでよい。&lt;br/&gt;うまく実践を振り分けるのに不都合な条件であれば修正を施していく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕の知るための条件を以下の3つにする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1　行為する主体&lt;br/&gt;2　知ろうとする意識&lt;br/&gt;3　知ろうとする意識によって生じた対象&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1‐1&lt;br/&gt;行為する主体は僕である。この僕が必要な条件としてある。しかし、条件である僕を分析することはしない。分析対象はあくまでも、知る行為に限る。主体の無い行為は行為と見なさないと言っているに等しい。ここでは僕のみを主体として限定する。それ以外が主体となる場合について、おいおい述べていくつもりである。今の段階から僕以外も主体に含めると、知る行為の分析は難しくなるだろう。僕以外の主体を念頭に置くと、分析を不可能にさせてしまうことさえあるかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2-1&lt;br/&gt;意識とは、知覚や痛覚とは区別される表象のことである。つまり、意識はそのとき既に総合的ななにかであり、観念としてある。意識は、知る行為の必要条件ではないが、知る行為の十分条件である。なぜなら、意識下を伴わない知る行為があるからだ。そのような知る行為を、僕は純粋知という言葉で代用しておく。純粋知は一般的に、「知る」という単語は使われない。「知る」という単語には能動的で意識的な意味合いを伴って使用されるのが一般的だ。それにならって、知る行為の条件として、知ろうとする意識を一つにあげた。知ろうとする意識は、知ろうとする行為ともいえる。つまり、志向性とか、動機を伴った知る行為が、僕らが一般的に使用する「知る」行為であり、それを僕は今のところ分析している。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3-1&lt;br/&gt;2-1で述べたように、純粋知とは異なったあり方として知る行為はある。知ろうとする行為は、知ろうとする意識が必要条件となる。1-1と2-1をあわせると、知ろうとする僕の意識が、知る行為の必要条件である。行為する主体と知ろうとする意識の関係性について述べる。主体無しには意識は生じないから、知ろうとする意識は行為する主体の下位概念である。上位概念である行為する主体無しには知る行為が成立しないことはすでに述べた。これは、純粋知についてもあてはまる。下位概念である知ろうとする意識が無くとも成立する純粋知は、そのまま対象の性質をも規定する。純粋知が生じさせる対象は表象にはなり得ない。そのため、純粋知では対象を生じさせることができない。対象が意識であるためには、必ず知ろうとする意識が必要となってくる。つまり、下位概念である知ろうとする意識が対象を表象として生じさせるのである。僕がここで扱っている知る行為は対象を生じさせる行為であるという点で純粋知ではない。純粋知とは異なったあり方としてある知る行為は、対象を表象として生じさせるような行為、つまりは対象を知ろうとする行為と言える。このような知る行為を、僕は対象知という言葉で代用しておく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ここまでの認識論の展開のまとめをしておく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;認識論を展開するために、知る行為を分析して行った。&lt;br/&gt;知る行為には2つのあり方があった。&lt;br/&gt;一つは、意識的でなくても生じる知る行為であり、これを純粋知とした。&lt;br/&gt;2つは、意識的でなければ生じない知る行為であり、これを対象知とした。&lt;br/&gt;そして、僕が条件としてあげた三つは、対象知を生じさせるのに必要な条件である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;知る行為を2つに分解することができたので、分析をまた一歩進めることができる。&lt;br/&gt;次からは、対象知の分析を進めていく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5983170498845600280?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5983170498845600280/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/02.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5983170498845600280'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5983170498845600280'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/02.html' title='僕の認識論02'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2194391324872270139</id><published>2011-07-29T01:39:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:31.971+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='僕の認識論'/><title type='text'>僕の認識論01</title><content type='html'>自分自身の言葉で頭を整理しないといけない。&lt;br/&gt;そうしないと、実践のなかで理論は役に立たない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;どんなにダメな理論でも、実践される中で洗練されていく。&lt;br/&gt;そのためには、何よりも自身に芯となる理論を身につけておくべきだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;訓練は学習である。&lt;br/&gt;どのように学習するかを理解するための理論を必要としている。&lt;br/&gt;実践を分析する道具として理論が必要となってくる。&lt;br/&gt;実践する中で道具は改良されていくべきである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;改良されるためにはまずなによりも道具を使ってみなければならない。&lt;br/&gt;どの点が良くて、どの点が悪いのかを吟味するためには、実践が不可欠である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;理論と実践の相互作用の中で、よりより理論を構築し、よりより成果を実践において生む。&lt;br/&gt;それが僕にとっての訓練である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;訓練をしているなかで、僕の訓練もしていくのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕と犬が学習しているなかで、僕の理論と実践の相互作用が生じる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;前者は自ずとできることだが、後者は反省が必ず必要となってくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;反省は自ずと生じるものでない。&lt;br/&gt;反省するためには、反省されるものが必要となってくる。&lt;br/&gt;反省されるものは、ここでは理論であり実践である。&lt;br/&gt;実践のあり方が間違っていたか、理論が間違っていたかを反省する必要がある。&lt;br/&gt;どちらが間違っていたかを知るには、まずどちらもが明確に説明されていなければいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;理論は説明によってなされる。&lt;br/&gt;実践は記述によってなされる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;説明は記述を前提としている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;記述されたものを反省するなかで説明が生じてくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;記述はおのずから生じる。&lt;br/&gt;説明が生じるには意志が必要となってくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その意志は、必ずしも意識化される必要は無い。&lt;br/&gt;しかしながら、意志は意識化することで精錬されていく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;自分が計画立てて実践するために必要なのが、意識化された意志である。&lt;br/&gt;意識化された意志が、すなわちここでは理論ということになる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;実践する際に、事前に自身が何を欲しているのかを知るためには理論が必要である。&lt;br/&gt;実践した後に、事後的に自身が何を欲していたのかを知るためには理論が必要である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;実践の開始と終了を理論が操作していなければならない。&lt;br/&gt;そのことを前提にして実践は行なわれていることを自覚しなければならない。&lt;br/&gt;意識化されていない実践をしても、理論は一向に精錬されることはないだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;答えはこれである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;より良い実践を目指すには、理論が必要である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それでは、僕の理論の説明を始めよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;理論の根本には存在論がある。次は、認識論である。そして、僕にとって必要な学習理論。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この三つの理論は有機的に繋がっている。&lt;br/&gt;どれも同じ方向性を向いている。三つに論を分けるのは便宜的に、分かりやすくするためだ。&lt;br/&gt;三つの論は矛盾無く組み立てられなければいけない。&lt;br/&gt;矛盾は理論自体には生じないようにしなければいけない。&lt;br/&gt;むしろ、理論に矛盾が含まれない範囲でしか、理論は適応しない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まずは存在論である。&lt;br/&gt;存在論とは、存在について論じることである。&lt;br/&gt;存在の有無を端的に論じることである。&lt;br/&gt;どのように存在するのか、何が存在を生じさせているのかを問うことはしない。&lt;br/&gt;それは存在論が明らかにしたことを元にして行なわれる学問である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そもそも存在論は学問として成立するのではなく、信念としてある。&lt;br/&gt;単なる告白である。&lt;br/&gt;僕は存在すると信じている。&lt;br/&gt;存在論はこれで終わりである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;次に、認識論である。&lt;br/&gt;認識論は、存在をどのように知るのかを論じることである。&lt;br/&gt;そのため、認識論は存在論をも含んでいるといえる。&lt;br/&gt;僕の立場はすでに述べた。&lt;br/&gt;存在するものをどのように知るのかをこれからは論じることになる。&lt;br/&gt;一方で、存在しないものをどのように知るのかを論じることはけっしてない。&lt;br/&gt;なぜなら、存在の有無は既に信念によって確定しているからである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;では、認識論を展開していこう。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2194391324872270139?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2194391324872270139/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/01.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2194391324872270139'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2194391324872270139'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/01.html' title='僕の認識論01'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2901967875863333345</id><published>2011-07-29T00:18:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:31.999+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='二重螺旋'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='創作'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='メモ'/><title type='text'>メモ 20110728</title><content type='html'>二本の竹の先端を捻じれた状態で結び、メビウスの輪の状態にする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;メビウスの輪のフレームを編みこんで、まずはスタードームの構造をつくれるか実験する。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2901967875863333345?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2901967875863333345/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110728.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2901967875863333345'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2901967875863333345'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110728.html' title='メモ 20110728'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1368199181349906825</id><published>2011-07-29T00:13:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:31.887+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='認識論'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='カント'/><title type='text'>ついに。</title><content type='html'>ついに今年の夏休みも何もしないまま過ごしてしまいました。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;自己嫌悪でいっぱいです。&lt;br/&gt;そのために何もかもが破綻してしまいました。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;せっかくしていたこともこれでおしゃかです。&lt;br/&gt;ある試験、このままお金の無駄になってしまいます。&lt;br/&gt;所詮、その程度の意気込みなのでしょう。&lt;br/&gt;どうしてこうもダメな人間なんだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あと二日で最低限しなければいけないことが残っています。&lt;br/&gt;学校の前期のまとめを文章にすること。&lt;br/&gt;自由研究の計画書を出すこと。&lt;br/&gt;今日はかならず前者の方を終えて一日を終えようと思います。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;本当はしたかったいくつものこと、できなかった代わりに書いておこうと思います。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１．試験勉強&lt;br/&gt;２．PHPのプログラミング&lt;br/&gt;３．カントの『プログロメナ』をまとめる。（今日は残った時間でこれをします）&lt;br/&gt;４． ベルクソンの『意識に直接与えられたものについての試論』と『物質と記憶』を読む。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;以上が、僕が目標としていた計画でした。&lt;br/&gt;一つもできずに終わってしまいました。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もう、何時間か眠ったかしれません。&lt;br/&gt;とにかく、眠りました。&lt;br/&gt;だんだん、何もかもが嫌になってきました。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;こういうことは何回も繰り返してきたことです。&lt;br/&gt;ことさら大事だと思わずに行こうと思います。&lt;br/&gt;まずは平時の気持ちに戻り、こつこつ事をやっていく他ありません。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この文章を書き始めているのは、宿題である「前期のまとめ」 を書くためです。&lt;br/&gt;他人にも分かるよう簡潔に文章を書く必要がありますが、今の状況じゃかならず失敗してしまいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まず、今のグチャグチャになってしまっている自我をおさめなければいけません。&lt;br/&gt;5時間ぐらいをかけて、文章を書き終えた頃に、やっと「前期のまとめ」を書く準備は整うでしょう。&lt;br/&gt;それから30分ほどで今日の課題は終わるでしょう。&lt;br/&gt;それまでの準備運動というか、潤滑油というか、物事には段取りというものが必要です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今日はとにかく筆を走らせてみよう。&lt;br/&gt;これいじょう何もしない時間はとれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;------------------------------------------------------------------------------------------&lt;br/&gt;カントの『プロレゴナメ』を読むことで僕は何を必要としていただろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;後期の訓練するにあたって、教えられた訓練の理論を自分なりに統一しておきたかったからだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;学習について考えるまえに、認識一般をどのように捉えるかを課題にした。&lt;br/&gt;人間の認識も犬の認識も包摂するような統一的な理論を必要とした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それがカントの『プロレゴナメ』を読み始めたきっかけだったはずだ。&lt;br/&gt;徹底して理解したいと長年思っているベルクソンでもウィトゲンシュタインでもなくカントにした理由はなんだったか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ベルクソンもウィトゲンシュタインもどちらも整理がつきにくそうだったからだ。&lt;br/&gt;二人の思考を好むとはいっても、彼らの思考をまとめるのには苦労しそうだ。&lt;br/&gt;だから、カントにした。&lt;br/&gt;カントの著書はこれまでに読んだことなかったが、理路整然としてまとめやすいと考えていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;結果、確かに彼の著者をまとめることは、ベルクソン、ウィトゲンシュタイン以上に容易いように感じる。&lt;br/&gt;さらに、彼は哲学史のなかで認識論の土台を築いた哲学者でもある。&lt;br/&gt;自分の統一的な認識論を確立したいと思う以上は、根本に立ち返ろうとした次第だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ただ、問題は怠惰に負けて、ここ二週間の大切な時間を失ってしまった。&lt;br/&gt;『プロレゴナメ』の理解も中途で終わってしまっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;本来、僕のやるべきことは、認識一般の基礎を自分なりに作っておくことである。&lt;br/&gt;後期の訓練では、その認識一般を踏まえたうえで訓練に望みたいというのが僕の希望だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;人と犬がどのように認識しているかを、自分なりに体系立てておく。&lt;br/&gt;後期では、その体系と実際の体験のすり合わせを行なっていこうと考えている。&lt;br/&gt;だから、今しかないのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まずは、中途で終えてしまったカントの『プロレゴナメ』の整理をしておく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1　認識というものが人間にはある。&lt;br/&gt;2　認識には、主観的なものと客観的なものがある。&lt;br/&gt;3　客観的な認識は、絶対的に正しい認識である。&lt;br/&gt;4　正しい認識を可能としている最初のものは、ア・プリオリな認識である。&lt;br/&gt;5　ア・プリオリな認識は、空間と時間という形式を伴う。&lt;br/&gt;6　空間と時間という形式で（物それ自体を)認識すること、それが直観である。&lt;br/&gt;7　2つの形式で認識された現象を正しく判断すること、それが悟性である。&lt;br/&gt;8　直観を悟性によって正しく判断すること、それが正しい認識である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1-1&lt;br/&gt;この点は疑いようのないことだと考えている。&lt;br/&gt;認識していることが前提にある。&lt;br/&gt;懐疑論には陥っていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2-1&lt;br/&gt;認識があるとからといって、すべての認識が正しいとは考えていない。&lt;br/&gt;誰が認識しても同じ認識になるような認識を人間はもっていると考えている。&lt;br/&gt;経験論には陥っていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3-1&lt;br/&gt;客観的な認識があることを前提としている。&lt;br/&gt;カントは、客観的な認識の可能性を問うているという点で、人間の主観に左右されない認識のあり方を肯定している。&lt;br/&gt;実在論ともとれる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;4‐1&lt;br/&gt;どのような認識があれば、客観的な認識が可能となるかを問うている。&lt;br/&gt;誰もが生まれ持っている（ア・プリオリな）認識を持ち出すことで、客観的な認識の可能性を問うているという点で、認識の根本を人間の観念に置くことを肯定している。&lt;br/&gt;観念論である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;5-1&lt;br/&gt;空間と時間という2つの形式を常に適応することを、ア・プリオリな認識としている。&lt;br/&gt;この点は独断的すぎる。&lt;br/&gt;そもそも空間も時間も、いったいそれがどのような形式なのかを規定することはできるのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;6-1&lt;br/&gt;2つの形式を通して認識することを、直観といっている。&lt;br/&gt;直観という曲者がでてきた。&lt;br/&gt;これを前提とする哲学どれも胡散臭く思える。&lt;br/&gt;それは、ベルクソンも同じである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;７-1&lt;br/&gt;ア・プリオリな認識である直観を、悟性によって判断する結果、正しい認識が生じると考えている。&lt;br/&gt;直観を悟性で判断する。&lt;br/&gt;おそらく、悟性は人間の論理的な思考で扱い得るものなのだろう。&lt;br/&gt;その悟性のうちで論理的に正しい判断というものを想定し、想定された正しい判断でもって直観の存在を正当化している。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;8-1&lt;br/&gt;正しい判断であるか否かは、直観と悟性の組み合わせが正しいか否かになっている。&lt;br/&gt;しかし、直観は単に形式を提供するにすぎないものであり、悟性を通して判断しない限り現実化しないものとされている。&lt;br/&gt;つまり、現実化したものから、正しい悟性や直観を演繹する方法でしか、人間は正しい悟性や直観に至らない。&lt;br/&gt;では、仮に正しい認識を間違った悟性や経験が導いている場合、それはどうのように演繹的に明らかにされるのだろうか？&lt;br/&gt;その正しさは、結局のところ、全ての正しさは直観や正しい悟性によるものだという前提でしかない気がする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;さて、これが僕が『プロレゴナメ』 を読んで得た成果だ。&lt;br/&gt;これを自身の認識一般の統一に役立てることができるだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;カントに納得できる部分と、納得できない部分を明示しておこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;9　まず、認識しているのは現象であるという点。&lt;br/&gt;この点には納得できる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;10　僕を抜きにして認識は生じないという点。&lt;br/&gt;この点も納得できる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;11　誰もが同じ認識をできるという点。&lt;br/&gt;この点は納得できない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;12　ア・プリオリな認識があるという点。&lt;br/&gt;納得できるが、それが空間と時間という形式であるという点は納得できない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;納得の仕方は単なる好みである。&lt;br/&gt;この好みを目安に自分の依拠する認識論を組み立てていく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;9-1&lt;br/&gt;この点は疑いたくない。僕が認識しているのは、認識されるものそのものではないという点。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;10-1&lt;br/&gt;この点も疑う必要がない。僕が存在しないという前提をしたところで、何も有益にならない。&lt;br/&gt;ただ、方法論としてはそのような考えを残しておくのみ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;11-1&lt;br/&gt;この点は好みの問題だ。同じ認識に至る必要性を感じない。問題は、誰もが同じような結果を得ることができるかだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;12-1&lt;br/&gt;ア・プリオリな認識があったとしても、直観のようにそれ自体を認識できないのであれば、ア・プリオリな認識を考える必要性はなくなる。&lt;br/&gt;さらに、ア・プリオリな認識は空間と時間という2つの形式のみしか想定されていないが、それ以外の形式を考えることこそが新しい認識を生むように思う。&lt;br/&gt;ただし、それはあくまでも空間と時間の形式を否定しないという形で。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;以上が、これから僕が組み立てていく僕なりの認識論のテーマだ。&lt;br/&gt;まとめておこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;13　現象を認識する。&lt;br/&gt;14　認識する主体は僕である。&lt;br/&gt;15　認識主体である僕以外の認識は問わない。&lt;br/&gt;16　問題を解くための有効な認識論であるべきだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;以上、4つを基本的なテーゼとして組み立てていこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;このへんでこの記事は終わりにしよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1368199181349906825?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1368199181349906825/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1368199181349906825'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1368199181349906825'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post.html' title='ついに。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1614252810759615212</id><published>2011-07-25T04:49:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:31.928+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='認識論'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='カント'/><title type='text'>現実逃避。</title><content type='html'>カントの『プロレゴナメ』を読んでいる。&lt;br/&gt;なぜこんなことをしているのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕は何を知りたいのだろう。&lt;br/&gt;知ってなんになるんだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;こういう問いを何度も繰り返している。&lt;br/&gt;こういう問いに真剣に取り組みもしないのに。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;良く分かっているのだ。&lt;br/&gt;僕が哲学の本を読み始める動機は。&lt;br/&gt;読み始めるときは決まって現実逃避をしているときだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;哲学とは、現実逃避である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;これだけは変わらず持ち続けている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今日も大半を眠りに費やしながら、眠り疲れた体とボーっとした頭で『プロレゴナメ』を読み進めた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;カントの言いたいことがおぼろげに頭に入ってきた。&lt;br/&gt;それは、いくらもある哲学入門書の理解で十分な内容だった。&lt;br/&gt;この程度の理解しかできないなら、原文を読む必要もなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕の理解したカントの主張はこういうことだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「空間と時間は形式である。この2つの形式を当てはめることで存在は認識されている。この2つの形式を当てはめてしまうことを人間は拒否することは出来ない。なぜなら、この2つの形式は、生まれながらにして人間に備わっているからだ。残念なことに、人間によって認識された存在は、存在それ自体ではない。あくまでも、人間が認識できる範囲は、2つの形式を当てはめることによって生じた現象である。」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;カントは、現象しか認識することができないと断言している。&lt;br/&gt;その断言を覆されないための予防線をいくらでもはっている。&lt;br/&gt;だから、断言を批判する前に、『プロレゴナメ』を深く理解しなければならない。&lt;br/&gt;しかし、その反論を理解することが何よりも難しい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;現象しか認識することができないという根拠は何か？&lt;br/&gt;きっと、『プロレゴナメ』に書かれてあるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;存在自体を認識できないのに、存在自体が無ければ認識できないというのはどういうことか？&lt;br/&gt;きっとそのことも本書に書かれてあるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;大哲学者は周到だ。&lt;br/&gt;僕が批判しそうなことすべての反論が本書にちりばめられているだろう。&lt;br/&gt;悲しいことに、その反論を理解することができない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;鵜呑みにできないと思いつつも、そもそも、鵜呑みにすることすらできないのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;カントを抜きにして自分で考えさえすれば良いのだ。&lt;br/&gt;独立独歩で哲学をしさえすれば良いのだ。&lt;br/&gt;哲学するのに他の人間の思考が必要だろうか？&lt;br/&gt;カントのお墨付きが無ければ、哲学の正しさを主張できないだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;いいかげん現実逃避を止めなければいけない。&lt;br/&gt;哲学をしているのではなく、僕は現実逃避をしているのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕の知りたいことを限定していかなければいけない。&lt;br/&gt;認識論を相手にするには僕の能力は小さすぎる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もっとミクロな視点から哲学していかなくてはいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あと4日以内に、自由研究の骨子を書かなければいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まずは、それを書き上げることが、哲学することだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬の利き足を調べることが、僕にとっての哲学することだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1614252810759615212?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1614252810759615212/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_25.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1614252810759615212'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1614252810759615212'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_25.html' title='現実逃避。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-537598451461939929</id><published>2011-07-24T02:51:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.039+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='動機'/><title type='text'>20110723_考えたところで。</title><content type='html'>僕がやりたいのは犬の脳みそにモノを植えつけることではないのだ。&lt;br/&gt;これは誰もが認める考えだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬の行動を促すための動機を脳みそに植えつけるわけでもないのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;行動の結果は、動機づけられた結果だと言う人は間違っていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、それって無意味じゃないか？&lt;br/&gt;なぜ無意味なのかは、今ここでは書かないけど。&lt;br/&gt;「AはAである」と言っているのとあんまり変わりないって僕は思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;行動を引き起こした原因に動機という言葉を当てはめるのを反対する人がいる。&lt;br/&gt;モノでも、情報でもない良くわからない動機という言葉にうやむやにされたくないからだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、「この犬に動機があるかどうか証拠を見せろ！」と言っても仕方が無い。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;だって、もともと動機は見せようがない概念なんだもの。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「ほら、こういう行動をするよう動機づけられているでしょ！」と示すぐらいしかできない。&lt;br/&gt;きっと、そう示しながら「なんだかなあ」ってその人も思ってるんだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;動機づけられれば学習が成立する。&lt;br/&gt;動機づけられなければ学習は成立しない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;なぜ動機づけられたかを議論し始めると堂々巡りを始める。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「学習が成立したから動機づけられた」と最後には言ってしまう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;原因がそもそもブラックボックスなのだから当然のことだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;結果からの因果論的な帰結として動機が選ばれたに過ぎない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それが、意識だって、心だって、あるいはマジックとしたって大して差は無いのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;原因に「動機」という言葉を使わずに説明できないものだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;原因が、誰が見ても、誰が聞いても分かるものであったならば・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そう思って、脳みそを調べ始めた人が多くいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、結局、原因は明確に示されるどころか、どんどんわかりづらいものになってきた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ついには、行動には原因と呼ばれるような明確な因子はないんじゃないだろうかって言い始めた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そもそも行動の結果に必ず原因は必要なのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;必要というか、行動の結果と原因は一対一の対応関係として成立しているのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最近は、そんなふうに行動科学は考えられ始めているらしい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一対一の対応関係は既に信じられていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、一対二、三、四ぐらいの対応関係は未だに大きな潮流となっているんじゃないだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;項を増やした分だけ原因の説明を複雑にしていっているんだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;だんだん複雑すぎて困り始めたら、きっとまた項を減らし出すんだろうな。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もう、結果には必ず原因が付きものだという考えを止めるしかないように思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そのためには、結果を頭で分析しようとしないことが何より大切だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;考えたところで、犬の行動の原因を正確に説明することはできないんだから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、だからといって原因分析が、訓練の役に立たない訳ではない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あくまでも、僕は今、原因を説明しようとすることの難しさを確認しているだけだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;毎日、犬の行動の結果を観察する中で、常に原因を分析しないといけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それは、GMが言うように「かもしれない」で十分なのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ううう、やばい、1週間寝た押しただけだ・・・。なにもやっていない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-537598451461939929?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/537598451461939929/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110723.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/537598451461939929'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/537598451461939929'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110723.html' title='20110723_考えたところで。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-6722263271908182680</id><published>2011-07-20T05:44:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.072+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='本居宣長'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='万葉集'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>日本。</title><content type='html'>「日本とは何か？」と問うことがなんになる。&lt;br/&gt;こんな問いにのめりこんで自己を見失ってはいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そんな考えを僕に植え付けたのは夏目漱石だろうか？&lt;br/&gt;久しぶりに『私と個人主義』を読んでみた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「一体国家というものが危くなれば誰だって国家の安否を考えないものは一人もない。国が強く戦争の憂が少なく､そうして他から犯される憂がなければないほど､国家的観念は少なくなって然 るべき訳で､その空虚を充たすために個人主義が這入ってくるのは理の当然と申すより外に仕方がないのです。今の日本はそれほど安泰でもないでしょう 。貧乏である上に､国が小さい 従って何時 いつどんな事が起ってくるかも知れない。そういう意味から見てわれわれは国家の事を考えていなければならんのです。けれどもその日本が今が今潰れるとか滅亡の憂目にあうとかいう国柄でない以上は､そう国家、国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。火事の起らない先に火事装束をつけて窮屈な思いをしながら､町内中駈け歩くのと一般であります。こういう事は実際程度問題で､いよいよ戦争が起った時とか､危急存亡の場合とかになれば､考えられる頭の人､考えなくてはいられない人格の修養の積んだ人は､自然そちらへ向いて行く訳で､個人の自由を束縛し個人の活動を切り詰めても､国家のために尽すようになるのは天然自然といっていい位なものです。だからこの二つの主義はいつでも矛盾して､何時でも撲殺し合うなどというような厄介なものでは万々ないと私は信じているのです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:71DAE225-7A86-476b-AB02-93AD817CAA63:03f00cb8-020b-4f79-867d-9e6bd4497772" class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: none; padding: 0px;"&gt;&lt;a href="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/95ae4f32c748.pdf"&gt;夏目漱石　『私の個人主義』.pdf&lt;/a&gt;」&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;&lt;div class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: none; padding: 0px;"&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;まったく漱石の言うとおりだ。&lt;br/&gt;考えられる頭の人、考えなくてはいられない人格の修養を積んだ人のみが国家を考えるべきだ。&lt;br/&gt;自己本位を確立できないうちから、日本について考えたり、国家の行く末を憂いても時間の無駄だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ただ、自己本位を確立するための方便として「日本とは何か？」を考えることもできよう。&lt;br/&gt;そのような魂胆を確認して初めて、僕はそのことについて考えることを許されるように思えてならない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;大野晋の『日本人の神』を読んだ。&lt;br/&gt;多くのことを学んだ。&lt;br/&gt;「日本とは何か？」と考えた先達の名前を知った。&lt;br/&gt;国学の系譜をメモしておこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;契沖（僧侶） 1640~1701&lt;br/&gt;荷田春満（神職の家筋） 1669～1736&lt;br/&gt;賀茂真淵（神職の一族） 1697～1769&lt;br/&gt;本居宣長（医者・仏教徒） 1730～1801&lt;br/&gt;平田篤胤（武士） 1776～1843&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;賀茂真淵、本居宣長は万葉集を参考にしながら、古事記を読み解いていったらしい。&lt;br/&gt;僕のおじさんに、万葉集に書かれてある地名の多くは九州のものだと主張する人がいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;万葉集を僕は一度も読んだこと無いけれど、そこに何かが隠されているようでならない。&lt;br/&gt;本居宣長が浮き彫りにしたかった、仏教文化と中国文明を取り去った本当の日本。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;未だに僕らは本当の日本の歴史を知らないのかもしれない。&lt;br/&gt;それは、邪馬台国論争のように、出口のない迷路だろう。&lt;br/&gt;深入りすることなく、気を抜いて関心を寄せる必要のある学問だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;日本語の起源を南インドのタミル語に求める大野晋の魂胆はどこか？&lt;br/&gt;本居宣長から続く、国学の系譜は今どのようになっているのだろうか？&lt;br/&gt;そんなことは正直、どうでも良くて、僕の関心は純粋な日本古来の感性を内に込めることができるかということ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最後に、『日本人の神』に引用されていた『古事記伝』の一文を載せておこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「天地が成ると、高御産巣日神の御霊によって伊邪那伎、伊邪那美の二神が生まれた。ついで天照大御神が生まれた。その日の神の高御座に天皇命がお坐りになる。その一筋が連綿とつづく。それが日本の神の道である。その道に人々が従って、下が下まで乱れることもなく、天下はおだやかに安らかに治まって来た。それが日本のありかたなのだ。中国では仁儀礼譲孝悌忠信などとさまざまに作りたてて人々にきびしく教えようとする。これも世人をなつけるための計りである。日本にはそのような、ことごとしい教えは何もなかった。それにもかかわらず日本はよく治まって来た。それこそが日本なのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『日本人の神』 p91」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:670a8623-41b5-4b46-a744-617525c19fff" class="wlWriterEditableSmartContent" style="width: 228px; display: block; float: none; margin-left: auto; margin-right: auto; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh3.ggpht.com/-hUwdVau2s_M/TiLYOPtYGCI/AAAAAAAAAzc/5y12DwMpwIU/s400/08-20110716.JPG" alt="" width="228" height="400" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-6722263271908182680?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/6722263271908182680/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_20.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6722263271908182680'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6722263271908182680'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_20.html' title='日本。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh3.ggpht.com/-hUwdVau2s_M/TiLYOPtYGCI/AAAAAAAAAzc/5y12DwMpwIU/s72-c/08-20110716.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-6304508917858363727</id><published>2011-07-19T01:12:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.057+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>祇園と童子。</title><content type='html'>二年目の祇園祭。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;京都の八坂神社の祇園祭。&lt;br/&gt;小倉にもあるお祭だけど、これといった思い出はない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そんなお祭りの宵山を二年連続で詣でに行くことになった。&lt;br/&gt;すこしだけは、思い出となったな。&lt;br/&gt;来年も期せずして行ったら、何か縁があると思うことにしよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;祇園祭は八坂神社のお祭りだ。&lt;br/&gt;疫病を流行らせた怨霊を鎮める目的で始まったのが祇園祭。&lt;br/&gt;鎮めるために担がれたのがスサノヲノミコト。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;だから、八坂神社の祭神はスサノヲノミコト。&lt;br/&gt;他に、彼の奥さんのクシイナダヒメと、ヤハシラノミコガミが祭られている。&lt;br/&gt;ヤハシラノミコガミは、二人の間に生まれた八人の王子のことらしい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;a href="http://www.kyoto-wel.com/yomoyama/yomoyama10/048/048.htm"&gt;http://www.kyoto-wel.com/yomoyama/yomoyama10/048/048.htm&lt;/a&gt; （祇園祭と八坂神社のお話）&lt;br/&gt;&lt;a href="http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/shrine/02.html"&gt;http://web.kyoto-inet.or.jp/org/yasaka/shrine/02.html&lt;/a&gt;（八坂神社のHP）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh3.ggpht.com/-F9FoFVEJLJg/TiLYJsP27mI/AAAAAAAAAy0/9ocptsr8ZX8/00-20110716.JPG?imgmax=400" alt="00-20110716.JPG" width="400" height="228" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;神社の境内では、島根から来た社中がお神楽を奉納していた。&lt;br/&gt;スサノヲノミコトがクシイナダヒメを助けるために八岐大蛇を退治する「大蛇」 は最後の演目だった。&lt;br/&gt;最後の演目まで見ると帰るのが遅くなるので「大江山」という演目だけを見て帰った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh6.ggpht.com/-N8kpRjmzZqA/TiLYNGKvM8I/AAAAAAAAAzQ/ct9zjPAMmRw/06-20110716.JPG?imgmax=400" alt="06-20110716.JPG" width="228" height="400" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「大江山」という演目も、それはそれは有名な演目のようだ。&lt;br/&gt;酒呑童子という有名な童子が出てくるお話で、誰かが鬼退治をするということは理解して見ていた。&lt;br/&gt;しかし、有名な童子が劇中のどれかがわからない。&lt;br/&gt;「たしか悪者なはずだ」という記憶を元に観劇していたが、だんだんそれが怪しくなってくる。&lt;br/&gt;途中から、討伐する一人がどうしても酒呑童子に思えて仕方なく、酒呑童子はついに鬼を退治したというストーリーになっていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;丹波の国大江山に酒呑童子という悪鬼が配下を従えてたてこもり、都はもとより辺りの庶民を苦しめるので、帝は、誉れ高い源頼光、渡辺綱、坂田金時などに命じて、山伏修験者に変装し、大江山に上り、ついに酒呑童子を退治するというのが実際のストーリー。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;a href="http://www.city.hamada.shimane.jp/kankou/kagura/enmoku/syoukou_006-31.html"&gt;http://www.city.hamada.shimane.jp/kankou/kagura/enmoku/syoukou_006-31.html&lt;/a&gt;（石見神楽）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕が勝手にイイモンにしていた酒呑童子、無類の酒好きだったらしい。&lt;br/&gt;童子というからには、鬼の子どもだったのだろうか？&lt;br/&gt;出生の伝説は色々あるようだけど、どの説も読むと童子を可哀想に感じてしまう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;a href="http://www.nohmask21.com/oni/densetsu02.html"&gt;http://www.nohmask21.com/oni/densetsu02.html&lt;/a&gt;（酒呑童子の出生伝説）&lt;br/&gt;&lt;a href="http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/maiduru/dgsyuten.htm"&gt;http://www.arc.ritsumei.ac.jp/archive01/theater/html/maiduru/dgsyuten.htm&lt;/a&gt;（錦絵　酒呑童子）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ちなみに酒呑童子の舎弟に、茨木童子という鬼がいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;生まれの一説は、現在の大阪茨木市にあたる地のようだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;a href="http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/0550231.shtml"&gt;http://www.nichibun.ac.jp/YoukaiCard/0550231.shtml&lt;/a&gt;（茨木童子）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「大江山」を見た帰り道、南楼門から出てしばらくすると、「清水寺近道」と書かれてある看板があった。&lt;br/&gt;看板の掛かっていたホテルの中を抜けて、誘われるようにふらふら歩いていると「石塀小道」という小道に迷い込んだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh5.ggpht.com/-j4LKBIB8tS8/TiLYNyCjkxI/AAAAAAAAAzY/Ww-CJKEpNYo/07-20110716.JPG?imgmax=400" alt="07-20110716.JPG" width="228" height="400" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;石畳の小道を歩きながら、京都を散策できることを幸せに思った。&lt;br/&gt;あと何回、京都や奈良にこれるだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そう長く続かないのはわかっている。&lt;br/&gt;残りの時間を大切にしよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この夏休みもね。&lt;br/&gt;ああ、やることがいっぱいなのにここに来て、やったことはこの日記をだけ・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;やばい。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-6304508917858363727?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/6304508917858363727/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_19.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6304508917858363727'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6304508917858363727'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_19.html' title='祇園と童子。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh3.ggpht.com/-F9FoFVEJLJg/TiLYJsP27mI/AAAAAAAAAy0/9ocptsr8ZX8/s72-c/00-20110716.JPG?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-6567781101408828215</id><published>2011-07-14T05:30:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.066+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='評価'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='優位性'/><title type='text'>20110713_訓練記録</title><content type='html'>1 評価&lt;br/&gt;・犬の評価は、絶対評価ではなく相対評価でやったほうが良い。&lt;br/&gt;・基準に対する評価はのちのちのことだろう。&lt;br/&gt;・今は色々な犬を評価する中で、しかも間隔をおかずに数頭を評価する中で、相対的に比較していくのがベストだ。&lt;br/&gt;●「こいつはバカだ」という人間を評価する際、その人が相対から絶対への階段を上がってきたのか、その逆なのかを良く知ること。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 頭の悪い犬というもの&lt;br/&gt;・評価する中で、「なんとなく頭悪くみえる」犬が居た。&lt;br/&gt;・指導する人も、「学習能力が低い」と言った。&lt;br/&gt;‐僕はなんとなく顔でそう判断し、指導する人は犬の行動で判断していた。&lt;br/&gt;‐僕の一目見た印象と、指導する人の分析が一致した。&lt;br/&gt;●僕は指導する人と同じような評価ができる人間と言えるか？&lt;br/&gt;●同じ言葉でも、発せられた原因は異なっている。&lt;br/&gt;・ちなみに、僕は原因を「なんとなく」と表し、指導する人は「夢中になる理由に、明確な理由が無い」。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3 考える犬と考えない犬&lt;br/&gt;・感受性の高い犬は概して学習能力が高い。&lt;br/&gt;・感受性の低い犬は概して学習能力が低い。&lt;br/&gt;‐これは、慣れないものへの対処が学習能力の高低だと言っているのと同じ。&lt;br/&gt;●この場合、人は有能から無能へと進むことを良しとしているのと同じ。&lt;br/&gt;●学習能力に、どんな意味を与えているのかを明確にしておかないと、ただ「高い、低い」と言っているだけになる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;4 優位性&lt;br/&gt;・人が腹ばいにさせようとしても絶対に嫌がる犬の優位性の高さ。&lt;br/&gt;●行動から内面を推測する方法は無数にあるようだぞ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-6567781101408828215?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/6567781101408828215/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110713.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6567781101408828215'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6567781101408828215'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110713.html' title='20110713_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-4951869294817314064</id><published>2011-07-13T08:45:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.027+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='評価'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='夢中づくり'/><title type='text'>20110712_訓練記録</title><content type='html'>1 夢中づくり&lt;br/&gt;・GOODを教えるため。&lt;br/&gt;・表現が稟性なのか、学習なのかを見るため。&lt;br/&gt;・どのような過去を過ごしたかを推測するため。&lt;br/&gt;‐GOODの関連付けと評価の二つが主な理由。&lt;br/&gt;● 犬に媚びること、遊ばせることが目的ではない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 評価　Mさんのお話&lt;br/&gt;・頭の中にフローチャートがある。&lt;br/&gt;・・いくつものフローチャートの分岐の最後にある、稟性と学習項目。&lt;br/&gt;‐さまざまな犬を評価するたびに、その都度フローチャートを出すことができるか？&lt;br/&gt;・これまでのフローチャートでは図ることの出来ない犬を評価するたびに、新しいフローチャートが作られる。&lt;br/&gt;‐&lt;br/&gt;・全てのフローチャートを当てはめることはしていない。&lt;br/&gt;・・その犬を数秒観察する中で、必要なフローチャートが頭に浮かびあがっているのだろう。&lt;br/&gt;‐経験を積み重ねるなかで、初見の犬を、数分で評価できるようになってくるだろう。&lt;br/&gt;●経験が積み重ねるものは頭の整理なのか？体の動かし方なのか？どちらもなんだろうけど。&lt;br/&gt;●闇雲に動いてもいけないし、整理に躍起になって動かさないのもいけないし。&lt;br/&gt;●イチローが言っていたことを思い出す。「準備運動で240球ぐらい投げていると、だんだん別の領域に入ってくる。」&lt;br/&gt;&lt;a href="http://www.youtube.com/watch?v=H8KdXTBLjAg"&gt;http://www.youtube.com/watch?v=H8KdXTBLjAg&lt;br/&gt;&lt;/a&gt;●集中と努力の果てにあるなんかっていうことになるわけか・・・無理。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-4951869294817314064?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/4951869294817314064/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110712.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4951869294817314064'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4951869294817314064'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110712.html' title='20110712_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-4235648646270247646</id><published>2011-07-12T09:05:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T10:03:32.021+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ジロウ'/><title type='text'>20110711_ジロウ</title><content type='html'>もうすぐキミともお別れだからね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もう何も言うことはないよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;初めから言うことなんかなかったけど。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;とにかくキミが聞くようにしなくちゃいけなかったんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そういうのわかる？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミはさ、たぶんわからないんだろうな。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その前に、ジロウという名前をキミは知らないよね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、僕のなかでキミはジロウなんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ジロウにとって、僕はさ、匂いかもしれないのにね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、残念なことにキミは、漂ってくる匂いの集まりじゃなくて、存在なんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;難しいことをキミに言っても仕方ないよね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一つだけ教えてあげるよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕らの世界では、「遅れてしまう」ことが重要なんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミをジロウとするまでに、僕は随分と長い時間をかけたよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕も、キミと同じように多くのものを集める。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それは、キミと同じぐらい速くできる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、キミと違うのはすぐにはそれを捨てないんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ときには、捨てずにずっと持っておくものもある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;むしろ、とっておくことが何より大事だっていう人の方が多いんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミはきっと集めたときと同じぐらいの速さで、捨ててしまうよね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;集めては捨てるのを遅らせ、何をしようとしているかって？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;同じものを数え上げているんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;昨日も、今日も、明日も、これから何年後だってキミはジロウなんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;さいしょに言ったように、言うことなんかなかったんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;言わなくても、キミが聞いてくることを求めている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もうわかっているよね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そのときからだろうね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕がキミから何かを教えられ始める。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミはジロウではなく、漂う何かの集まりだって感じ始める。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕は、&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それまでの集めたものを、どんどんと捨てていって、&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最後に、&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミを一つの存在じゃなくて、空気のように吸い込む。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;おしまい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ジロウ、一つ覚えたね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あとは好きな道を選ばせてくれるさ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:58034071-beb6-404d-998c-d17d72f19e8e" class="wlWriterEditableSmartContent" style="width: 400px; display: block; float: none; margin-left: auto; margin-right: auto; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh4.ggpht.com/-cX1fqe7nr0c/ThsQoyOFYsI/AAAAAAAAAyg/oH51WFTfm6s/s400/---20110711.jpg" alt="" width="400" height="300" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-4235648646270247646?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/4235648646270247646/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110711.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4235648646270247646'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4235648646270247646'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110711.html' title='20110711_ジロウ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh4.ggpht.com/-cX1fqe7nr0c/ThsQoyOFYsI/AAAAAAAAAyg/oH51WFTfm6s/s72-c/---20110711.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1407887658215031794</id><published>2011-07-11T10:23:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.664+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>予知夢と記号化された場所。</title><content type='html'>湧き出る言葉に思いを寄せてこのまま死んでしまいたい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その言葉を一つの魂に寄せてキミは僕のもとを去っていく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この先に道があるかもわからず大急ぎで走った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;このまま書き綴られていく言葉に、僕は戸惑いと感動を覚える。&lt;br/&gt;詩を書くというのはそうあるべきなのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;独り歩いていると、メロディを口ずさむように言葉があふれ出てくることがある。&lt;br/&gt;そのときの高揚感とも倦怠感ともとれぬ、不思議な感覚に身を寄せる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img alignleft" src="http://lh4.ggpht.com/-eJFZktFzi_I/ThmtOMt6MSI/AAAAAAAAAx4/zYNp9LbTW6A/00-20110709.JPG?imgmax=400" alt="00-20110709.JPG" width="228" height="400" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;久しくそのようなことが起こらなくなった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;心地よさをともない吐いて出てくる言葉というものがある。&lt;br/&gt;それを書き留めることの出来なかった僕はもったいないことをした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一人の内気な少年のしゃべる独語のようだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あれはもうこないのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;きっとそれを持ち続けていたら、僕は詩人になれただろうのに。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;懐かしさというのはどういう感情のことをさすのだろうか？&lt;br/&gt;かつて歩いた場所を再び訪れるときに感じるだけを懐かしさとは言わない。&lt;br/&gt;むしろ、かつて歩いたはずもない場所に懐かしさを覚えるときのほうが多くある気がする。&lt;br/&gt;それを懐かしさというのか僕には分からないが、懐かしさととても近い感覚であるのは確かなのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ある人はそれをデジャブと言ってみたりするのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし、過去とのつながりだけを想起させる場所だからだけだとも思えない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そもそも、懐かしさとは過去を想起させる場所なだけで生じる感情なのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;東京大学の構内を歩きながら僕は確かに遠い未来を見ていた。&lt;br/&gt;「あ、いつかこの場所を思い出すだろうな」という思いは数秒後に懐かしさへと変わっていっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕がこの場所を訪れたのは初めてであり、今後この場所を訪れそうにないとも思っていながら、僕は懐かしさを感じている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「あ、いつかこの場所を思いだすだろうな」という言葉が僕に伝えたかった唯一のものは何だったのだろう？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;おそらく、僕が懐かしさを感じるとき、僕の脳みそは過去と未来と現在のつながりを意識している。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そのつながりは、記号化された場所で、過去と現在と未来を横断できる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;記号化された場所にたどり着くたび、その場所は僕に別の記号化された場所を思い起こさせたり、予知させたりするのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;どのような場所にでもこの記号が付される訳ではない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ある一定の心地よさの条件、あるいは特異な状況が伴うときにいたその場所は、記号化された場所となる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;記号化された場所というのは、かならず別のものに置き換わる可能性を秘めている。&lt;br/&gt;というより、置換可能である可能性を秘めていなければ記号ではなくなる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;記号化された場所は、その場所を近くからでも、遠くからでも眺めることができる。&lt;br/&gt;近くから眺めるときの僕は、「あ、この場所はいつかのある場所を思い出させる」という言葉を生じさせている。&lt;br/&gt;遠くから見るこの場所の眺めは、「あ、いつかこの場所を思い出すだろうな」という言葉を生じさせている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;近くから眺めることは、現在との近接でありながら、それは過去への想起を呼び起こす。&lt;br/&gt;遠くから眺めることは、未来へと近接することであり、結果的に現在を過去に変異させることだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;現在と過去のつながりが、徐々に現在と未来のつながりをも予知させるとき、僕らはその場所を記号化する。&lt;br/&gt;それが懐かしさというものではないだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その感情は、予知夢を見ている少年の幸せだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;p style="text-align: left;"&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh5.ggpht.com/-wm5YzUS7IIQ/ThmtROK34KI/AAAAAAAAAyI/Bot_uY6w13U/00-20110710.JPG?imgmax=400" alt="00-20110710.JPG" width="400" height="228" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1407887658215031794?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1407887658215031794/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_11.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1407887658215031794'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1407887658215031794'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_11.html' title='予知夢と記号化された場所。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh4.ggpht.com/-eJFZktFzi_I/ThmtOMt6MSI/AAAAAAAAAx4/zYNp9LbTW6A/s72-c/00-20110709.JPG?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5336447164435709802</id><published>2011-07-05T08:33:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.738+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110704_訓練記録</title><content type='html'>1 Mさんの言葉&lt;br/&gt;・毎日、夕飯の片づけをするように言われていた子供は、夕飯の片づけをするように言われなかったときどう考える？&lt;br/&gt;・・①「あ、片付けなくていいんだ？」②「今日は、片付けるよう言うの忘れてるな。」&lt;br/&gt;・・・きっと②と考える子供のほうが多いんだ。&lt;br/&gt;・・②と考えた子供が、仮に言われなくても夕飯の片づけをしていたところを褒めると、どうなる？&lt;br/&gt;・・・きっと、次も何も言われなくてもしようかなって考えるはずさ！&lt;br/&gt;-環境刺激に移行する際、そのまえに指示によって確実にどんなところでも出来ていることが必要。&lt;br/&gt;-移行は指示をなくして環境刺激にすることだ。しかし、指示から環境刺激に移行する間に、なくされた指示で犬が考えるという中間がなければいけない。&lt;br/&gt;●見えないものを見ようとすること、聞こえない声を聞こうとする耳が、考えることでなければいけない。考えようとする考えを、考えることにするのはおかしい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5336447164435709802?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5336447164435709802/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110704_05.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5336447164435709802'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5336447164435709802'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110704_05.html' title='20110704_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5116564925960534950</id><published>2011-07-05T08:14:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.730+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ジロウ'/><title type='text'>20110704＿ジロウ</title><content type='html'>なぜ僕が最近、キミの求めていることをし始めたのか、キミはわかる？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;きっとキミがそれを言葉で考えようとしている間は何もわからないだろうね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕はキミを言葉で考えはしないよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕を言葉で考えてしまっては僕のことがわからないんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミが僕のおきてに入るなら、僕を言葉で考えてはいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕を一つのキミの器官と考え始めなければいけないよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「遅れてしまう」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;なんと言えばいいのか、この一言だけを教えておいてあげる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミが僕の反応をとらえ、それから言葉にするまでの間に、既に次の反応が始まっているんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミが考えに耽っているなんてことしたら、キミはもういくつもの僕の反応を取りこぼしてしまうだろうね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミはまず見ることから始めなければいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;見るというのは、「見る」ということとは違うんだよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;顔を「見て」はいけなんいだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;見ている顔でいいんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;とにかくその今の見ている顔を見るんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;見ていなければいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;見ている顔を、キミはいつも「顔」という一まとまりにしてから見はじめようとしてしまう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;昨日の顔、犬の顔、きれいな顔、嫌な顔、といった一まとまりにして、見ている顔を見てはいけないんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;キミは、言葉で色々な違いを一まとまりにしてしまうようよく訓練されている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、それは見ることをどんどんそぎ落としてしまうんだよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;見たいものしか見ることしかできないと、キミはいつまでも違いを見ることはできない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あくまでも、今見ているのは違いなんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;違いを一まとまりにした「顔」ではないんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;無記名の何らかの違いさ。ただそれだけ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;無記名の何らかの違いを見れるようにならないと、きっとキミは常に僕に遅れをとってしまうよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;意味がわかるかな？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;違いに意味を求めてはいけないんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;刺激と反応の間を言葉で埋めようとしないで。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そうする前に、キミがしなければいけないのは、反応の次の反応を見ること。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;変化し続けるものに意味もなく身を置くこと。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ただそれだけが、キミが僕の考えに追いつける唯一の方法だから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕の考えに言葉はない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;意味のない考えは言葉ではないんだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;だから、僕には生きている目的に意味なんかないよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「目的」を考えるのは、僕じゃなくてキミだから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;よくそのことを考えてみて。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;すると、またキミは言葉で考えようとする・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img aligncenter" src="http://lh6.ggpht.com/-3sOPe8bM9I8/Tg8o-9BDo2I/AAAAAAAAAv0/a9n5Rlye2lA/---20110703%252520%2525281%252529.jpg?imgmax=400" alt="---20110703 (1).jpg" width="400" height="296" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5116564925960534950?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5116564925960534950/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110704.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5116564925960534950'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5116564925960534950'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110704.html' title='20110704＿ジロウ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh6.ggpht.com/-3sOPe8bM9I8/Tg8o-9BDo2I/AAAAAAAAAv0/a9n5Rlye2lA/s72-c/---20110703%252520%2525281%252529.jpg?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-9137332555878453359</id><published>2011-07-04T07:34:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.810+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='甥っ子'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='記憶'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='終わらないアトリエ'/><title type='text'>おおきなきがほしい。</title><content type='html'>かけがえのない時間。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もうどうすることもできない時間。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そんな時間がある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;甥っ子の誕生を祝うために両親がやってきた。&lt;br/&gt;甥っ子は３歳になった。&lt;br/&gt;これからの記憶は後々も思い出せるようになるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;幼すぎて覚えていない記憶はどこかで人生に影響を与えるのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="font-size: small;"&gt;&lt;span style="line-height: normal;"&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh3.ggpht.com/-9chacn431ok/Tg76c_N1siI/AAAAAAAAAuw/Ko9igoz0jOM/04-20110702.JPG?imgmax=400" alt="04-20110702.JPG" width="228" height="400" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それはどんな形で甥っ子の人生を決定付けているのだろうか？&lt;br/&gt;これからの記憶とはまったく違った形で人生に影響を与えているのかもしれない。&lt;br/&gt;幼児期健忘の理由はまだ完全に解明されていないという。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;幼児が思い出せる記憶を脳に留めだす時期と、言葉を流暢に駆使しだす時期はかさなっている。&lt;br/&gt;言葉によって覚えていない記憶は脳の引き出しから捨てられるという説もあるようだ。&lt;br/&gt;言葉によって記憶する方法以外の方法で記憶された記憶は、想起という形では今に顕在化しないというわけだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;言葉によらない顕在化とはどのようなものかを僕は知らない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="font-size: small;"&gt;&lt;span style="line-height: normal;"&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh3.ggpht.com/-bLHHIJIdKiw/ThAzjcTRHsI/AAAAAAAAAwM/iLI0E5iVkfg/00-20110703.JPG?imgmax=400" alt="00-20110703.JPG" width="228" height="400" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それは言葉できない、ある情念といったものだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;甥っ子を見ながら、幼少の自分を振り返ろうとするたび、胸をかきむしられる。&lt;br/&gt;そのような情動こそが、言葉によらない記憶なのかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh5.ggpht.com/-6wVg3gjPldo/ThAzi0ZJURI/AAAAAAAAAwI/5mwBsELrTlc/01-20110703.JPG?imgmax=400" alt="01-20110703.JPG" width="228" height="400" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;甥っ子の誕生日にあげた、虫眼鏡と聴診器。&lt;br/&gt;「見る」と「聞く」のシンボルとしてあげた。&lt;br/&gt;言葉で統一しないままで「見る」と「聞く」をこれからもやって欲しいと思う。&lt;br/&gt;いつしか言葉が僕らの五感を鈍らせるものだから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;３つ目のプレゼントは、絵本の『おおきなきがほしい』にした。&lt;br/&gt;僕が幼少の頃に胸ときめかした絵本は『ぼくのロボット大旅行』とこの絵本のようだ。&lt;br/&gt;この２つの絵本を思い出すたびに、やはり胸をかきむしりたくなる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『おおきなきがほしい』を僕に与えた僕の両親。&lt;br/&gt;姉と甥っ子を加えた５人で新宿御苑を散策をした後、母と二人で国立近代美術館へ向かった。&lt;br/&gt;パウルクレーの「終わらないアトリエ」を見に行ったのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;三回目となった「終わらないアトリエ」。&lt;br/&gt;やはり図録を買うべきだったろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まあいい。&lt;br/&gt;言葉にならない記憶としてきっと僕に何らかの良い影響を与えてくれていることだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="font-size: small;"&gt;&lt;span style="line-height: normal;"&gt; &lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-9137332555878453359?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/9137332555878453359/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_04.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9137332555878453359'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9137332555878453359'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/blog-post_04.html' title='おおきなきがほしい。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh3.ggpht.com/-9chacn431ok/Tg76c_N1siI/AAAAAAAAAuw/Ko9igoz0jOM/s72-c/04-20110702.JPG?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-4500765169821574846</id><published>2011-07-01T18:02:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.711+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ジロウ'/><title type='text'>20110630_なんかね</title><content type='html'>正直ね。&lt;br/&gt;突き詰めると生きていることには目的なんかなくなるわけさ。&lt;br/&gt;生きていることが目的であると見なせるほど分かったような奴でもないし。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;正直ね。&lt;br/&gt;なんでここにいるんだろう、っていう考えばかりさ。&lt;br/&gt;それは誰も一緒だという慰が無かったらきっと毎日は地獄さ。&lt;br/&gt;かんかん照りの中を意味もなく歩いているようにしか思えない。&lt;br/&gt;きっと通る奴みんなも同じ気持ちを抱いて歩いてるんだろうって。&lt;br/&gt;そう思わなくちゃ、お先がまっくらで歩けやしないよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;すれ違う奴に、少しでも眼を輝かせている奴がいると、俺は空しくなる。&lt;br/&gt;こいつにも、「生きることに意味は無いんだよ」と教えてあげたい衝動で悲しくもなる。&lt;br/&gt;生まれて社会をなにも分からないときの俺はきっとこうだったんだろうなって思うと、仕舞いには泣きたくなってくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「ワオーン」って遠吠えしたってもう誰も相手にしないことは分かってるさ。&lt;br/&gt;静かにじっとしている奴らは、きっと俺の何倍も何十倍も世の中のことをわかってるんだろうさ。&lt;br/&gt;それは生き方を見極めているから？それとも、諦めているから？&lt;br/&gt;「キュウンキュウン」と尻尾を振って迎えるほど、見境の無いように振舞えれば、きっと俺は幸せなんだろうな。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ション便垂れて、ウンコ垂れて、「出て行け！」と言って放ってくれるようなら俺にも自由はあるってわけだ。&lt;br/&gt;一つの存在でありながら、その権利を誰かに貸してしか生きられない。&lt;br/&gt;生きるも死ぬも手の内にあるようで、その手からこぼれおちているようで。&lt;br/&gt;所詮、俺も奴らも同じなんだろうから、安心してこぼれ落ちるに任せればいいのにさ。&lt;br/&gt;それができないのは、もう今の世界に野生はないから。&lt;br/&gt;自嘲気味に笑ってなきゃ、世の中からもこぼれ落ちるから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今日も色々と言われたよ。&lt;br/&gt;きっとそれが教育ってもんなんだろうな。&lt;br/&gt;教育という言葉で片付けられるほど、俺の生き様は如何様にも施されるべきものだってことだろうよ。&lt;br/&gt;だれかが言ってたっけ、「生まれるのでなく、創られるのだ」って。&lt;br/&gt;でも、それって、穿った見方をすれば、俺は薄っぺらい白紙で、如何様にも書けるって意味だろ。&lt;br/&gt;ペンも俺が誰が持ってるんじゃないのかよ・・・。&lt;br/&gt;まあ、たとえペンを持っているのが俺でも、横取りされてしまうのが俺たちの言う社会ってやつさ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もし俺が俺の白紙に俺のペンを持って俺の自由に書けるとするなら、絵をかくだろうな。&lt;br/&gt;誰にも理解できない絵。&lt;br/&gt;唯一、俺だけがその意味を知っている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;え？&lt;br/&gt;俺はジロウだよ。&lt;br/&gt;お前が名づけたはずだよ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:fb0aac07-21ae-4686-bf7a-5cf5efbded06" class="wlWriterEditableSmartContent" style="width: 400px; display: block; float: none; margin-left: auto; margin-right: auto; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh4.ggpht.com/-4wQO78NM6dw/TgydkCIbApI/AAAAAAAAAts/ZZu2wbC_VHI/s400/------%252520%2525281%252529.jpg" alt="" width="400" height="300" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-4500765169821574846?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/4500765169821574846/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110630.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4500765169821574846'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4500765169821574846'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/07/20110630.html' title='20110630_なんかね'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh4.ggpht.com/-4wQO78NM6dw/TgydkCIbApI/AAAAAAAAAts/ZZu2wbC_VHI/s72-c/------%252520%2525281%252529.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1368797602621977186</id><published>2011-06-28T08:58:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.652+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ジロウ'/><title type='text'>20110627_ジロウ</title><content type='html'>&lt;table border="1"&gt;&lt;tbody&gt;     &lt;tr&gt;       &lt;td&gt;ジロウの考えを言葉にするには、やっぱりジロウに人になってもらわないといけないのだ。 &lt;/td&gt;     &lt;/tr&gt;   &lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;  &lt;p&gt;朝起きて、おしっこがしたくなる。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;でも、僕はケージの中。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;どのぐらいまっておけばいいんだろう。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;「ワン、ワン」と吠えてみる。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;おしっこさせてって言ってるんだよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;どうせ無視するか？&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;何か怒鳴るだけだろうよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;悲しくなる。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;もういいよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;今日もここでしてしまうよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;ごめんね。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;僕には僕の考えがあるんだ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;嫌だな。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;おしっこで汚れたところで寝るのは。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;おしっこをして、立っておこう。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;ここはとっても狭いけど。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;なんとか、おしっこのかかってないところに立っておける。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;しばらくしたら出してくれる。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;だから、僕は我慢するより、立ってまっておく。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&amp;#160;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;「WAIT」はこれじゃないの？&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;いつも「GOOD」って言ってたじゃない。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;なのに今日は、これは「NO」なんだ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;なら、どうすれば良いか教えて。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;そしたら、僕もそうするから。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;どうせ、またいつかまた変わるんだろうけど。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;それも我慢して、言うこと聞くからさ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;今日は「WAIT」と言ったら、座ったらいけないんだね。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;わかったよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;なら座らないよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;また「NO」？&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;なんで？&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;座らないことが「NO」なら、座らなければいいわけでしょ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;違うんだ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;どうしたらいいのさ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;とにかく座ったら「NO」と言うんだね。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;わかった、ぼくもとにかく座らないことにするよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;あとはもう知らないよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;なんども「WAIT」と言われるたびに座らないよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;あ、やっと「GOOD」と言い出した。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;座らない、そして、動かないというわけね。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;動かなければいいわけね。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;わかった、座らず、動かないよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;それでいいみたいだね。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;「GOOD」ばかり言い出した。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;んん？&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;こんどは動かないと「NO」と言い出したよ。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;「COME」と言ったら、動くわけね。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;・・・。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;動けとか、動くなとか、いったい何を僕にさせたいのだろう。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;言うことに従う、ということすらできなくなるじゃないか。&lt;/p&gt;  &lt;table border="1"&gt;&lt;tbody&gt;     &lt;tr&gt;       &lt;td&gt;もらしてしまうのも、「WAIT」を覚えることも、僕と彼の要求が双方で食い違う。          &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;食い違いが、どんどん食い違いを生み始める。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;いつしか、彼にとってのコマンドは、常に変わり続ける何かになる。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;そして、そのうちコマンドで彼が動くことはなくなる。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;あるいは、コマンドは上の空でどこか遠くの方を眺めだす。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;要求していることをしないことと、要求していないことをすること。           &lt;br /&gt;食い違っているという点で二つに違いは無い。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;食い違いを複雑にしてしまう要因は、食い違いを食い違いで片付けようとするからだ。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;僕の要求を通すことばかりが、食い違いを食い違いで片付ける方法だ。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;食い違いが生じだしたら、まずは次のことを始めなければいけない。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;彼の要求を通すことが、僕の要求を通すこととなるようになることを目指す。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;そのためには、彼の要求のなかで、僕の要求と一致するものを探していく。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;そして、お互いの要求が一致することばかりを繰り返す。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;そのうちに、彼が、要求を通すことのできる人間と見なしだす。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;ある意味、勘違いしだす。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;彼の要求を通すことばかりを僕がすることは不可能なのだから。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;要求の食い違いに対処していくのは、そこからだ。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;僕の要求を通すことばかりに頭が言っているから、結果的に食い違いが大きくなる。           &lt;br /&gt;          &lt;br /&gt;まずは「要求」というものを1つにすること。           &lt;br /&gt;&lt;/td&gt;     &lt;/tr&gt;   &lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1368797602621977186?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1368797602621977186/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110627.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1368797602621977186'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1368797602621977186'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110627.html' title='20110627_ジロウ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-4960974597020977404</id><published>2011-06-26T00:55:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.724+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ウィトゲンシュタイン'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='哲学'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 「ウィトゲンシュタインの独我論」 米澤克夫 帝京大学文学部紀要教育学
2002</title><content type='html'>&lt;div style="padding-bottom: 0px; margin: 0px; padding-left: 0px; padding-right: 0px; display: inline; float: none; padding-top: 0px" id="scid:71DAE225-7A86-476b-AB02-93AD817CAA63:4afaaf8c-4eb3-41a7-a14f-73b0f6f46e46" class="wlWriterEditableSmartContent"&gt;&lt;a href="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/yonezawa271.pdf"&gt;「ウィトゲンシュタインの独我論」&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;  &lt;p&gt;&amp;#160;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;ショーペンハウアーは（iii）の説を元来、随意的、不随意的の違いを越えて、身体の活動全般について主張した。しかしここではこの引用文の趣旨を便宜的に特に随意的行為を念頭に置いて具体的実例で表現してみれば、次のようになる。「（手を上げようと）意志すること（意志作用）」は即ち「（手を上げるという）行為をすること（身体的行為）」と同一であり、「（手を上げるという）行為をしていること」は「外側からは」外的観察の対象となるが、「内側からは」直接的な確実性を持って知られるということである。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;しかし因果連鎖が連鎖では決してない［「因果的連鎖」と呼ばれるものは、論理的連鎖ではない（cf. TLP, 5. 135, 5. 136, 5. 1361, 5. 1362）］ことは明らかである。［従って「怒った表情」と「怒りの気分」との間に、単に経験的にのみ発見される「偶然的な平行性」が存在するだけである。］&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;「論理［的必然性］の外では全てが偶然である。（TLP, 6. 3）」&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;「或る状態の成立からこれとは全く異なった状態の成立を［論理的に］推論することは、いかなる仕方によっても不可能である。」（5. 135）「このような推論を正当化するような因果的連鎖は存在しない。」（5. 136）「未来の出来事を我々は現在の出来事から［論理的に］推論できない。…」（5. 1361）「…因果性は、例えば論理的推論の必然性のように、内的な必然性である場合にのみ、我々は未来の行為を知ることができるであろう。知る行為と知られることとの連関は、論理的な必然性の連関なのである。」（5. 1362）&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;「意志作用」と「身体行為」との間には「必然的な関連」はないのであって、両者の関連は「偶然的関係」でしかない。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;通常両者の間に「恒常的連接」が見出されることは確かだが、そのことも「経験的な観察」によって偶々発見されてきた事実にすぎない（TLP, 5.631, cf. NB, 1915 年5 月23 日）&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;『論考』では結局（iii）説の「私の意志作用即身体行為説」は完全に捨てられた。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;そして「「意志作用」と「身体行為」は「論理的に別の出来事」であり、両者の関連は偶然的である」という「偶然（経験）説」が採用されたのである。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;勿論身体が麻痺していない場合には通常、「私の意志作用の支配下にある私の身体の部分」（いわゆる随意的行為）が存在することは確かである。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;だがそのような場合にも、「意志作用」と「身体行為」との間には「必然的な関連」はないのであって、両者の関連は「偶然的関係」でしかない。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;通常両者の間に「恒常的連接」が見出されることは確かだが、そのことも「経験的な観察」によって偶々発見されてきた事実にすぎない（TLP, 5.631, cf. NB, 1915 年5 月23 日）。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;最後に（d）の事実が否定されることによって、未来の予言という点では、外的出来事の場合も自分の身体行為の場合も同レベルだということになる。「意志の自由」とは、ただ単に我々が自分自身の未来の身体行為を今「知ることができない」、つまり「論理的に推論することができない」という事実にのみ存するのである（TLP, 5. 1361, 5. 1362）、と言われる所以である。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;周知のように自然科学は、知覚の成立を、物体に反射した一定の波長の可視光線が網膜を刺激し、それが視神経を経てインパルスへと変化して大脳の視覚野へと至る一連の物質現象の因果的な連鎖の結果として説明する。この自然科学における因果的説明を逆に辿って、直接与えられている感覚所与から、「帰納法」によって、物体の実在を「推論」できるとするのが、認識論における「理論的推論説」である。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;しかし「常識的な実在論」のみならず、このような「理論的推論説」にもまた、懐疑論が付け入ってくることは免れえない。それは周知のごとく次のような理由による。物体と感覚所与との相関は、両者の間に当の相関関係が恒常的に見出される場合にのみ経験的に確証されることが可能である。ところが、主体に直接与えられているのは、相関の一方の項である感覚所与だけであって、もう一方の項である当の感覚所与の物理的原因と想定されている物体の方は原理的に主体には直接与えられてはいないのである。結局両者の相関は「永久に検証不可能である」のではないのか、という訳である(13)。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;「実在論」は懐疑論を介して「観念論」に至り、「観念論」は懐疑論を介して「独我論」に至るのだ、と彼は理解した。『草稿』1916 年10 月15 日の記述の中の「私が歩んで来た道」というのは、そのような認識論の論理的展開を定式化したものにすぎないのではないのか。&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-4960974597020977404?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/4960974597020977404/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/2002.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4960974597020977404'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4960974597020977404'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/2002.html' title='a 「ウィトゲンシュタインの独我論」 米澤克夫 帝京大学文学部紀要教育学&#xA;2002'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5400673921845452549</id><published>2011-06-24T09:23:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.744+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ジロウ'/><title type='text'>20110623_ジロウ</title><content type='html'>&lt;table border ="1"&gt;&lt;br/&gt;&lt;tr&gt;&lt;br/&gt;&lt;td&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あと三週間か。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼が人の指示のもとで歩くことを楽しいと思いだすだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/td&gt;&lt;br/&gt;&lt;/tr&gt;&lt;br/&gt;&lt;/table&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;動く。地面か？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;生きているのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬か？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でっかい、でっかい犬か？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でっかい、でっかい人か？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でっかいでっかい物か？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬でも人でもない生き物か？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;大丈夫だろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;大丈夫そうだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;人は平気なようだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;中に人が入っている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;人は中からも出てくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;恐ろしいものではないらしい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;楽しいものだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;いや、人は楽しそうにはしていない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;座っていたり、立ったりしているだけだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;人はこちらを見ている人もいれば、どこを見ているのかもわからない人がいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この地面は座っても、立っても体に振動を感じる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;引っ張られるような感覚もある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;動いていないのに、自分が動いているように感じる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;table border=”1”&gt;&lt;br/&gt;&lt;tr&gt;&lt;br/&gt;&lt;td&gt;&lt;br/&gt;いったいジロウはこんな風に考えているのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そもそも、犬が何を考えているか、って意味わからん。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬の考えを言葉にできるという確証がもてるなら、とっくに僕は言葉を介して犬とコミュニケーションしようとするだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬は言葉では考えないという前提を取りさらい、犬に人間と対するように話しかけるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬が言葉で考えている証拠を誰も得ていないし、百歩譲って犬が言葉で考えている証拠がいずれ見つかったとしても、その犬の言葉を理解する方法を人はもてるだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬の言葉を人間の言葉に翻訳するためには、犬か人のどちらかに犬語も人語も理解できるものがいなければいけない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬の考えを言葉で表すこと自体、犬の考えに対する理解を無視しているように思うのは僕だけではないだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一方で、言葉を使用する以外に「犬の考え」を考えるなどできるのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;仮に言葉以外で「犬の考え」を考えることができたとしても、それから、それをどのように言葉以外で表現しろというのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;言葉以外で表現できたところで、その表現をどんな人間が理解するというのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;表現をできたところで、その表現が正しいのか間違っているのかを誰も評価することができないのであれば、それは表現としての価値をもたないだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そう、そもそも「考える」という言葉として、犬の行なう何かを翻訳してしまっていることから問題は始まっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;すべての前提が崩れ、すべての前提を取り払ってもまだ残っている、犬を理解する方法は何なのだろう？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;たぶん、唯一犬ではなくて自分を理解するという方法が、もっとも安定している方法なのだろうけれど、それさえも犬という存在を考え出すと混乱し始める。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕の考えていることなのか、犬の考えていることなのか、書いているとだんたん訳がわからなくなるのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;”けっして、犬の考えていることではない”と肝に銘じて僕の考えを書こうとしてみるのだけれど、その考えでは犬とともに行なった行為の結果として出てきた考えをまったく価値のあるものとして表現できなくなるのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;右足を一歩出し、「Staright GO」と言い、ある衝撃が手に伝わった０．秒後に左足から歩き始めて、僕は「犬は僕の指示を聞いているな」と考えた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;・・・。なんだこの文章は・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;おそらく、「犬は僕の指示を聞いているな」のほかに、なぜ指示を聞いたのかということを考え始めると、再び僕は「犬の考え」というものを言葉にし始めるだろう・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そうこうするうちに、僕は犬語を介する人語を話す人間という奴になり始めているのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ああ、無理ってことね。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/td&gt;&lt;br/&gt;&lt;/tr&gt;&lt;br/&gt;&lt;/table&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:4e72d2d6-2967-4f39-86d5-9402e131abf6" class="wlWriterEditableSmartContent" style="width: 400px; display: block; float: none; margin-left: auto; margin-right: auto; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh5.ggpht.com/-4W_M5vyXY3c/TgMx7_KSUrI/AAAAAAAAArw/SzDEPIKcXx8/s400/---20110623.jpg" alt="" width="400" height="300" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5400673921845452549?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5400673921845452549/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110623.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5400673921845452549'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5400673921845452549'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110623.html' title='20110623_ジロウ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh5.ggpht.com/-4W_M5vyXY3c/TgMx7_KSUrI/AAAAAAAAArw/SzDEPIKcXx8/s72-c/---20110623.jpg' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-7754983085140846300</id><published>2011-06-18T20:50:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.769+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>パワーが欲しい。</title><content type='html'>あれから一週間がたった。&lt;br/&gt;僕の一番の楽しみは週末に時々訪れる大阪や京都。&lt;br/&gt;あと何回そういうことができるだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;少しでも記憶に残る思い出をつくっておこう。&lt;br/&gt;そういう楽しみで満足するのはすこし物足りない。&lt;br/&gt;もっともっと大きな満足が欲しい。&lt;br/&gt;そういう願いをかなえられないのは自分のせいだ。&lt;br/&gt;だから、僕は落ち込む。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;大きな満足を求めながら、達成できなかった記憶ばかりが蘇る。&lt;br/&gt;すこしの満足に喜びを求めることから始めようとして一年がたったのだろうか？&lt;br/&gt;大きな満足を諦める前に、小さな満足を達成できていないことに課題を置きだした。&lt;br/&gt;それが僕の一つの成長だといえる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しっかりとした考えは持てるようになったけれど、行動が伴っていない。&lt;br/&gt;一年がたって、良い習慣を身につけてきただろうかと自問自答している。&lt;br/&gt;一つも見当たらない。&lt;br/&gt;相変わらず、一年前の悪癖を残したままでいる自分がここにいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今週の月曜日から金曜日まで、僕は眠り続けた。&lt;br/&gt;朝から夕方までの仕事にも身は入らず、それを引き継ぐように帰るとすぐに横になった。&lt;br/&gt;自分に厳しくあらねばと思いながら、甘い自分がすがりつくように眠りへと誘う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そうやって、月、火、水、木、金曜日と五日がたったのだ。&lt;br/&gt;なんと空しい一週間を過ごしてしまったのだろう。&lt;br/&gt;せめて、残りの二日間は鋭気を養い、充実した時間を過ごしたい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ひとまず先週末の大阪と京都の散策を文章にしよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;太陽の塔と鞍馬山。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;パワースポットという名前に促されて多くの人が神社仏閣へ出向くようになった。&lt;br/&gt;特に、この言葉は若い女性の感性に訴えかけるのだろうか？&lt;br/&gt;若い女性の参拝客を目にするたび、彼女たちの感性を知りたくなる。&lt;br/&gt;神社仏閣を訪ねてパワーを得るという行動様式が一つの癒しになるというのだろうか？&lt;br/&gt;確かにそうなのだろうが、それを「パワー」という言葉で片付けてしまうのが僕は嫌いだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも自分はどうだというのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕の住まいの近くの生田緑地に母の塔がある。&lt;br/&gt;太陽の塔の作者である岡本太郎の作である。&lt;br/&gt;ここ神奈川は岡本太郎生誕の地である。&lt;br/&gt;彼にゆかりのある施設や作品は探せばいくらも見つかる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;作品がどうなのか、太陽の塔がどれほど素晴らしいのか僕には判断がつかない。&lt;br/&gt;それほど良いとも思わないし、彼でなければ成せなかった芸術だとも思わない。&lt;br/&gt;高度経済成長の恩恵を受けながら、彼は多くの作品を残して去ることが出来たように思う。&lt;br/&gt;彼が僕らの時代に生まれていたら、母の塔も、太陽の塔も日本に残されることはなかっただろうと思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕にとっての岡本太郎の衝撃は、唯一万博に太陽の塔を建てる意義を訴えている彼を写した映像だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;太陽の塔を建てる意義を万博の製作委員会のエリートに訴えかけている姿は奇人そのものだった。&lt;br/&gt;精神に変調をきたして大声で誇大な主張を叫ぶ人のそれと似ていた。&lt;br/&gt;彼の主張を苦笑いしながら聞くエリートに太陽の塔の意義が伝わったのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;40年後の太陽の塔を見ながら、僕にもあの奇人のパワーがあるだろうかと問いかけている。&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:c5d91116-f463-44ad-a1df-8ff107cf304b" class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: left; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh6.ggpht.com/-P9cetnoiOc8/TfU89hSCpdI/AAAAAAAAApM/nNEi8O547NQ/s400/02-20110611.JPG" alt="" width="400" height="228" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕も彼女らと同じようにパワーが欲しいのだ。&lt;br/&gt;癒しのパワーじゃない。&lt;br/&gt;スポットをパワーにしてしまえる主張のできるパワーが欲しいのだ。&lt;br/&gt;自身の主張に重みが、語り継がれるほどの重みが欲しいのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;鞍馬山には天狗がいるという。&lt;br/&gt;天狗の住まう山に赴くと、人は何かのパワーをもらえるかもしれない。&lt;br/&gt;そういう気持ちが僕にもあるのだ。&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:0097dfe3-58aa-4184-918d-993d5104138e" class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: left; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh5.ggpht.com/-STA3dwE6108/TfU9BTwaqoI/AAAAAAAAAp8/5TPYkXReMBg/s400/03-20110612.JPG" alt="" width="400" height="228" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;パワーは自らつくりだすほかないのに。&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:d97c57fa-68fc-4da3-876d-40193708b911" class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: none; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh3.ggpht.com/-j8xcDYtDKm0/TfU8r3Re-bI/AAAAAAAAAoE/n-l_IlF3L44/s400/32-20110612.JPG" alt="" width="228" height="400" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;つくりだしてはうしなわれるものだとわかっているのに。&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:f5e57eda-e2eb-4616-9767-bd498f8aede8" class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: left; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh4.ggpht.com/-RXAW_fgJ4lw/TfU8sQFRxzI/AAAAAAAAAoM/0Tgs4lcqdjE/s400/04-20110612.JPG" alt="" width="400" height="228" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;どうしてもすがりたくなる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕のものでないパワーに導かれたくなる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;情けないことだとはわかっていても。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-7754983085140846300?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/7754983085140846300/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/blog-post_18.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7754983085140846300'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7754983085140846300'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/blog-post_18.html' title='パワーが欲しい。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh6.ggpht.com/-P9cetnoiOc8/TfU89hSCpdI/AAAAAAAAApM/nNEi8O547NQ/s72-c/02-20110611.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-7377736322162605842</id><published>2011-06-14T10:14:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.755+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110613_訓練記録</title><content type='html'>&lt;p&gt;1 「しなければならない」    &lt;br /&gt;・GOODとNOを教える     &lt;br /&gt;・NOを使うことが、「しなければならない」を教えることでない     &lt;br /&gt;・・NOを教えることが、GOODを教えることになっているような訓練の流れを、なんとなく「しなければならない」と言ってみたくなる     &lt;br /&gt;●イメージに流されて、本質を見逃すなかれ     &lt;br /&gt;    &lt;br /&gt;2 自発性と学習意欲     &lt;br /&gt;・GOODとNOの理解を高めること     &lt;br /&gt;・科目の理解を高めること     &lt;br /&gt;・「しなければならない」ことを教えること     &lt;br /&gt;・・自発性と学習意欲を育てるのにマニュアルはない     &lt;br /&gt;●まだない自発性と学習意欲を育てるのに、自発性と学習意欲を利用することはできない     &lt;br /&gt;●でも、すでにある自発性と学習意欲を育てるのに、まだない自発性と学習意欲を利用することは出来る気がする     &lt;br /&gt;●だから、すでにある自発性と学習意欲がたとえ悪癖でも、それを利用しない手はないのだろう     &lt;br /&gt;●ゲーム中毒の子供に、ゲームのプログラミングを教えるとか・・・かな     &lt;br /&gt;●無いものからは何も生まれないけど、有るものからは何か生まれる     &lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-7377736322162605842?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/7377736322162605842/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110613_14.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7377736322162605842'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7377736322162605842'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110613_14.html' title='20110613_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-3860430584508963940</id><published>2011-06-14T09:56:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.692+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ジロウ'/><title type='text'>20110613_ジロウ</title><content type='html'>&lt;p&gt;名前は伏せなければいけないので名前は”ジロウ”にしておこう。    &lt;br /&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;「しなければならない」を学んでいない。    &lt;br /&gt;    &lt;br /&gt;それを教えるためにGOODとNOを教える。     &lt;br /&gt;NOはGOODをハイライトするためにある。     &lt;br /&gt;NOのあとにはかならずGOODがなければならない。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;NOの行動は複数ある。    &lt;br /&gt;NOの行動をジロウが取るたびに「NO」と言う。     &lt;br /&gt;GOODの行動はひとつだけである。     &lt;br /&gt;GOODの行動をジロウが取るたびに「GOOD」と言う。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;複数あった行動がひとつに収束していく過程である。    &lt;br /&gt;NOからGOODへと移行する転換点がかならずある。     &lt;br /&gt;行動の上でも、意識の上でも転換点がかならずある。     &lt;br /&gt;    &lt;br /&gt;NOからGOODへ転換する瞬間を見逃したら、行動はGOODへ収束しないだろう。     &lt;br /&gt;犬があるパターンに気づかなければ、けっして行動はGOODへ収束しない。     &lt;br /&gt;複雑な行動が徐々に単一の行動に収束していくなかで生じるパターン。     &lt;br /&gt;そのパターンを犬に気づかせるには、まずは人がそのパターンに気づかなければいけない。     &lt;br /&gt;&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;GOODへとベクトルが向かっているパターンを人が見つけ出す。    &lt;br /&gt;そのパターンを取るごとに「GOOD」と人が言う。     &lt;br /&gt;いずれ、そのパターンを取ると「GOOD」と言われることに犬が気づく。     &lt;br /&gt;自発的にそのパターンを取り始める頃に、次のパターンを人が見つけ出す。&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;&amp;#160;&lt;/p&gt;  &lt;table border="1"&gt;&lt;tbody&gt;     &lt;tr&gt;       &lt;td&gt;         &lt;p&gt;んん。            &lt;br /&gt;&lt;/p&gt;          &lt;p&gt;訓練記録とは別個に「ジロウ」としてスレッドを立ち上げる目的がない気がする。            &lt;br /&gt;なんだか、これじゃあ訓練記録とあまり変わりないぞ・・・。             &lt;br /&gt;実験的に、記録のように日記のようにその日の出来事を書き続けようか。             &lt;br /&gt;目標は、「人と犬の行動記録」として、三人称形式で書くこと。             &lt;br /&gt;&lt;/p&gt;       &lt;/td&gt;     &lt;/tr&gt;   &lt;/tbody&gt;&lt;/table&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-3860430584508963940?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/3860430584508963940/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110613.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3860430584508963940'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3860430584508963940'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110613.html' title='20110613_ジロウ'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1386979849815505195</id><published>2011-06-09T22:28:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.659+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110608_訓練記録</title><content type='html'>&lt;p&gt;1 学習能力    &lt;br /&gt;・学習する能力とはどういうことか？     &lt;br /&gt;・・学習する対象は、学習されるまでは学習者にとって対象とならない事実     &lt;br /&gt;・・・学習者によって対象化される以前の対象に学習能力は適応できない     &lt;br /&gt;‐学習能力というのは、学習する対象を対象化しようとする意欲に過ぎないのでは？     &lt;br /&gt;●学習されたものは、すでに学習対象ではない&lt;/p&gt;  &lt;p&gt;2 バーン    &lt;br /&gt;・学習がはじまらない     &lt;br /&gt;・どんなに呈示しても、既存の学習対象（おもちゃ）以外のことが考えられない     &lt;br /&gt;・・学習対象（「バーン」の音で腹を見せる）を呈示し続けても、呈示される対象を学習対象とみなさない犬     &lt;br /&gt;・・・「人が今までにはなかった何か（対象）を私に呈示しようとしている」という意識が一向に芽生えない     &lt;br /&gt;‐既存の学習対象以外の何かを捉えようとする意欲がなければ、学習は始まらない     &lt;br /&gt;●学習能力を高めるというのは、まだ捉えきれていない何かを捉えようとする意欲なのでは？     &lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1386979849815505195?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1386979849815505195/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110608.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1386979849815505195'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1386979849815505195'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110608.html' title='20110608_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-881689239976451883</id><published>2011-06-08T21:51:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.795+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110607_訓練記録</title><content type='html'>&lt;p&gt;1 まわれ    &lt;br /&gt;・「停止状態から、まわった結果、報酬がもらえた」という流れを覚えさせたい。     &lt;br /&gt;・・「停止、A、報酬」を「停止、まわる、報酬」に変えていく     &lt;br /&gt;・・・Aは最終的に「まわる」に変化しなければならない     &lt;br /&gt;・・・Aの変化が「まわる」から遠ざかってしまうならば、始まりのAをもう一度見直すこと。     &lt;br /&gt;・・・変化の方向性は、潜在的に開始点に必ず含まれているはずだという意識をもつこと     &lt;br /&gt;-人の求める回答を犬が答えてくれないのは、必ず人のする質問に回答が無いか、複数回答があるからだ     &lt;br /&gt;●一つだけ回答のある質問は、かならず質問の中に回答が含まれている（例：「1に1を足すと？」という質問の回答はすでに質問に回答が含まれている）     &lt;br /&gt;●質問者が回答を知らないのは、その質問の回答が一つならば、ただの無知である。しかし、質問者が回答を知らない原因は、その質問の回答が複数あるか、一つも回答が無い場合がほとんどだ     &lt;br /&gt;●質問者の質問が回答者を困らせる原因のほとんども、その質問の回答が複数あるか、一つも回答が無いかの場合である&lt;/p&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-881689239976451883?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/881689239976451883/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110607.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/881689239976451883'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/881689239976451883'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110607.html' title='20110607_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-7906172891365124609</id><published>2011-06-03T06:24:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.773+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='フィードバック'/><title type='text'>20110602_フィードバック</title><content type='html'>1 オープンとクローズド&lt;br/&gt;・歩行に緩急をつけるのと同じ&lt;br/&gt;・犬の訓練の為の手段としてある、理由も無くオープンとクローズドがあるのでない&lt;br/&gt;-クローズドは犬の進路を邪魔したり、犬に圧をかけたり、あるいは必然的に人について歩くことができる&lt;br/&gt;-オープンは犬の進路を開放したり、犬に圧をかけなくてすんだり、あるいは人について歩くことが難しい&lt;br/&gt;●何らかの理由があるから、それに名前がついている&lt;br/&gt;●「オッカムのかみそり」という言葉を思い出すなあ&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2  フィードバック&lt;br/&gt;・やっとスタート地点&lt;br/&gt;・ノーマルな状態で犬と接するような状況に近づいた&lt;br/&gt;・これからは犬にどのように教えるかのステップに入ってくる&lt;br/&gt;・観察は十分でない&lt;br/&gt;・計画、実行、検証はこれからやっていくこと&lt;br/&gt;●やっとスタート地点か・・・&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-7906172891365124609?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/7906172891365124609/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110602.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7906172891365124609'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7906172891365124609'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110602.html' title='20110602_フィードバック'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-4092241134574253991</id><published>2011-06-02T15:52:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.701+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='フィードバック'/><title type='text'>20110601_フィードバック</title><content type='html'>1　フィードバック&lt;br/&gt;・ NOで教えるのではない。&lt;br/&gt;・押し引きができるようになった。&lt;br/&gt;・やわらかくなった。&lt;br/&gt;・リードのON、OFFの理由がない。&lt;br/&gt;・クローズドばかり。&lt;br/&gt;●できないことは、意識化することで無意識にできるようになってくる。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-4092241134574253991?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/4092241134574253991/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110601.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4092241134574253991'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4092241134574253991'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110601.html' title='20110601_フィードバック'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-4467158204928160195</id><published>2011-06-01T07:54:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.706+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110531_訓練記録</title><content type='html'>１　検証&lt;br/&gt;・コマンドに従っているときの動きを検証するのではない&lt;br/&gt;・コマンドに従っていないときの動きを検証するのだ&lt;br/&gt;●「いつも吠える犬が、吠えなかった」ということで何かを明らかにするシャーロック・ホームズ？！全然意味違うけど・・・。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2　GOODとNOは同じ&lt;br/&gt;・犬の行動を評価するのに一貫性を持たせたい&lt;br/&gt;・・それなら、肯定も否定も同じタイミングで行なうべきだ&lt;br/&gt;●肯定は常にその否定でもなければならない&lt;br/&gt;●コインの裏が真っ白であってはいけない&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;3　再構築と期間&lt;br/&gt;・犬が喜んで作業をすることを目的にしてはいけない&lt;br/&gt;・・喜んで作業する犬を作るほうが、オールマイティな盲導犬にできる可能性が高い&lt;br/&gt;-作業に対する評価を求める犬だと、いつでもどこでもだれでも変わらないから&lt;br/&gt;・「GOOD」を欲しなくても、作業を間違えない犬がいたとしたら、再構築する？それとも「GOOD」を教えることは諦める？&lt;br/&gt;-期間の問題として、再構築するか？諦めるかを考えたら良い&lt;br/&gt;●目的に間に合うよう、消去法で出来ることをピックアップしていくのが賢い人のやり方、できんけど・・・&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-4467158204928160195?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/4467158204928160195/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110531.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4467158204928160195'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4467158204928160195'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/20110531.html' title='20110531_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-6334590004490173883</id><published>2011-06-01T07:34:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.750+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='説明'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='記述'/><title type='text'>行動の機構。</title><content type='html'>『行動の機構』を読み始めた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;D.O.ヘッブという名が記されている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;全くの門外漢だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし僕には専門というものがない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;門外漢もなにもないのが現状だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;だからどんな本を手にとっても、それなりの理由付けができるのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この本はきっと、心理学、神経科学、生物学の専門家が手にするものなのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;書かれている多くの内容は未知の領域である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし、今の僕にはこの本を読み進める自信がある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その自信は、他愛も無い理由からだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この本を読んでも、読まなくても、僕の未来はさほど変化しないからだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;必ず訪れれる未来に対して、すでに「諦め」という言葉ばかりを僕は付するようになった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;何をやっても僕は極めることができない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;常に諦めが僕の脳裏を支配している。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;自分の能力に固執しないことを第一に過ごすこと。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それが、もっとも僕の心理状態を安心させるようなのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それは大いに「逃げ」だと批難されるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし、どれほど僕はその批難を浴びせ続けたろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;すでにその言葉が心をかき乱すことさえも無くなってきている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;20代に繰り返し僕が身につけた行動は、良くも悪くも「逃げ」であった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この本も一つの「逃げ」であることは確かだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;没頭することを課されたものから逃げるために、おとといこの本を手に取った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕の行動には何かしらのパターンがある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;これを明らかすることと、パターンを変えることには大きな隔たりがある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕のパターンを明らかにすることは説明である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕と僕のパターンを、第三者の視点から記述することが説明である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;一方、パターンを変えることは記述である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕と僕のパターンという関係を変化させること、そのことが記述である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;記述は、文字に付されたものではなく、文字に付された記述はすでに何らかの説明的な要素を含んでいる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;当事者間の関係の変化を表象するものとして記述があり、時にそれを文字や他の表現から垣間見ることが可能である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;記述はけしてそれ自身（僕と僕のパターン）を説明するものにはなり得ない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『行動の機構』が手助けをするのは、説明の部分である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それが記述に何の影響も及ぼさないわけではないが、少なくともその影響は日常的な動作を変えていこうとする意志よりか少ないだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;記述を説明しようとする意志は、結局のところ記述を固定化して捉えようとする意識でもあるため、それによって変化が緩慢になるのかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ながらく僕は説明的であろうとした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕が（僕）を説明することに大きな労力を使ってきた&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それが空しさを生み続ける機構であることを、今は十分すぎるくらいわかっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;けれども、僕はその「機構」をこよなく愛しているのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『行動の機構』を読み始めることで、自身を説明するという空しい機構を再び加圧しようとしている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ベルクソン、ウィトゲンシュタインという二人の著者からインスピレーションを受けつづけた自身の説明に、また別の説明方法を取り入れようとしている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それは機構（説明）に擬人的な概念を取り除こうとする試みである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕と僕のパターンの関係を、ニューロン機能というものから説明しようとする試みだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最初に述べたように、それはまったくもって未知の領域だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;学習を常に考えざるを得ない今なら、僕はそれを読み進めていくことができる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;上下巻あわせて、文庫で1000ページほどの神経科学の名著。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;日々の考えざるを得ない「学習」というタームを心理学的、言語学的に考えることからもう一つ階段を上がろうとしている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕は、「脳メカニズムから心理学へ」という副題の反対の道筋を今から辿ろうとしている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;朝から夕方までの時間、僕は心理学、言語学の愛好家、あるいは哲学の愛好家として学習を考えるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;これまでの培ってきた経験は、きっと僕を自然とそのように仕向けるだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;家に帰り着くまでの20分間で、意図的に擬人的な概念からどんどん非擬人的な概念へと遡っていこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;家の扉を開けた瞬間から、僕の思考は脳にたどり着く。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;学習を脳のメカニズムから考える時間の始まりである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『行動の機構』のページをめくりながら、その日に起きたある動物の学習をニューロン機能によって説明するのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そして、一日が終わる頃、再び僕は悲しい当たり前の現実に遭遇する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕と僕のパターンの関係に何の変化も見られない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;説明的であろうとしても変わることがない事実を抱き僕は眠るだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;こうやって僕は確信犯的に説明を繰り返しながら、いつまでも同じ記述を繰り返し脳に刻んでいく。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-6334590004490173883?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/6334590004490173883/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/blog-post_01.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6334590004490173883'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6334590004490173883'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/blog-post_01.html' title='行動の機構。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2900764522451337929</id><published>2011-06-01T06:09:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.672+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='空しさ'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='失われた10年'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>六月一日。</title><content type='html'>六月一日になるのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;過ぎて行く時間に驚きを隠せない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;こんなに速く過ぎてしまうと、やるべき数多くのことをこなすことができない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;それなのに、心理状態はとても落ち着いている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;20代に入ってから7年間ほど多くの時間を眠って過ごした。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;眠るほかなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;何もかもが空しかったのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「今も空しいか？」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;確かに空しさがある。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;所詮自分にできることなどわずかだと諦めている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;その空しさはなぜだか自分を強くしてくれている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;心底、自分の空しさを自覚できるようになったからかもしれない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;では、あの頃感じていた空しさは一体なんだったのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;空しさを忘れるために眠るほか手立ての無かったどん底の日々はなんだったのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;過去の記憶を紐解いて、あの空しさの正体を明らかにしたい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;良くそう思うようになっている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;意欲にあふれていた2年と無駄な8年のあわせて10年を。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;18歳から28歳までの10年を箱いっぱいに詰め込んであげたくなる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;眠りから覚まさせてあげなければ、自分がかわいそうになってくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;でも、僕は今最低限のやることで手一杯だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あの眠り続けて失われた多くの時間を今くれないだろうか？&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2900764522451337929?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2900764522451337929/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2900764522451337929'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2900764522451337929'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/06/blog-post.html' title='六月一日。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-8104144281138699648</id><published>2011-05-30T06:30:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.779+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='新海誠'/><title type='text'>秒速５cm。</title><content type='html'>&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;div class="pie-gallery"&gt;&lt;br/&gt;&lt;div class="pie-item" style="margin: 10px 10px 10px 10px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;p class="pie-img-wrapper"&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh3.ggpht.com/-VZ-d9Yhk9lQ/TeI7udRPpbI/AAAAAAAAAlQ/Yr6bbj3sx94/01-20110529.JPG?imgmax=400" alt="01-20110529.JPG" width="228" height="400" /&gt;&lt;/p&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;新海誠の『秒速５センチメートル』を観た。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;聞いたことある、この歌？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;映画の終わりかける頃、歌声が流れ込む直前に思い出した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;山崎まさよしの「&lt;span style="font-family: arial, sans-serif; font-size: x-small;"&gt;&lt;span style="line-height: 20px;"&gt;One more time, One more chance&lt;/span&gt;&lt;/span&gt; 」だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;あの人はどこで何をしているのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼女が好きだったことで、僕がひとつだけ知っているのは山崎まさよしだけだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;メロディーとともに、20歳の記憶が蘇ってきた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もう随分と昔になったんだな。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼女を選ばず、茫漠とした夢を抱いた頃の苦い思い出。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img src="http://lh5.ggpht.com/-xmYlArB7Gkw/TeHoTYLS2BI/AAAAAAAAAko/zAc8zHjKaYk/00-20110529.JPG?imgmax=400" alt="00-20110529.JPG" width="228" height="400" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;もう一度戻れるのなら、何がなんでも彼女を選んだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;こうなることを知りえたのなら、夢のような未来なんて選ばなかったろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;茫漠としていた未来はすでに虚空と分かり。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;こうやってときどき過去の思い出に心が疼く。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;せめて苦い良薬であって欲しいと願うだけだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;雨に濡れたタチアオイとドクダミに独りつぶやく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ちなみに歌詞に出てくる桜木町は横浜の桜木町のようだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-8104144281138699648?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/8104144281138699648/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/cm.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8104144281138699648'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8104144281138699648'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/cm.html' title='秒速５cm。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh3.ggpht.com/-VZ-d9Yhk9lQ/TeI7udRPpbI/AAAAAAAAAlQ/Yr6bbj3sx94/s72-c/01-20110529.JPG?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-3668453000819156095</id><published>2011-05-30T05:07:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.684+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='西田幾太郎'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='哲学'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 『善の研究』 西田幾太郎 岩波文庫 明治４４年(1911)</title><content type='html'>【20110528　あゆみブックスのカフェにて】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;目次&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;第1編 純粋経験(純粋経験&lt;br/&gt;思惟 ほか)&lt;br/&gt;第2編 実在(考究の出立点&lt;br/&gt;意識現象が唯一の実在である ほか)&lt;br/&gt;第3編 善(行為&lt;br/&gt;意志の自由 ほか)&lt;br/&gt;第4編 宗教(宗教的要求&lt;br/&gt;宗教の本質 ほか)&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿&lt;br/&gt;&lt;h2&gt;第１編　純粋経験&lt;/h2&gt;&lt;br/&gt;p10&lt;br/&gt;元来、意志に伴う動作は意志の要素ではない。純心理的に見れば意志は内面における意識の統覚作用である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p21&lt;br/&gt;いかなる意識があっても、そが厳密なる統一の状態にある間は、いつでも純粋経験である、すなわち単に事実である。これに反し、この統一が破れたとき、すなわち他との関係に入ったとき、意味を生じ判断を生じるのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p24&lt;br/&gt;思惟というのは心理学から見れば、表象間の関係を定めこれを統一する作用である。その最も単一なる形は判断であって、すなわち二つの表象の間の関係を定め、これを結合するのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ29&lt;br/&gt;意識の意味というのは他との関係より生じてくる。換言すればその意識の入り込む体系によりて定まってくる。同一の意識であっても、その入り込む体系の異なるに由りて種々の意味を生ずるのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p35&lt;br/&gt;要するに思惟と経験は同一であって、その間に相対的の差異を見ることはできるが絶対的区別はないと思う。しかし余はこれが為に思惟は単に個人的で主観的であるというのではない、前にもいったように純粋経験は個人の上に超越することができる。かくいえば甚だ異様に聞こえるであろうが、経験は時間、空間、個人を知るが故に時間、空間、個人以上である、個人あって経験あるのではなく、経験あって個人あるのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p37&lt;br/&gt;意志といえば何か特別なる力があるように思われているが、その実は一つの心像より他の心像に移る推移の経験に過ぎない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p40&lt;br/&gt;意志のごときものは全く受動的である。右のごとく考えて見ると、運動表象と知識表象とは全く類を異にせるものではなく、意志と知識との区別も単に相対的であるといわねばならぬようになる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p43&lt;br/&gt;実際、原始的意識の状態では自己の身体の運動と外物の運動とは同一であったであろうと思う、ただ経験の進むにつれてこの二者が分化したのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p45&lt;br/&gt;知と意との区別は主観と客観が離れ、純粋経験の統一せる状態を失った場合に生ずるのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p47&lt;br/&gt;かく種々の直接経験があるならば、なんによりてその真偽をさだむるかの疑も起こるであろうが、そは二つの経験が第三の経験の中に包容せられた時、この経験によりてこれを決することができる。とにかく直接経験の状態において、主客相没し、天地唯一の現実、疑わんと欲して疑う能わざる処に真理の確信があるのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p51&lt;br/&gt;余がここに知的直観というのはいわゆる理想的なる、普通に経験以上といっている者の直覚である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1　結局のところすべては純粋経験に本するということなのはわかったが、その根本が我々には知りようがないという点で、結局のところ何も言っていないのと一緒ではないか。ここらへんが、ベルクソンのイマージュや純粋持続といった、「あるんだけど、純粋には知りようがありません」的なものと通じる。結局のところ、もっとも「あるんだけど、純粋には知りようがありません」的な哲学で、一番身になりそうに思えるのは『論理哲学論考』やカントの哲学などでないだろうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-3668453000819156095?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/3668453000819156095/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/1911.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3668453000819156095'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3668453000819156095'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/1911.html' title='a 『善の研究』 西田幾太郎 岩波文庫 明治４４年(1911)'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-26932634299605329</id><published>2011-05-29T09:17:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.668+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベイトソン'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='人類学'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 『精神と自然』 グレゴリー・ベイトソン/佐藤良明 思索社 1982</title><content type='html'>【20110528】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;目次&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1 イントロダクション&lt;br/&gt;2 誰もが学校で習うこと&lt;br/&gt;3 重なりとしての世界&lt;br/&gt;4 精神過程を見分ける基準&lt;br/&gt;5 重なりとしての関係&lt;br/&gt;6 大いなる確率的過程&lt;br/&gt;7 分類から過程へ&lt;br/&gt;8 それで?&lt;br/&gt;付記 時の関節が外れている&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;______________________________________&lt;br/&gt;&lt;h2&gt;5 重なりとしての関係&lt;/h2&gt;&lt;br/&gt;p171&lt;br/&gt;ハワイの海洋研究所で、一頭のイワハイルカ（雌）を使い、「イルカの訓練法をお見せします」と銘打った一般公開のショーを行なったことがある。このイルカ嬢にはあらかじめ、調教師の笛が鳴れば餌がもらえる、そして笛が鳴った時に自分がしていたことを後でまたやれば、再び笛が鳴って餌がもらえる、と教え込んであった。「彼女が水槽に入ります。私は彼女の動きを観察し、もう一度やってもらいたい動作を勝手に選んで、それを行なった時にホイッスルを鳴らして餌をあげます。」イルカは何らかの動作をし、それを繰り返し、また餌を与えられて強化される。これを三度も繰り返せば、ショーとしては十分だろうから、イルカは退場して、二時間後の次の公演を待つことになる。この時彼女は、先程の動作をホイッスル、水槽、調教師とつなぎあわせてコンテキストのレベルに一つのパターン－情報の組み立て方の規則のワンセット－を結ぶ方法（単純なレベルにあるいくつかの規則）を、既に習得している。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかしここで彼女が作り上げたパターンは、一回のショー、一つのエピソードにしか通用しない。調教師がイルカの訓練方法を何度も見せたがっているのだから、単一のパターンを壊して、このようなエピソードが集まったクラスに対処していかねばならない。自分が組み立てたコンテキストの向こうに、より大きなコンテキストのコンテキストが待ち構えていたのである。そしてこれに気づかない限り、彼女は期待された行動を取り得ない訳だ。二回目の公演では、この”オペラント条件づけ”のやり方を客に見せるために、調教師は一回目とは違った動作を選ばなくてはならない。イルカは舞台に登場するや前回のしぐさをまたやってみるが、今度はホイッスルが鳴らない。調教師は次にイルカが顕著な動作をするのを待った。たとえば尾びれで水槽を打ったとする。（これは不満を示す際にイルカのよくやる動作である。）すると今度はこの動作が強化され、イルカはこれを繰り返す。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし三度目の公演では、尾びれで水槽を叩いてみても報酬は得られない。こんなことを繰り返すうちにイルカは、舞台に出てくる度に、何か違った新しい動作をすればよいことに気がついた。いくつものコンテキストをつなぎ合わせるコンテキストに対処する方法を、遂に学習したわけである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;右の事柄は、私がハワイに到着する以前、つまりイルカと調教師と観客とがなす自由な自然史のなかで起こったことである。私はここに論理階型の一段高い学習が行なわれていることを見た。そして私の提案で、これと同じことを別のイルカで実験的に行い、綿密に記録しようということになった。各々の学習訓練を時間で区切り一回の所要時間を十分から二十分の間とする等、実験のスケジュールも綿密に組まれた。一度の報酬を与えた動作は、次の回に何度行なっても決して報酬を与えない、というルールも厳密に定めた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この実験に関して次の二点を書き加えておかねばならない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まず（調教師の判断から）実験のルールを破らねばならない必要が何度も生じたこと。自信をもって行なった動作が誤っていたという事実はイルカにとって大変なショックであるため、イルカと調教師の関係（コンテキストのコンテキストのコンテキスト）を保つためには、ルール上得る資格のない、不労所得としての魚を与えなければならなかったのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;第二に、すぐ前の回に魚にありつけた動作を次もやってみるという不毛な繰り返しを、このイルカ嬢は十四回続けた。その間彼女が新しい動作を見せたのはほんの偶然からと判断してよいだろう。ところが十四回目と十五回目の間の休憩時間に、彼女は非常に嬉しそうなようすを体で示した。そして十五回目が始まるや、いきなり八つの演技を入念にやってみせたのである。そのうち四つは、この種のイルカでは観察されたことのないものだった。ここでイルカは一つの跳躍を、論理階型間のギャップの飛び越えをやってのけたのである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１　この文章を常に頭に入れておくこと。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-26932634299605329?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/26932634299605329/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/1982_29.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/26932634299605329'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/26932634299605329'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/1982_29.html' title='a 『精神と自然』 グレゴリー・ベイトソン/佐藤良明 思索社 1982'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-3454210721567434135</id><published>2011-05-29T06:28:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.679+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='自由研究'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='メモ'/><title type='text'>20110528_自由研究</title><content type='html'>決めた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『精神と自然』のp169のイルカのオペラント条件の例。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;行く通りかに分かれる道に犬を放つ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;分岐点の一つを通るたびに、「GOOD」か「NO」か「音楽」を流す。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;→これを繰り返すと、どうなるるか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;TP１、TP２、TPQの三種類を犬を使用する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;GOODで条件づけされた犬に再度実験を行なう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;GOODで条件づけされた道を行くたびに「NO」と言う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;①実験の繰り返しごとの変化を記述する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;②「NO」によって、GOODで条件づけされた道を行かなくなるのは何回目か？そのようなことがあるか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;③「NO」によって、GOODで条件づけされた道に行かなくなり、別の道を選び始めるか？それは何回目か？&lt;br/&gt;－別の一つの道を選ぶたびに「GOOD」と言うようにしたらどうなるか？&lt;br/&gt;－別の道を選んでも「GOOD」と言わなければどうなるか？&lt;br/&gt;－「GOOD」という道を一つにした場合と、複数にした場合の、犬の行動の変化はどうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;④犬も『精神と自然』のイルカのように、「常に前とは別の道を選ぶことがGOODなのだ」という意識にたどりつけるか？&lt;br/&gt;－GOODの条件づけ、NOの条件づけをクリアし、複数の「GOOD」の道を経験した後の犬に対し、前回と同じ道を選んだら「NO」、前回と違う道を選んだら「GOOD」と言う。&lt;br/&gt;－何回目で、常に前回とは別の道を選ぶような行動を取れるか？取れないか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;⑤犬とともに歩いたらできるようになるか？&lt;br/&gt;－実験がうまく行かなかった場合&lt;br/&gt;－ハーネスをつけて一緒に歩き、一つの道にだけつねに「GOOD」と言ってやる。&lt;br/&gt;－それ以外の道を選んだ場合、「NO」と言う場合と、何も言わない場合&lt;br/&gt;－①、②、③、④と同じ条件でやってみる。&lt;br/&gt;－ハンドラーをチェンジした場合の変化もみてみる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;上記の実験が難しい場合。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;選択肢の道の終点に人が立っておく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬が通り過ぎたところで、「GOOD」か「NO」を言う。&lt;br/&gt;「GOOD」の場合は、撫でる場合と、撫でない場合。&lt;br/&gt;「NO」は、声以外は何もしない。&lt;br/&gt;－この条件下で、①から⑤の実験をやってみる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;応用として、T字路での「Right」と「Left」の学習をさせるのもいいだろう。&lt;br/&gt;－その学習は、T字路の東西南北を変えても、保持されるのか？&lt;br/&gt;－また、道がなくても「Right」と「Left」によって犬は動くようになるのか。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;T字路の設定方法。&lt;br/&gt;－単純なT字路。&lt;br/&gt;－円環的なT字路。犬がT字路を抜けて戻ると、再びT字路へと向かうようなT字路。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この学習方法によって、道の選び方を学んだ犬の稟性・繁殖を調べる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;この学習の成果は、他の道でも生かされていくか？&lt;br/&gt;－T字路で学んだ後に、Y字路で実験する犬&lt;br/&gt;－最初からY字路で学んだ犬&lt;br/&gt;－－どちらが早くGOODによる道選別を行なうようになるか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「GOOD」と「NO」ではなく、「左」と「右」にテーマを変更するのも良いだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし、どうすれば「左」と「右」を「GOOD」と「NO」によって覚えさせることができるだろうか？&lt;br/&gt;ここは、核心であるような気がする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬に「左」も「右」も覚えさせるためには、左を通った場合も「GOOD」で右を通った場合も「GOOD」。あるいは左を通った場合も「NO」で右を通った場合も「NO」としなければならない過程がある。「LEFT」、「RIGHT」というコマンドを習得する前の行動の肯定と否定はどのようにすればよいのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;①まずは左に通ったときだけ「GOOD」と言うこと。&lt;br/&gt;②犬が左ばかり通るようになったら、左を通った瞬間に「LEFT」と言って、通ったら「GOOD」と言うこと。&lt;br/&gt;③「LEFT」という言葉の後に、左に通ったら「GOOD」と言うこと。&lt;br/&gt;④「LEFT」と左に通ることが関連づいた後、右との関連付けも同じようにすること。&lt;br/&gt;－しかし、これでは④のときすでに犬は左を通ることがなくなるだろう。&lt;br/&gt;⑤犬が左に曲がっても、「GOOD」と言わないことを繰り返す。&lt;br/&gt;⑥犬が偶然、右に曲がったときに「GOOD」と言う。それを何度も繰り返し、必ず右に曲がるようになるのを待つ。&lt;br/&gt;⑦「RIGHT」という言葉の後に、右に通ったら「GOOD」と言うこと。&lt;br/&gt;⑧「RIGHT」と右を通ることが関連づいたら終了。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;⑨上記の③を行なう。&lt;br/&gt;⑩「LEFT」と左に通ることが関連づいた後、T字路の左側を塞ぐ。&lt;br/&gt;⑪①から④の右バージョンを繰り返す。&lt;br/&gt;⑫左右の両方が関連づいたら終了。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;⑬犬が通る前にコマンドを言って、そのコマンドのとおりに通ったら「GOOD」、間違っていたら「NO」と言う。&lt;br/&gt;⑭犬が、常にコマンドのとおりに左右を通るようになった時点で終了。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;上記の三つの関連付けのうち、もっとも短時間で習得できるのはどれかを探る。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;上記三つの関連付けのうち、学習を保持する期間がもっとも長いのはどれかを探る。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;上記三つの関連付けが終了した後、路地様々に変えても、応用が利くものはどの方法かを探る。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「左右」学習の点数の高い犬と、低い犬の利き足を調べる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;タイトル「利き足と「左右学習」との関連性」&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-3454210721567434135?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/3454210721567434135/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110528.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3454210721567434135'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3454210721567434135'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110528.html' title='20110528_自由研究'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-3966896981419129373</id><published>2011-05-27T08:29:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.697+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベイトソン'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='人類学'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 『精神と自然』 グレゴリー・ベイトソン/佐藤良明 思索社 1982</title><content type='html'>【20110526】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;目次&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1 イントロダクション&lt;br/&gt;2 誰もが学校で習うこと&lt;br/&gt;3 重なりとしての世界&lt;br/&gt;4 精神過程を見分ける基準&lt;br/&gt;5 重なりとしての関係&lt;br/&gt;6 大いなる確率的過程&lt;br/&gt;7 分類から過程へ&lt;br/&gt;8 それで?&lt;br/&gt;付記 時の関節が外れている&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿&lt;br/&gt;&lt;h2&gt;1　イントロダクション&lt;/h2&gt;&lt;br/&gt;p17&lt;br/&gt;物語りで考えるということは、何も人間だけの特性ではない、人間をヒトデやイソギンチャクやヤシの木やサクラソウから切り離すものではないということである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「行動」と一般に呼ばれているものに必ず見られる特徴に、コンテキストと関連性との存在があるが、そのことは、内的な物語にしても同じはずである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p18&lt;br/&gt;イソギンチャクの発生も、つまりは物語の素材で出来上がっているはずである。そしてその背後にある進化のプロセス、これもまた物語の素材で出来上がっているはずだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p20&lt;br/&gt;”コンテキスト”は、”意味”という、これまた未定義の概念と結びついている。”コンテキスト”なしには言葉も行為もまったく意味を持ち得ない。このことは人間の言語的コミュニケーションに限らず、イソギンチャクにその成長の仕方を、アメーバに次になすべきことを教えるというようなものまでを含むすべてのコミュニケーション、すべての精神過程、すべての精神に共通して言いえることである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;私は今、人間関係のような表面的な（部分的なりとも）意識されたレベルにあるコンテキストと、発生や相同というような、もっとずっと深い、太古的なコンテキストとの間に、類似関係を見出そうとしている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p21&lt;br/&gt;みなさんも学校で、名詞とは”人や場所や物の名前”であると教えられた経験がおありだろう。文の構造を分析していくあの退屈極まりない授業を覚えておられるだろう。あんな教え方は即刻止めるべきだと思う。名詞とは述語とある関係を持つ言葉、動詞とはその主語である名詞とある関係を持つ言葉、という教え方に子供たちがついていけないことはあるまい。定義の基盤に関係を据えればよい、そうすればどんな生徒だって「”行く”は動詞である」という文がどこかおかしいことに気づくはずだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;動植物の形態はメッセージが一つの形をとったものにほかならないこと、言語もそれ自体情報伝達の一形態であること、インプットの構造は何らかの形でアウトプット構造に反映されるということ、生物体の構造はすべてメッセージをつくっていた物質的材料が変換を受けた姿にほかならず、そこで起こっている形づけがコンテキストによるものであるとすれば、生物体構造の中にも文法に相当するものが必ずあるはずだということ、そしてコンテキストによる形づけとは文法の別称にほかならないということ－こういった内容の授業が不可能であったはずはない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1　文法構造はアウトプットの残滓であるなら、インプット構造の残滓はなんなのだろうか？死後の解剖によって得られる生体だろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ25&lt;br/&gt;美的統一感を失ったとき、われわれは認識論上の大きな誤ちを犯してしまった。この考えが私の思索の根本にある。昔の認識論もいろいろと狂ったところがあったが、そのどれと比べても美的統一感の喪失の方が重大な誤りだと私は信じている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;生物学において、存在の大いなる連鎖を逆向きにかえたのはラマルクだった。精神とは、生物の中に内在し、生物の変化を決定しうるものであることを主張した彼は、完全なものが常に不完全なものに先行するというそれまでの”下向き”の前提を捨て、滴虫類（原生動物）から始まり”上向き”に人間にまで至る”生物変移説”（今日言うところの進化論）を提唱した。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ラマルクの生物界は、それでもなお連鎖をなしていた。超越したロゴスから内在する精神へ強調点が移ったとは言え、認識論上の統一は保たれたままだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;『種の起源』（一八五九）は、認識論的には、精神を排除した上で進化を説明しようとする試みだった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ26&lt;br/&gt;サミュエル・バトラーは、説明原理としての精神を葬り去るのは許しがたいとして、進化理論をラマルクまで戻そうと試みた。しかしそれは正しい匡正法ではない。ラマルク理論は（実はダーウィンもこの説に服従することになるのだが）、”獲得形質の遺伝”という仮説に基づいているからである。環境に対する生物の反応が子孫の発生に影響を与え得るとするこの仮説は、明らかな誤りである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;本書で私は、”存在の大いなる連鎖”のヒエラルキー構造に変わるものとして、バートランド・ラッセルが論理階型（logical types）と名づけた思考のヒエラルキー構造を導入する。そして一つの聖なる統一のヴィジョンを提示したいと思う。大切なのは、正しかろうが誤っていようが、私の認識論が明快に論じ尽くされることである。そうすれば、それに対する反論も同様に明解になりえようから。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2　以下、2ページほど本書の目的が書かれ、次章へとうつっていく。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-3966896981419129373?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/3966896981419129373/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/1982.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3966896981419129373'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3966896981419129373'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/1982.html' title='a 『精神と自然』 グレゴリー・ベイトソン/佐藤良明 思索社 1982'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-7545446873873661035</id><published>2011-05-27T07:28:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.761+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='尻尾'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='動き'/><title type='text'>20110526_訓練記録</title><content type='html'>1 尻尾&lt;br/&gt;・尻尾の振り方と感情の連動&lt;br/&gt;・・特定するまでは行かなくとも、感情の理解を絞り込むことができる&lt;br/&gt;-しかし、感情が特定できても、それを変える手立ては別の能力が必要だ&lt;br/&gt;●知ったからとて、上手に教えることはできない&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 動き&lt;br/&gt;・ビデオで見るときの僕の動き、かっこわるい&lt;br/&gt;・・なぜかっこよい動きは、上手に教えることのできる動きなのだろうか？&lt;br/&gt;-犬の動きから、感情を読み取り、その感情に関与する、人の動きを模索する&lt;br/&gt;・動きで犬に関与しようとするとき、僕は感情を問題としなくなる&lt;br/&gt;・・もっとも犬の感情に関与できる動きは結果的にかっこよい&lt;br/&gt;-きっと犬の動きを見ることばかりにこだわるところに大きな問題がある&lt;br/&gt;-即物的、即時的に犬の動きに反応して手や足を動かしてはいけないのだ&lt;br/&gt;●「感情を変える目的で動くのだ」という意識をルールに動くことから始めよう&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-7545446873873661035?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/7545446873873661035/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110526.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7545446873873661035'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7545446873873661035'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110526.html' title='20110526_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-9210262918273631976</id><published>2011-05-26T10:14:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:29.822+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='論理'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='ベイトソン'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='因果'/><title type='text'>まさにこれだ。</title><content type='html'>最近の考えのなかでこんがらがっていたことは、「AならばB」が2つあるということだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;明らかに「AならばB」という言葉には2つのあり方があった。&lt;br/&gt;感覚的にそれを僕は捉え続けていたが、説明をする頭を持ち合わせていなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;以前の日記でも書いたように、2つの「AならばB」を混同しだすと、人はだんだん思考が酩酊しだすのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今日、『精神と自然』（グレゴリー・ベイトソン）の本をぱらぱらとめくって、その的確な説明を見つけた。&lt;br/&gt;ひとまず、僕を捉えていた疑問は、ここだろう。&lt;br/&gt;から、写経して今日は一日を終えることにしよう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最近はやるべきことよりも趣味のCMS探しばかりで何もやっていない。&lt;br/&gt;でも、CMS探しはWordpressとDrupalの二つがおそらく良さそうだという記録を最後に終えておこう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p76&lt;br/&gt;「&lt;br/&gt;その13－論理に因果は語りきれない&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;われわれは論理的連鎖にも、因果関係の連鎖にも、同じ語を用いる。「ユークリッドの諸定義と諸公理を受け入れるならば、三辺の長さがそれぞれ等しい二つの三角形は合同である」という一方で、「温度が０℃になるならば、水は凍り始める」とも言う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;しかし三段論法で使うような論理の「ならば」と、因果関係における「ならば」とは、まったく異質の物である。&lt;br/&gt;コンピュータは、各トランジスターが次々に連動していくという因果関係の上になっている。そしてこの因果の連鎖が、論理の連鎖を装っている。三十年前、われわれはコンピュータにすべての論理プロセスを装うことができるかどうか問うたものだ。答えはイエスだったが、問いの方が誤っていた。むしろ、論理にすべての因果関係の扮装ができるかどうかを問うべきだった。そうすればノーという答えが出たはずである。&lt;br/&gt;原因と結果の連鎖が円環（あるいはそれ以上に複雑なもの）をなすとき、その連鎖を無時間的な論理に移し変えて記述しよう（”地図”を書こう）とすると、矛盾に陥る。純粋な論理では処理できないパラドクスが生じてしまうのだ。生物界の至るところにみられる幾百万ものホメオスタシスの例の一つ一つが、この種のパラドクスを抱えているのである。今、ごく普通のブザー回路を例に、パラドクスの発生のしくみを見ていこう。図３のブザー回路では、接極子がA点の電極につながったときに電流が流れる。ところが電流が流れると電磁石が働いて、接極子を引き離し、A点での接触が切れる。すると電流が回路を流れなくなって、電磁石の働きは止まり、接極子はA点に戻って電極と接し、このサイクルをまたはじめから繰り返すことになる。&lt;br/&gt;このサイクルを因果の連鎖として一つ一つ記述してみれば、次のようになる―&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;A点で接触がなされれば、磁石は働く。&lt;br/&gt;磁石が働けば、A点の接触は切れる。&lt;br/&gt;A点の接触が切れれば、磁石は働かなくなる。&lt;br/&gt;磁石が働かなくなれば、A点で接触がなされる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ここで「ならば」という接続辞が因果的なものであるということがしっかりと了解されているかぎり、まったく問題ない。ところが、この因果的な「ならば」を、論理の世界で使われる「ならば」と取り違えてしまうと、とんでもない混乱を招く結果になるー&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;接触がなされれば、接触は切れる。&lt;br/&gt;Pならば、Pではない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;a rel="attachment wp-att-2796" href="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/?attachment_id=2796"&gt;&lt;img class="alignnone size-full wp-image-2796" title="回路" src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/f65bcb76de5752e3569fcd8232663e7c.jpg" alt="" width="426" height="308" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;因果を表す「・・・ならば・・・である（ない）」には時間が含まれているが、論理の「・・・ならば・・・である（ない）」は無時間的なものである。この事実は、論理が因果関係のモデルとしては不完全なものであることを示している。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;」&lt;br/&gt;（『精神と自然』　グレゴリー・ベイトソン　思索社）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;以上の二つの「ならば」を僕らはうまく整理できないまま一生を終える。&lt;br/&gt;そのような一生を送るようになった背景には、きっと文字を媒体とした因果関係の説明が人間社会に入り込んできたことから生じているのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;無時間的な世界を時間的な世界の説明に利用するということが人間の世界でははじまった。&lt;br/&gt;文字こそが人間と他の生物を分ける境界線であるように思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;言葉ではまだ境界線になりえない。&lt;br/&gt;言葉から文字へと推移していく過程には、絵画の存在が垣間見える。&lt;br/&gt;そういう意味では、音楽は絵画よりも原始的な芸術なのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;地に線を引くというまさにその行為が、人間と他の生物を分けるものであるように思う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「かく（描く、書く）」というのは、そこに永遠を刻み込もうとする営みであり、人の回路に矛盾を引き起こす道具でもある。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-9210262918273631976?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/9210262918273631976/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/blog-post_26.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9210262918273631976'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9210262918273631976'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/blog-post_26.html' title='まさにこれだ。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2359636428855774384</id><published>2011-05-26T07:40:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.378+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='戯言'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練計画'/><title type='text'>20110525_そうだなあ・・・。</title><content type='html'>皆一様に身につけていくべきことは同じなのだろうな。&lt;br/&gt;短期的に考えると、皆同じことができるようになることが求められるのだろうな。&lt;br/&gt;長期的に考えると、そこからその人しか通り抜けることのできないものが出てくるのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;昨日のテストで言われたことはそういうことだったのだろう。&lt;br/&gt;少ない時間で犬の稟性を評価し、少ない時間で訓練計画を立てて、その場で実行していくことはずっと後のことなんだろうなあ。&lt;br/&gt;だからこそ、今は長い時間で犬の評価をし、長い時間で訓練計画を立てて、いくつかの場で実行していくことが必要なんだろうなあ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そういうものを行なうことの大変さから目をそらしてしまえば、間違った犬の評価で、間違った計画を立てて、少ない実行回数で訓練を終えるのだろうな。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;まあ動きはいいとして、せめて学校に行っている間、犬を見ながら訓練計画を頭の中でこねる努力ぐらいはできるだろう。&lt;br/&gt;まあそのぐらいから一歩ずつ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2359636428855774384?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2359636428855774384/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110525.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2359636428855774384'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2359636428855774384'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110525.html' title='20110525_そうだなあ・・・。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1359835701598548642</id><published>2011-05-25T08:00:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.366+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='GoodとNo'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='稟性評価'/><title type='text'>20110524_訓練記録</title><content type='html'>1 コミュニケーション&lt;br/&gt;・遠い目をする犬&lt;br/&gt;・・インプットされた情報を解釈できなくなっている犬&lt;br/&gt;・・（インプットに対するアウトプット）という情報に対する情報が「GOODとNO」&lt;br/&gt;●メタ情報を一定にしていなかったり、提示しなかったりすると犬は混乱しだす&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 3分&lt;br/&gt;・3分間という時間で、初見の犬に何かを 教える場合&lt;br/&gt;・・大半は稟性評価を行なうこと&lt;br/&gt;・・・最低、３つはその犬の特徴をあげていくこと&lt;br/&gt;・・・・矛盾する評価であって良い、だんだん修正していけばよい&lt;br/&gt;●教える前に、知ることが先決&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;table border="1"&gt;&lt;br/&gt;&lt;tr&gt;&lt;br/&gt;&lt;td&gt;&lt;br/&gt;備考：ルビの振り方&lt;p&gt;&lt;br/&gt;・→トピック&lt;br/&gt;（複数の）・→トピックに関連する項目&lt;br/&gt;- →トピックに対するまとめ&lt;br/&gt;●→思いついた言葉&lt;br/&gt;&lt;/td&gt;&lt;br/&gt;&lt;/tr&gt;&lt;br/&gt;&lt;/table&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1359835701598548642?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1359835701598548642/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110524.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1359835701598548642'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1359835701598548642'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110524.html' title='20110524_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-1638291893101654880</id><published>2011-05-20T07:21:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.370+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬の本'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 『アニマルラーニング』 中島定彦 2008 ナカニシヤ出版</title><content type='html'>【20110519】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;目次&lt;br/&gt;第一章 生得的行動とその変容&lt;br/&gt;第二章 古典的条件づけ&lt;br/&gt;第三章 オペラント条件づけ&lt;br/&gt;第四章 問題行動とその治療&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿&lt;br/&gt;&lt;h3&gt;&lt;strong&gt;第三章　オペラント条件づけ&lt;/strong&gt;&lt;/h3&gt;&lt;br/&gt;p24&lt;strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;&lt;strong&gt;獲得&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;アメリカの心理学者スキナーは、空腹のラットにレバーを押して餌を得るという行動を訓練し、このような学習を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;オペラント条件づけ&lt;/span&gt;と名づけて研究しました。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;オペラントとは、「環境を操作する」という意味です。反応が結果を得るための道具（手段）になっていることから、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;道具的条件づけ&lt;span style="color: #000000;"&gt;と呼ぶ学者もいます。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;オペラント条件づけでは、反応になんらかの結果が伴うことで、その後、反応が増えることを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;強化&lt;/span&gt;、逆に反応が減ることを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;罰&lt;/span&gt;といいます。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;強化や罰はオペラント反応に対して直ちに与える（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;即時強化・即時罰&lt;/span&gt;）と効果的です。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;強化や罰は、一貫して与える（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;連続強化・連続罰&lt;/span&gt;）ことが大事です。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;ときどき強化する&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;間歇強化（部分強化）&lt;/span&gt;や、ときどき罰する&lt;/span&gt;間歇罰（部分罰&lt;/span&gt;）&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;は、反応を増やしたり減らしたりするには効果的ではありません。&lt;/span&gt;&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;強化には２種類あり、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;正の強化&lt;/span&gt;とは、反応に対して何か刺激が生じて反応が増える場合（たとえば、お手をして体をなでてもらった犬が、お手を学習した）で、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;負の強化&lt;/span&gt;とは、反応によって刺激がなくなって反応が増える場合（たとえば、唸ることで人が逃げることを経験した犬が、人を見ると唸るようになった）です。&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p25&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;正の罰&lt;/span&gt;は、反応に対して何か刺激が生じて反応が減ること（たとえば、ドアに飛びついてホースで水をかけられた犬が、ドアに飛びつかなくなった）で、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;負の罰&lt;/span&gt;は、反応によって刺激がなくなって反応が減ること（たとえば、家具をかじったため飼い主からかまってもらえなくなった犬が、家具をかじらなくなった）です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p26&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;強化子と罰子 &lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;動物の好きな刺激（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;快刺激&lt;/span&gt;）が反応の後に生じると正の強化になり、嫌いな刺激（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;嫌悪刺激&lt;/span&gt;）が生じると正の罰になります。いっぽう、反応することで快刺激がなくなると負の罰になり、嫌悪刺激がなくなると負の強化になります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;オペラント条件づけで、反応に正の強化を与えるため呈示する刺激を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;正の強化子&lt;/span&gt;といい、負の強化を与えるために除去する刺激を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;負の強化子&lt;/span&gt;といいます。&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;生得的に正や負の強化子として機能する刺激は&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;無条件性強化子（１次強化子）&lt;/span&gt;とよばれます。これに対し、強化の働きを経験によって得た刺激は&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;条件性強化子（２次強化子）&lt;/span&gt;と名づけられます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;条件性強化子のうち、ほかのさまざまな強化子と結びついたものを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;般性強化子&lt;/span&gt;といいますが、その反応強化力は絶大です。犬にとってやさしい飼い主は、餌やおもちゃ、散歩や遊びの機会を与えてくれ、苦痛を取り除いてくれるので、般性強化子になっています。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p27&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;罰についても同様に、反応に正の罰を与えるため呈示する刺激を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;正の罰子&lt;/span&gt;といい、負の罰を与えるために除去する刺激を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;負の罰子&lt;/span&gt;といいます。生得的に正や負のである刺激が無条件性罰子（２次罰子）です。般性罰子はほかのさまざまな罰子と結びついた刺激です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ふつう、快刺激は正の強化子であると同時に負の罰子です。また、嫌悪刺激は正の罰子であると同時に負の強化子です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p28&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;罰の副作用と罰使用の原則 &lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「罰が効かない」という表現は適切ではありません。「効かない」手続きは「罰」ではないのです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;罰には反応低下効果以外にいくつかの副作用があります。第一に、罰は、へらしたい反応だけではなく、あらゆる行動の低下を引き起こすことがあります。つまり、罰を受けることで、動物が無気力になったり、臆病になったりするのです。第二に、罰は動物に恐怖や怒りなどの強い情動反応を引き起こすことがあります。第三に、罰を受けた動物は、罰を与えた人や周囲にいる人、他の動物、ときには物に対して、攻撃することがあります。第四に、動物は罰を受けることを避けようとします。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;罰使用の原則としては、第一に、減らしたい反応だけに罰を与えることです。反応を罰するのであって、動物を罰するのではありません。第二に、罰の強度を十分に考えることです。第三に、情動反応や攻撃反応を減らすために罰手続きを用いることはすすめられません。第四に、罰を与えるときは、動物が逃げられないようにしなければなりません。第五に、いちど減らした反応を復活させないためには、その反応と逆の反応を強化しておくと良いでしょう。問題行動を減らすと同時に適切な行動を増やすのです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p30&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;反応形成 &lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;目的の反応をとらせるために、生得的行動を利用する第一の方法と、古典的条件づけを応用する第二の方法（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;自動反応形成&lt;/span&gt;）は、まとめて&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;誘発法&lt;/span&gt;とよばれることがあります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;第三の方法は、訓練者が動物に直接触れたり、道具を使って動かしたりして、目的の反応をさせる方法です。これは、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;身体的誘導法（物理的誘導法）&lt;/span&gt;または&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;鋳型法&lt;/span&gt;とよばれています。犬の前足をとって、お手を訓練する場合などがこれです。&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;第四の方法は、観察による学習を利用することです。動物にお手本（モデル）を見せて、その行動を模倣させるわけです。&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;モデリング法&lt;/span&gt;と名づけられています。ただし、すべての動物が&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;観察学習&lt;/span&gt;するわけではありません。&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;第五の方法は、逐次接近法（漸次的接近法）です。この方法はどの動物にも非常に効果的で、複雑な反応の形成にも用いることができるので、反応形成の代名詞になっているほどです。目的の反応にだんだんちかづくよう、少しずつ訓練すると効果的なのです（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;スモールステップの原理&lt;/span&gt;）。たとえば、イルカに高くジャンプするよう訓練する場合、はじめはすこしジャンプすれば餌で強化し、次はもう少し高くジャンプしたときにだけ強化し、そしてさらに高くジャンプしないと強化しないというふうにします。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p32&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;消去と強化スケジュール&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;古典的条件づけの場合、強化によっていちど増えた反応が、強化手続き中止（条件刺激に無条件刺激が伴わない）によって元に戻ることを消去といいました。オペラント条件づけでも、強化手続きの中止（もう反応に結果を与えない）で反応が元に戻ることを消去とよびます（罰の手続きを止めると、減っていた反応が元に戻ります）。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;オペラント条件づけの消去のときにも、脱制止や自発的回復がみられます。消去中によけいな刺激を与えると消えかけていた反応が現れたり、消去後に休憩をとると、反応が復活したりするのです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;消去手続きを行なうと反応が減少しますが、強化から消去に手続きを変更した直後は、一時的に反応が増加したり（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;消去バースト&lt;/span&gt;）、訓練していた反応以外のさまざまな反応がみられること（反応変動性の増大）があります。動物の反応を減らしたいなら、しばらくじっと我慢してください。ここで、耐え切れず強化を与えてしまうと部分強化になってしまいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;一度部分強化してしまうと、消去が難しく（消去抵抗が高く）なるという&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;部分強化消去効果&lt;/span&gt;があります。&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;５回擦り寄ると１回頭を撫でるといった、反応回数に応じて強化を与える部分強化手続きを、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;固定比率強化スケジュール&lt;/span&gt;といいます。この手続きでは、強化直後にはほとんど反応が生じず（強化後反応休止）、しばらくして反応を開始したら強化されるまでそれを続けるという行動パターンが見られます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;いっぽう、強化までの反応回数が毎回異なるものを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;変動比率スケジュール&lt;/span&gt;といいます。反応５回で強化される場合もあれば、１０回のときも、３回のときもあるというギャンブル的な手続きです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ34&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;三項随伴性と行動連鎖&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「伏せ！」と命令されたときだけ伏せるようしつけられている犬は、それ以外の命令のときに伏せてもほめられません。この例の「伏せ！」のように反応の手がかりとなる環境状況を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;弁別刺激&lt;/span&gt;といいます。オペラント条件づけは、反応と結果の関係だけでなく、弁別刺激－反応－結果という３つの出来事の関係が重要で、これを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;三項随伴性&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ある反応の結果が次の反応の弁別刺激になっていることがあり、これを行動連鎖といいます。行動連鎖を作り上げる方法としては、系列の初めの反応から順に訓練していく順向連鎖化や、系列のおしまいの反応をまず形成して、ひとつずつ前の反応にさかのぼって訓練していく逆向連鎖化が一般的ですが、形成しやすい反応から訓練する方法や、あらかじめ個々の反応を作っておいて、最後に合成する方法もあります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;p36&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;刺激性制御&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ある弁別刺激のもとで動物が反応し、それ以外のときには反応しない（あるいは別の反応をする）場合、弁別刺激が反応を制御しているという意味で、オペラント条件づけの&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;刺激性制御&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;オペラント条件づけにおいても、刺激般化がみられます。「おすわり」という命令にだけ反応する犬にたいして、「着席」と命じても座らないでしょうが、「おさわり」と命じたら座るでしょう。類似した刺激には反応がみられるのです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;類似した刺激の間の区別を教えることを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;弁別訓練&lt;/span&gt;といいます。動物が刺激を区別して異なる反応をするようになった（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;弁別学習&lt;/span&gt;した）ことを、反応に刺激性制御がついたと表現します。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;古典的条件づけのところで説明した隠蔽と阻止の減少は、オペラント反応の刺激性制御でもみられます。最もはっきりした手がかりがそれ以外の手がかりを隠蔽したり、ある手がかりだけで訓練しておくと、その後ほかの手がかりを新しく加えても、新しい手がかりによる反応制御力の獲得を阻止します。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;弁別訓練を効果的に行うには、正しい刺激－反応の組み合わせごとに別の強化子を与えれば、弁別学習が促進することを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;分化結果効果&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ38&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;生物的制約&lt;/span&gt;&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;古典的条件づけと同じく、オペラント条件づけには、学習に&lt;/span&gt;&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;生物的制約&lt;/span&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;があります。&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;動物は種に特有な生得的防衛反応（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;種特異的防御反応&lt;/span&gt;）をもっています。&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;いちど訓練できた場合でも、その後しだいにうまくいかなくなることもあります。たとえば豚に餌を使ってコインを口でつまんで貯金箱に入れるという芸を仕込んでも、そのうち豚はコインを投げ上げては床に落とすという誤った反応をし続けるようになります。地面を掘って餌を探すという本能的行動が芸のじゃまをするようになったのです（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;本能的逸脱&lt;/span&gt;）。&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬を訓練する際、音の高さに応じて進むかとまるか学習させること（たとえば、高い音は「進め」、低い音は「止まれ」）は簡単ですが、左に進むか右に進むかを学習させるのはそれほど容易ではありません。しかし、音の方向を手がかりにしたときには、左に進むか右に進むかを学習させる（たとえば、音が前からくるときは「左に進め」、後ろからくるときは「右に進め」）のは簡単で、進むか止まるかを学習させるのは難しいとされています。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;オペラント条件づけの３つの要素である、弁別刺激－反応－結果について、訓練の容易な組み合わせと困難な組み合わせがあるということが知られています。訓練がうまくいかない場合には、弁別刺激を変えてみる、反応を変えてみる、結果を変えてみるといった試みが必要になります。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-1638291893101654880?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/1638291893101654880/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/2008.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1638291893101654880'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/1638291893101654880'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/2008.html' title='a 『アニマルラーニング』 中島定彦 2008 ナカニシヤ出版'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5298398412145231660</id><published>2011-05-19T07:47:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.419+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='覚書'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='般化'/><title type='text'>20110518_なんだか・・・。</title><content type='html'>頭を整理しておく。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬が学習することが目的じゃない。&lt;br/&gt;盲導犬として利用できる犬を作ることが目的だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;DEの課目の一つ一つが出来ることは目的ではない。&lt;br/&gt;DEの課目を教えることを手段として、人への意識をつくることが目的だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;DEをするなかで、もっとも大事な点さえ押さえれば良いのではないか？&lt;br/&gt;課目が出来た、出来ないにこだわりすぎて、犬の意識を無視するのは本末転倒だ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ただ、人への意識をつくると言っても、担当者への意識が強くなりすぎることも本末転倒だ。&lt;br/&gt;DEの目的は、あくまでもある特定の人物や、ある特定のDEの課目でなく、人への意識をつくること。&lt;br/&gt;ある特定の人物とDEすることが楽しいだけの犬。&lt;br/&gt;ある特定のDEの課目をすることが楽しいっだけの犬。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;上記の２つの犬も、やっぱり盲導犬として利用できる犬にならないだろうな。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;最終目的は、常に般化。&lt;br/&gt;人が求めるコマンドに対する正しい行動を意欲的にすることのできる犬。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5298398412145231660?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5298398412145231660/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110518.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5298398412145231660'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5298398412145231660'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110518.html' title='20110518_なんだか・・・。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-793495659316408808</id><published>2011-05-19T04:52:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.461+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='薔薇'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='旧古河庭園'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>美しいはずなのに。</title><content type='html'>&lt;div class="pie-gallery alignGalleryLeft"&gt;&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:2aca4f2f-a7fa-4796-aaaa-6b6753ca53ef" class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: none; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh6.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tc_yPbJVofI/AAAAAAAAAbs/4HPkIVAaG-A/s400/04-20110515.JPG" alt="" width="228" height="400" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;旧古河庭園へ薔薇を見に行った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;薔薇のことは良くわからない。&lt;br/&gt;どうしてこんなに愛好家が多いのか。&lt;br/&gt;それほど良い花なのだろうか？&lt;br/&gt;僕にはその素晴らしさがあまり理解できない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;人だかりの中、掻き分けて見るほどのものではなかった。&lt;br/&gt;薔薇の種類の多さと人の多さが気になっただけだった。&lt;br/&gt;地元のグリーンパークという公園で目にしたほどの薔薇園は未だにお目にかかれない。&lt;br/&gt;あれが最初でよかった。今もその素晴らしさが目に焼きついている。&lt;br/&gt;&lt;a href="http://www.kpfmmf.jp/green/"&gt;http://www.kpfmmf.jp/green/&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;薔薇は数百年にわたって栽培されてきているという。&lt;br/&gt;いったい薔薇の原種はどんな花なのだろうか？&lt;br/&gt;進化は自然が与える変化という意識がある。&lt;br/&gt;人が与える変化も薔薇にとっての進化なのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「進化」の定義は今もずっと僕のなかで曖昧なままだ。&lt;br/&gt;人が加える変化も進化であるなら、自然淘汰と適者生存は大前提じゃない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;犬の種では、自分で出産をできない犬種がいたりする。&lt;br/&gt;そんな犬が今日でも生息しつづけている現状を知るたびに、進化論の凄さが良くわからなくなる。&lt;br/&gt;系統上はCanis Familiarisという一種であるにもかかわらず、犬は３００種以上の種類（品種）に分類されるまでに至っている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;（ゴールデン・メダイヨン）&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:7c4b5d5c-41f8-4a74-bcea-d4c75aac4eeb" class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: none; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh3.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tc_yNGkL__I/AAAAAAAAAbc/imf5BoKtquM/s400/15-20110515.JPG" alt="" width="228" height="400" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;（インカ）&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:87dcffb9-5fd2-46f6-b863-0536985f0297" class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: none; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh4.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tc_yMsHGPEI/AAAAAAAAAbY/B56TCll1jow/s400/13-20110515.JPG" alt="" width="228" height="400" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;（パフューム）&lt;br/&gt;&lt;div id="scid:51CF81A4-8F44-4a2c-8837-198C090B9994:8740f861-2b51-4cb8-a501-de5e83cdabb1" class="wlWriterEditableSmartContent" style="margin: 0px; display: inline; float: none; padding: 0px;"&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img style="border: 2px;" src="http://lh5.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tc_yMB_dGCI/AAAAAAAAAbU/yeS5Lwa79b4/s400/14-20110515.JPG" alt="" width="228" height="400" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;何かが間違っている。&lt;br/&gt;薔薇の美しさが引き立たない。&lt;br/&gt;生命力を感じない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;こういう形で薔薇と出会ってはいけないのだ。&lt;br/&gt;思いもよらず遭遇しなければいけないのだ。&lt;br/&gt;美しさはハッとさせられる瞬間にこそ現れてくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;だから美しいものは常に自分のそばに置くことはできない。&lt;br/&gt;誰もがそばに置きたいと思うものほど、遠くはなれていくものだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-793495659316408808?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/793495659316408808/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/blog-post_19.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/793495659316408808'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/793495659316408808'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/blog-post_19.html' title='美しいはずなのに。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh6.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tc_yPbJVofI/AAAAAAAAAbs/4HPkIVAaG-A/s72-c/04-20110515.JPG' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-4979832377227350183</id><published>2011-05-14T04:48:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.410+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='条件'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='動機・関心'/><title type='text'>20110513_訓練記録</title><content type='html'>1　動機・関心&lt;br/&gt;・イヌが無関心になる&lt;br/&gt;・・わからない言葉ばかりを言われ続けた&lt;br/&gt;・・知らない表現を強要された&lt;br/&gt;-動機・関心を無視した訓練&lt;br/&gt;●それを好むかは相手次第&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 リードの条件&lt;br/&gt;・リードの有無で犬の表現が異なる&lt;br/&gt;-リードが条件になっている&lt;br/&gt;・正しい表現を阻害する要因は無駄な条件&lt;br/&gt;●伝えたいことにだけタグをつけること&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-4979832377227350183?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/4979832377227350183/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110513.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4979832377227350183'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4979832377227350183'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110513.html' title='20110513_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' 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src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-9178933902703050795?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/9178933902703050795/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110512.html#comment-form' title='2 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9178933902703050795'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9178933902703050795'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110512.html' title='20110512_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' 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height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2533784761128500740?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2533784761128500740/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110510.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2533784761128500740'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2533784761128500740'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110510.html' title='20110510_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' 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type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/6047171325917025464/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110510_11.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6047171325917025464'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/6047171325917025464'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110510_11.html' title='20110510_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5195992320327122431</id><published>2011-05-04T03:15:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.414+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>uso-鷽-。</title><content type='html'>&lt;img class="pie-img" src="http://lh5.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tc_jQvEfrdI/AAAAAAAAAVc/mfZ4hQ53i1o/03-20110501.JPG?imgmax=400" alt="03-20110501.JPG" width="400" height="228" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;鷽という鳥がいるそうだ。&lt;br/&gt;亀戸天神社でその存在をはじめて知った。&lt;br/&gt;鷽と天神様の関係はこちら。&lt;br/&gt;（&lt;a href="http://www.kameidotenjin.or.jp/events/monthly01.html#0103"&gt;http://www.kameidotenjin.or.jp/events/monthly01.html#0103&lt;/a&gt;）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;スズメ目アトリ科の鳥で、冬は九州北部で過ごしているという。&lt;br/&gt;その姿は130円切手で知ることができる。&lt;br/&gt;僕も故郷で何度も目にしていた鳥だった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;彼の名が「うそ」とは知る由もなかった。&lt;br/&gt;その名は、鳴声が人の口笛に似ていて、口笛を吹くことの転意「嘯く」から由来している。&lt;br/&gt;これからは彼を見るたび「私はうそです」という文言をイメージするだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「私は今嘘をついている」というパラドクス。&lt;br/&gt;有名なパラドクスだ。&lt;br/&gt;これが頭に回り始めると整理ができなくなってくる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「私はいま嘘をついている」という発言は、嘘を言っているのか、真実を述べているのか。嘘だとすると、発言内容がその通りのことを述べているから、真実を述べたことになる。真実だとすると、発言内容通りのことが成立っているはずだから、嘘ということになる。『ラッセルのパラドクス』（ｐ42　三浦俊彦　岩波新書）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;a href="http://lh3.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tb_HrpZVKrI/AAAAAAAAALk/c3S3PD6ezF8/s1600-h/03-20110501%5B3%5D.jpg"&gt;&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;天神様で毎年1月に行なわれている鷽替えの神事。&lt;br/&gt;古い鷽の人形を新しい鷽の人形と変えるのだ。&lt;br/&gt;これまでの悪いことは鷽の人形によって「嘘」に変えられる。&lt;br/&gt;それによって、その年の良いことを得ることができるという考えである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;では、次の年に「嘘」に変える悪いことはどこから生じたのだろうか？&lt;br/&gt;これまでの悪いことは「嘘」に変わっているはずである。&lt;br/&gt;まだ変わっていない悪いことは、本年中に起きた悪いことしか該当しない。&lt;br/&gt;つまり、鷽替えの神事は、自らご利益がないことを認めているのだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;神事が述べているご利益（言葉）自体に嘘は無い。&lt;br/&gt;というよりも、述べられたご利益が嘘か本当かを僕らはそれ自体から知る術を持たない。&lt;br/&gt;そのご利益と出来事との関係づけによってしか、ご利益の嘘と本当を知ることはできない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ご利益が表明する「嘘」と、ご利益を信じることによって生じる嘘は別のものなのだろう。&lt;br/&gt;ご利益を信じている人にとって嘘はどうでもよく、「嘘」だけがどうしても欲しいものなのだろう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;嘘つきのパラドクスがもたらす酩酊は、言葉自体に言及することで起こる。&lt;br/&gt;論理学は確かに無矛盾性を探求することを目標としているが、結果的にそれが酩酊をもたらす。&lt;br/&gt;「今嘘をついている」と言う彼が発した「嘘」と、彼が本当に嘘つきか否かはまた別の問題なのだろう。にもかかわらず、嘘つきのパラドクスを考え出すと、「嘘」と嘘がごっちゃになりだす。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「私は今嘘をついている」という言葉を探求する際、僕は「嘘」と嘘のどちらを探求することが好きなのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh4.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tc_jS5zdYWI/AAAAAAAAAVo/uPZADHJhhVo/06-20110501.JPG?imgmax=400" alt="06-20110501.JPG" width="228" height="400" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;境内では太郎・次郎一門の猿まわしが行なわれていた。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;動物は嘘をつくことができないという。&lt;br/&gt;正しくは、「もしも嘘なら・・・」「もしも本当なら・・・」という考え方ができない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;小猿は、猿まわしから発せられる言葉をすべてその字義通りに受け取っているはずである。&lt;br/&gt;「っさ、そこで転ぶ」という言葉を字義通りに受け取っているはずである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;けれど、小猿は転ばなかった。３度も同じ言葉を受け取っても転ばなかった。&lt;br/&gt;４度目、小猿は突然に砂利に足を取られて竹馬から転んだ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;そこで笑いが起きる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「せっかくの笑いの種（転ぶこと）を（４度目にして）やっとしたね」と猿まわし。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;４度目にしてやっと転んだことへの揶揄が輪をかけて観衆の笑いを誘う。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;僕はこの一連の猿まわしと小猿のやり取りが不思議でならなかった。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;１) ４度目で転ぶことも、猿まわしと小猿とのやりとりも、すべてはシナリオどおり。（「嘘」）&lt;br/&gt;２) 小猿が、「っさ、ここで転ぶ」という言葉（命令）を４度目にしてやっと理解し、実行しただけ。（本当）&lt;br/&gt;３) 「っさ、ここで転ぶ」という言葉（命令）に隠された猿まわしの真意を理解し、小猿は４度目で転ぶことにした。（嘘）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;観衆にとっても、僕にとっても３)であって欲しいという願いがある。&lt;br/&gt;そういう風に理解することで初めて僕らは小猿の愛らしさを汲み取れる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;「もしも猿まわしの「っさ、ここで転ぶ」は真意でないなら、私は転ぶべきでない」という風な考え方が小猿に出来るとでも言うのか？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;img class="pie-img" src="http://lh3.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tc_jQNonbbI/AAAAAAAAAcg/efLzyDamryo/02-20110501.JPG?imgmax=400" alt="02-20110501.JPG" width="400" height="228" /&gt;&lt;img style="margin: 10px 10px 10px 10px;" alt="" /&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;嘘をつきの言葉を信用してはならない。&lt;br/&gt;そんな当たり前の処世術がいぶかしくなってくる。&lt;br/&gt;嘘をつける人間ほど真実を吟味している人間はいないからだ。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5195992320327122431?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5195992320327122431/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/uso.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5195992320327122431'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5195992320327122431'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/uso.html' title='uso-鷽-。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><media:thumbnail xmlns:media='http://search.yahoo.com/mrss/' url='http://lh5.ggpht.com/_seC3tJ2W5QI/Tc_jQvEfrdI/AAAAAAAAAVc/mfZ4hQ53i1o/s72-c/03-20110501.JPG?imgmax=400' height='72' width='72'/><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-7056414461309855223</id><published>2011-05-01T08:49:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.443+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>生けとし、生けるもの。</title><content type='html'>生けとし、生けるもの。&lt;br/&gt;すべて変化する。&lt;br/&gt;変化しないものに生はない。&lt;br/&gt;昨日が去り、明日が来る。&lt;br/&gt;去来する生命。&lt;br/&gt;生化する時間。&lt;br/&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;a href="http://4.bp.blogspot.com/-JSuz11R8F6I/Tb-hMYStsJI/AAAAAAAAAKc/-8FiEQMh8nc/s1600/41-20110424.JPG"&gt;&lt;a rel="attachment wp-att-2716" href="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/?attachment_id=2716"&gt;&lt;img class="alignnone size-large wp-image-2716" title="41-20110424" src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/41-20110424-267x470.jpg" alt="" width="267" height="470" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;射干が咲いている。&lt;br/&gt;梅が落ち、桜は散って、斜干を見る。&lt;br/&gt;この花の名前を教えてくれたＳは元気だろうか。&lt;br/&gt;今も神楽師とともに歩き続けているのだろうか？&lt;br/&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;a href="http://1.bp.blogspot.com/-0sy6IXUWVCE/Tb-hfFtrJPI/AAAAAAAAAKk/ocAYSHwemNw/s1600/45-20110424.JPG"&gt;&lt;a rel="attachment wp-att-2717" href="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/?attachment_id=2717"&gt;&lt;img class="alignnone size-large wp-image-2717" title="48-20110424" src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/48-20110424-267x470.jpg" alt="" width="267" height="470" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;お気に入りの丘にあがった。&lt;br/&gt;二本の桜の幹をすこしだけわけてもらった。&lt;br/&gt;今週中に一本。&lt;br/&gt;二本目はいずれ。&lt;br/&gt;桜の幹はあるものに生まれ変わる。&lt;br/&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;それでも生化は止まらない。&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;生化の時間を遅らせることしかできない。&lt;br/&gt;つくりものもいずれは形を変えてしまうだろう。&lt;br/&gt;&lt;div class="separator" style="clear: both; text-align: left;"&gt;&lt;a href="http://3.bp.blogspot.com/-UpZnjvlNj5o/Tb-h7lm_3cI/AAAAAAAAAK0/E1DuKkcQZPc/s1600/47-20110424.JPG"&gt;&lt;a rel="attachment wp-att-2718" href="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/?attachment_id=2718"&gt;&lt;img class="alignnone size-large wp-image-2718" title="47-20110424" src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/47-20110424-267x470.jpg" alt="" width="267" height="470" /&gt;&lt;/a&gt;&lt;/a&gt;&lt;/div&gt;&lt;br/&gt;造化の桜がひとつ落ちていた。&lt;br/&gt;無数に散った花びらに馴染めずポッツリ落ちていた。&lt;br/&gt;だれがここに落としていったのだろうか。&lt;br/&gt;なんのために落としていったのだろうか 。&lt;br/&gt;思いがけない出会いに造花が愛しくなった。&lt;br/&gt;来た道を引き返し、造花を桜の幹のくぼみに隠して帰った。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;来年、この造花と再会できるだろうか。&lt;br/&gt;幹のなかでその形を変え、見えなくなってしまうだろうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-7056414461309855223?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/7056414461309855223/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/blog-post_01.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7056414461309855223'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7056414461309855223'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/blog-post_01.html' title='生けとし、生けるもの。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-4936855629954322909</id><published>2011-05-01T08:47:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.407+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110429_訓練記録</title><content type='html'>【20110429】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1 管理&lt;br/&gt;・普段の歩きとアイマスク歩行の歩きの違いを感じ取る犬。&lt;br/&gt;・見えているときのサポートがアイマスク歩行ではできない。&lt;br/&gt;●普段から出来るだけ少ない肉体的関与での集中管理をする。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 ＧＯＯＤ&lt;br/&gt;・ＧＯＯＤは条件なのか？強化子なのか？&lt;br/&gt;●もしＧＯＯＤが条件ならば、同時条件か逆行条件でしか呈示できていない。&lt;br/&gt;・ＧＯＯＤが条件の場合のタイミング&lt;br/&gt;●反応（この場合は内面の喜び）が起こる前にＧＯＯＤと言えれば順行条件となる。&lt;br/&gt;-入れ子状態になっている。&lt;br/&gt;-例：&amp;lt;ＣＯＭＥ&amp;gt;&amp;lt;ＧＯＯＤ&amp;gt;犬は来ることに喜びを感じる&amp;lt;/ＧＯＯＤ&amp;gt;&amp;lt;/ＣＯＭＥ&amp;gt;…ＣＯＭＥ（条件）の反応（来る）が終了する前に、ＧＯＯＤ（条件）の反応（喜び）は終了している。&lt;br/&gt;-ＧＯＯＤ（条件）のタイミングは、ＣＯＭＥの反応（来る）が終了する前でなければいけない。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-4936855629954322909?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/4936855629954322909/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110429.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4936855629954322909'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/4936855629954322909'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/05/20110429.html' title='20110429_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5774461650009503723</id><published>2011-04-29T07:38:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.433+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬の本'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 『アニマルラーニング』 中島定彦 2008 ナカニシヤ出版</title><content type='html'>【20110428】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;目次&lt;br/&gt;第一章 生得的行動とその変容&lt;br/&gt;第二章 古典的条件づけ&lt;br/&gt;第三章 オペラント条件づけ&lt;br/&gt;第四章 問題行動とその治療&lt;br/&gt;＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿&lt;br/&gt;&lt;h3&gt;第一章 生得的行動とその変容&lt;/h3&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ2&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;生得的行動と習得的行動&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;動物の行動は、遺伝により決まっている&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;生得的行動&lt;/span&gt;と、経験を通して学習した&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;習得的行動&lt;/span&gt;の2つに分けることができます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ2&lt;br/&gt;生得的行動には、走性・無条件反射・本能的行動が含まれます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ2&lt;br/&gt;&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;走性&lt;/span&gt;とは、無脊椎動物や魚など比較的単純な動物に見られるもので、環境にある刺激に対して体全体を単純に移動させる生得的行動です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ2&lt;br/&gt;刺激に向かう正の走性と刺激から遠ざかる&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;負の走性&lt;/span&gt;があります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ2&lt;br/&gt;哺乳類では走性はほとんどありません。ただし、生後間もない子犬の頭を下にして、傾いた板の上におくと、地面（重力）とは逆方向に体全体の向きを変えようとします。これは、負の走地性と表現されます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ2&lt;br/&gt;刺激が体の一部の単純反応を引き起こすとき、この生得的行動を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;無条件反射&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ3&lt;br/&gt;より複雑な生得的行動は、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;本能的行動&lt;/span&gt;とよばれます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ3&lt;br/&gt;本能的行動を引き起こす刺激を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;解発子（リリーサー）&lt;/span&gt;とよびます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ3&lt;br/&gt;以上の生得的行動をもとにして、習得的行動が生まれます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ4&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;刷り込みと社会化&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;動物が、生後まもなく経験した刺激に対して、その後も追従・接近という愛着行動を示すことを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;刷り込み（刻印づけ）&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ4&lt;br/&gt;刷り込みは、ふつうの学習と異なる次のような特徴を持っています。まず、刷り込みは生後の一定期間にしか生じません。この時期を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;臨界期（敏感期）&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ5&lt;br/&gt;犬や猫では、感覚能力と運動能力がある程度完成すると、他個体と関係を形成する時期が始まります。これを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;社会期（社会行動の敏感期）&lt;/span&gt;といい、犬では生後4週目ごろから12週目頃です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ5&lt;br/&gt;以上のように、発達初期の経験、つまり&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;初期経験&lt;/span&gt;はその後の行動全般に大きな影響を及ぼします。発達初期に接した動物種を後の配偶者として選択することもあり、これを性的刷り込みといいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ7&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;馴化&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;刺激に繰り返しさらされることで、動物がその刺激に慣れて、引き起こされる生得的行動がだんだん少なくなるのです。これを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;馴化&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ7&lt;br/&gt;ある刺激に対する反応が馴化しても、他の刺激はその反応を引き起こします（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;刺激特定性&lt;/span&gt;）。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ7&lt;br/&gt;慣れた刺激と新しい刺激が似ていれば、あまり反応を引き起こしません。馴化が新しい刺激に&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;般化&lt;/span&gt;したのです（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;刺激般化&lt;/span&gt;）。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ7&lt;br/&gt;馴化した刺激であっても、他の刺激と一緒に与えられたときは再び反応を引き起こします（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;脱馴化&lt;/span&gt;）。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ8&lt;br/&gt;強い刺激に慣れると弱い刺激にも反応しなくなりますから、この意味では強い刺激のほうが馴化の効果が大きいといえます。ただし、強すぎる刺激では馴化がまったく生じず、逆に反応が増えていくことがあります。これを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;鋭敏化&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ8&lt;br/&gt;馴化した反応は時間がたつと回復し、再びその刺激が反応を引き起こすようになります（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;自発的回復&lt;/span&gt;）。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ8&lt;br/&gt;同じ回数だけ刺激を与えても、刺激の呈示と呈示の間隔が長くなると、馴化の進行は遅くなります。したがって、動物を速く刺激に慣らすためには、その刺激を立て続けに何度も与える必要があります。しかし、刺激が短い間隔で与えられたときに生じる馴化は、その後に自発的回復を示しやすいという欠点を持っています。&lt;br/&gt;&lt;h3&gt;第二章 古典的条件づけ&lt;/h3&gt;&lt;br/&gt;ｐ10&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;獲得&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;空腹の犬に餌を与えると唾液の分泌がみられます。これは生得的行動で、餌を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;無条件刺激&lt;/span&gt;、唾液分泌を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;無条件反応&lt;/span&gt;とした無条件反射です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ10&lt;br/&gt;ベルト餌の対呈示（時間を近づけて与えること）によって、ベルが唾液分泌を引き起こす力を得たのです。このときベルのことを条件刺激、それが引き起こす唾液分泌を条件反応といいます。じそして、条件刺激が条件反応を引き起こすことを条件反射とよびます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ10&lt;br/&gt;条件づけで、動物が新しい刺激に反応するようになることは、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;古典的条件づけ&lt;/span&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;または&lt;/span&gt;&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;レスポンデント&lt;/span&gt;（「応答的」という意味です）&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;条件づけ&lt;/span&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;と&lt;/span&gt;名づけられています（&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;パブロフ型条件づけ&lt;/span&gt;&lt;span style="color: #000000;"&gt;といわれることもあります）&lt;/span&gt;。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ10&lt;br/&gt;古典的条件づけでは、条件刺激（もともと中性的な刺激）と無条件刺激（動物にとって重要な刺激）の対呈示のことを強化とよびます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ10&lt;br/&gt;条件刺激と無条件刺激を毎回必ず対呈示する&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;連続強化&lt;/span&gt;手続きは、ときどき無条件刺激を与えないような&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;部分強化&lt;/span&gt;（または間欠強化）手続きよりも有効です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ11&lt;br/&gt;古典的条件づけは、無条件反射以外の生得的行動を元に形成することもできます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ11&lt;br/&gt;いちど形成した古典的条件づけを元に、さらに次の学習をさせることもできます。ベルに対して唾液を分泌するようになった犬に、ランプの光を見せてからベルを鳴らすという手続きを実施すると、ランプの光にも唾液分泌の条件反応がみられるようになります。これを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;2次条件づけ&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ11&lt;br/&gt;2次以上の条件づけはまとめて&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;高次条件づけ&lt;/span&gt;といわれます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ11&lt;br/&gt;高次条件づけは、習得的行動をもとに別の習得的行動を作り上げる古典的条件づけです。これに対して、生得的行動をもとに習得的行動をつくる普通の古典的条件づけを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;1次条件づけ&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ12&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;時間的関係&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;条件反応を確実に形成するためには、条件刺激と無条件刺激の時間関係が重要です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ12&lt;br/&gt;条件刺激のあとに無条件刺激を呈示することを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;順行条件づけ&lt;/span&gt;、条件刺激と無条件刺激を同時に呈示することを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;同時条件づけ&lt;/span&gt;、無条件刺激のあとに条件刺激を呈示することを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;逆行条件づけ&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ12&lt;br/&gt;形成される条件反応は、順行条件づけが最も大きく、次に同時条件づけであり、逆行条件づけ手続きでは、条件反応の形成は困難です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ12&lt;br/&gt;順行条件づけは、されに延滞条件づけと痕跡条件づけに分類されます。延滞条件づけでは、条件刺激がまだ呈示されているとき（または条件刺激の呈示が終わった瞬間）に無条件刺激が呈示されますが、痕跡条件づけでは条件刺激の呈示が終わってしばらくして無条件刺激が呈示されます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ13&lt;br/&gt;条件刺激の呈示開始後、どのくらい経過して無条件刺激を出すと効果的に条件反応を形成できるかは、条件刺激や無条件刺激の種類、条件反応の種類、動物種などによって異なります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ13&lt;br/&gt;条件刺激と無条件刺激の対呈示を1回行なうことを、1試行といいますが、ある試行から次の試行までの時間間隔も条件づけでは重要です。同じ試行回数であれば、試行間隔は長いほうが、条件づけが大きくなります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ14&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;刺激性制御&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;古典的条件づけでは、訓練後に条件刺激以外の刺激にも条件反応がみられることを、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;刺激般化&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ14&lt;br/&gt;動物が2つの刺激に対して同じように反応していても、かならずしもこの2つを区別えきないわけではありません。&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;分化条件づけ&lt;/span&gt;という古典的条件づけのテクニックを使えば、刺激を区別するようになる場合があります。たとえば、ベルの音のときには餌を与え、ブザーの音のときには餌を与えないという手続きを行なうと、ベルの音が鳴ったときだけ唾液を流し、ブザーの音のときには唾液を分泌しなくなります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ15&lt;br/&gt;複数の要素からなる刺激の場合、最も目立つ刺激要素が条件反応を引き起こすとき、その刺激要素が他の刺激要素を&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;隠蔽&lt;/span&gt;しているといいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ15&lt;br/&gt;ある日以降、ベルの音だけでなく身振りもいっしょに加えて、餌の合図をしようとしても、身振りは条件刺激にはなりません。ベルの音だけで十分に餌がもらえることがわかるからです。身振りが条件刺激になることをベルが&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;阻止&lt;/span&gt;したのです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ15&lt;br/&gt;般化・分化条件づけ・隠蔽・阻止といった現象に示されているように、何が条件刺激として条件反応を引き起こすかということは、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;刺激性制御（刺激による反応の制御）&lt;/span&gt;の問題といわれます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ16&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;消去と制止条件づけ&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;条件づけの後、無条件刺激を取り去り、条件刺激だけを呈示することによって条件反応が弱まっていくことを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;消去&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ16&lt;br/&gt;部分強化で訓練していたときには、その誤の反応消去が遅くなる傾向があります（部分強化消去効果）。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ16&lt;br/&gt;消去訓練のあとしばらく動物を休憩させ、それから再び条件刺激を与えると、また反応するようになります。つまり、消去していた条件反応が自発的回復を示します。また、消去訓練後、条件刺激を他の刺激と一緒に与えると、消えていた条件反応が再び見られます。これは&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;脱制止&lt;/span&gt;と名づけられています。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ16&lt;br/&gt;消去の手続きでは条件づけの学習を本当の意味で消し去ってしまうことはできないのです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ16&lt;br/&gt;パブロフは、次のような理論を提唱しました。まず条件づけの獲得段階では、「条件刺激に無条件刺激が伴う」という学習が行なわれます（これを興奮条件づけといいます）。消去段階では、ここの興奮条件づけは保たれたままで、「条件刺激には無条件刺激が伴わない」という新たな学習（これを制止条件づけといいます）をします。消去手続きを続けると制止条件づけがしだいに強くなり、興奮条件づけを抑え込むようになるので、条件反応がみられなくなります。しかし、この制止条件づけは崩れやすく、休憩による時間経過や別の刺激の呈示によって弱まり、抑え込んでいた興奮条件が表面化します。これが自発的回復と脱制止です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ18&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;条件反応の形&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;条件反応は無条件反応によく似ているのがふつうですが、一般に条件反応のほうが無条件反応よりも弱いとされています。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ19&lt;br/&gt;ときとして、条件反応は無条件刺激が直接引き起こす反応（無条件反応）とはまったく逆の場合があります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ19&lt;br/&gt;動物の体には&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;ホメオスタシス（恒常性の維持）&lt;/span&gt;というしくみがあり、体の内部状態がある方向に変化すると、それとは逆の方向に体が働いて（これを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;補償反応&lt;/span&gt;といいます）、元の内部状態に戻そうとします。この場合、無条件反応は、反応Ａ（無条件刺激が直接引き起こす反応）と反応Ｂ（反応Ａｔｏｈａ逆の補償反応）という2種類からなっています。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ19&lt;br/&gt;やってくる無条件刺激に対する用意として、無条件刺激が直接引き起こす反応と同じものがふさわしい場合もあれば、その逆の補償反応がいい場合もあります。どちらか適切な反応が条件づけられるのです。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ20&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;生物的制約&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;古典的条件づけの生じやすさは、条件刺激と無条件刺激の組み合わせによって異なります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ20&lt;br/&gt;条件刺激と無条件刺激には相性があるのです。これを&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;選択的連合&lt;/span&gt;といいます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ20&lt;br/&gt;動物が特定の学習をしやすいかどうかは、ある程度遺伝によって決まっています。遺伝的に&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;準備&lt;/span&gt;されているものは学習しやすく、そうでないものは学習困難です。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ20&lt;br/&gt;条件づけによって生じる行動は習得的行動ですが、条件づけの仕組みそのものは生得的だといってよいでしょう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ20&lt;br/&gt;選択的連合とは&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;生物的制約&lt;/span&gt;内での学習を意味します。したがって、効果的に条件づけを行なうためにはその動物の生態や家畜化の歴史・品種特性を知る必要があります。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ22&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;補足説明&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;条件刺激はconditioned stimulusの訳語で、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;ＣＳ&lt;/span&gt;と略されます。条件反応はconditioned responseの訳語で、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;ＣＲ&lt;/span&gt;と略されます。無条件刺激はunconditioned stimulusの訳語で、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;ＵＳ&lt;/span&gt;または&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;UCS&lt;/span&gt;と略されます。無条件反応はunconditioned responseの訳語で、&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;UR&lt;/span&gt;または&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;UCR&lt;/span&gt;と略されます。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-5774461650009503723?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/5774461650009503723/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/2008.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5774461650009503723'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/5774461650009503723'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/2008.html' title='a 『アニマルラーニング』 中島定彦 2008 ナカニシヤ出版'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-985764636655680976</id><published>2011-04-28T07:16:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.476+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110427_訓練記録</title><content type='html'>【20110427】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1 持ってこい（持来）の目的&lt;br/&gt;・なぜ持来をするのか？目的は？&lt;br/&gt;・持来も手段。&lt;br/&gt;-おもちゃを咥えてもってくる行動で何を教えるのか？&lt;br/&gt;・行動させることが目的となってはならない。&lt;br/&gt;●コミュニケーションのために持来を課目に選ぶにすぎない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;2 条件づけ&lt;br/&gt;・「ＧＯＯＤ」の価値をあげる&lt;br/&gt;-犬は持来をしたくてやる（解発因子）&lt;br/&gt;-犬はなでられたくて持来をやる（条件づけ：なでる）&lt;br/&gt;-犬は「ＧＯＯＤ」と言われたくてやる。（条件づけ：「ＧＯＯＤ」）&lt;br/&gt;●行動のためのＧＯＯＤから、ＧＯＯＤのための行動&lt;br/&gt;●持来が犬にとって、目的から（ＧＯＯＤのための）手段へと変化する過程&lt;br/&gt;●ＧＯＯＤが犬にとって目的になるために、何段階の条件づけを必要とするかを考える&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-985764636655680976?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/985764636655680976/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/20110427.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/985764636655680976'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/985764636655680976'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/20110427.html' title='20110427_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-438660559534767659</id><published>2011-04-26T11:31:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.398+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='訓練記録'/><title type='text'>20110425_訓練記録</title><content type='html'>【20110425】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1.ポジションの理解&lt;br/&gt;・ポジション変更の目的は使うためでも、教えるためでもない。&lt;br/&gt;・・前ポジションは犬の右がふさがる。&lt;br/&gt;・・後ポジションは犬の左右が自由になる。&lt;br/&gt;-ポジションを変えることに上記の事実があるだけ。&lt;br/&gt;・コーナーで前ポジションになることを無目的にしていないか？&lt;br/&gt;-コーナーでどのポジションになるかは自由。&lt;br/&gt;・ポジションの変更を手段として、どんな目的を達成するかはその人の自由。&lt;br/&gt;・何のための手段としてポジション変更をしているか自覚することが大事。&lt;br/&gt;●無目的な手段は、用不要を検討していない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;【20110426】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;1 Mさんの話を聞いて&lt;br/&gt;・ポジション変更の目的は、犬の右を塞ぐためと犬の左右を自由にするため&lt;br/&gt;・その目的を他の方法ですることも可能。&lt;br/&gt;・逆にポジション変更の手段を、別の目的に利用することも可能。&lt;br/&gt;●目的のある行動だけをするためにはどの手段をとるのがベストかを考える。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-438660559534767659?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/438660559534767659/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/20110425.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/438660559534767659'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/438660559534767659'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/20110425.html' title='20110425_訓練記録'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2848539313612592384</id><published>2011-04-25T08:18:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.389+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='メモ'/><title type='text'>20110424_映画</title><content type='html'>&lt;a href="http://www.inunekoningen.com/blog/?p=562"&gt;http://www.inunekoningen.com/blog/?p=562&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;神奈川県川崎市上映会&lt;br/&gt;動物愛護法改正シンポジウム 第一部上映会&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;開催日：2011年5月7日（土）&lt;br/&gt;上映開始時間：10:30～&lt;br/&gt;会場：&lt;a href="http://www.plazasol.jp/"&gt;ラゾーナ川崎プラザソル&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;会場住所：神奈川県川崎市幸区堀川町72-1 ラゾーナ川崎プラザ5F&lt;br/&gt;主催団体：動物との共生を考える連絡会&lt;br/&gt;問合：&lt;a href="mailto:mori@clubalp.net"&gt;mori@clubalp.net&lt;/a&gt;&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;上映会詳細のチラシはこちらからダウンロード出来ます。まずはこちらをご覧ください。&lt;br/&gt;→http://www.clubalp.co.jp/20110507.pdf&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;行こうか。&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2848539313612592384?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2848539313612592384/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/20110424.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2848539313612592384'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2848539313612592384'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/20110424.html' title='20110424_映画'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-8028029141255736686</id><published>2011-04-24T01:35:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.465+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬ノート'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='文献'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='犬の本'/><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='a'/><title type='text'>a 『愛犬を賢く育てる【魔法のクリッカー】』 渡辺格/石和田陽一 ＰＨＰ新書
043</title><content type='html'>【20110423-自宅にての書写】&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;目次&lt;br/&gt;第1部 犬を飼う前に&lt;br/&gt;(何がなんでも犬なのか　狼と犬　犬種の問題　子犬の選定 ほか)&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;第2部 犬を飼い始める&lt;br/&gt;(いよいよご到着　クリッカーによるしつけの初歩　クリッカートレーニングによる子犬のしつけ方　役に立つ犬へ)&lt;br/&gt;＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ115&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;クリッカーの利点&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;①動物は、褒美が与えられる行動をより頻繁に繰り返すようになる。&lt;br/&gt;②つまり、その行動を起こした瞬間に褒美が与えられることが重要であり、タイミングがずれると効果はまったくない。&lt;br/&gt;③クリッカー音は、まさしく、こちらのさせたい行動を起こした瞬間に鳴らすことができる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ116&lt;br/&gt;クリッカートレーニングの原理は、クリッカーを用いなくても良いのです。呼び子ででもよし、舌をならす、「グッド」「イエス」「ブラボー」、なんでも良いでしょう。ただせいぜい2つ程度の合図にしておきます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ118&lt;br/&gt;クリッカーを鳴らすと同時に、犬にとってよいことが必ず起きなければなりません。よいことは必ずしも餌ではなく、遊び、愛無などでもよいのですが、それを用いるには、クリック以外の時には遊ばない、あるいは撫でることを控えるようにしなければなりません。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ118&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;最初の条件づけ&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;クリック！そして餌を手でやる、または投げてやる・・・簡単でしょう？&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ120&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;リードを引く犬&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;▲大体の飼い主のやり方・・・「いけない」もしくは「つけ」と言ってリードを引く。でも、お友達が来て犬が尻尾をふってその方向に行けば、「まあいいや」と放置する。&lt;br/&gt;△犬の学習・・・「リードを引けば好きなところへ行ける」と考え、ますます頻繁にリードを引く。&lt;br/&gt;▲本書のやり方・・・「いかなる場合でもリードを引きそうになったら、飼い主はそのままジーっとして、犬がリードをゆるめはじめて褒美をやり、散歩を続ける」方法である。ただし、これを例外なく行なわなければならない。&lt;br/&gt;△犬の学習・・・「リードをゆるめれば、褒美がもらえ、しかも、好きな散歩ができる」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ120&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;サークルから出たくて吠える犬&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;▲大体の飼い主のやり方・・・うるさいので褒美をやるとその瞬間だけ犬は静まるが、また吠える。あるいは、「ダメダメ」「ハイハイ」などと叱っているつもりで注意する。&lt;br/&gt;△犬の学習・・・「吠えれば何かもらえる」あるいは「声を掛けてもらえる」。&lt;br/&gt;▲本書のやり方・・・「吠えている間は完全無視し、犬が静まったら餌をやり、場合によっては外に出してやる」&lt;br/&gt;△犬の学習・・・「吠えれば構ってもらえない。静かにすると褒美がもらえて外に出ることができる。こんなよいことはない。」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ123&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;トレーニングでの注意点&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;①あなたの機嫌のよい時にする。&lt;br/&gt;②五分以上はやめましょう。&lt;br/&gt;③すべての練習は、最初は家の中でいろいろな場所でやり、ある程度できるようになったら、庭先、門の近くの静かなところなど、それから、段々気の散る場所 を選んで犬を慣らします。慣れないところでするはじめての練習は、易しい段階からやり直しのつもりでやってください。&lt;br/&gt;④犬が、クリッカーの活用で、きちんと指示に従うようになったら、餌をやる回数を二回に一回、四回に一回などと徐々に減じ、やさしい言葉をかける、撫でる、あるいはすこし遊んでやるなど、犬の望んでいる餌以外の軽度の褒美に代えてしまいます。そして最後はクリッカーも用いず、「よしよし」と満足感を伝える程度にするのです。そして、新しいことを教える時はまたクリッカーと餌の組み合わせで始めます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ149&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;名前を呼んで犬にこちらを見させる/ターゲット・トレーニングを教える&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;▲ 名前を呼んだら犬にこちらを見させる・・・名前に注目させる&lt;br/&gt;・「ポチ」と名前を呼ぶ→犬がこちらを向き目が合う→ＣＴ（クリッカーと褒美）・・・これを繰り返す。&lt;br/&gt;・「ポチ」→目が合う→目が合ったまま一、二秒したらＣＴ。このようにして、目が合ってからＣＴまでの時間を十秒までに徐々に延長する。&lt;br/&gt;▲ターゲットトレーニング・・・飼い主の手で犬を誘導できるようにする&lt;br/&gt;・拳のなかに餌を入れて見せびらかすと、犬は臭いをかぎ、 手に鼻をタッチする。その瞬間にクリックし、別の場所にある餌を与える（拳の餌を与えると、臭いがしないのと拳にタッチしなくなる）&lt;br/&gt;・次回より拳に餌をいれないが犬は必ず鼻に寄せるはずである。その瞬間ＣＴ。&lt;br/&gt;・数回繰り返し、犬が自発的にタッチするようにする。こちらの手を近づけてはならない。最後は拳でなく、手を開いたままで行なう。&lt;br/&gt;・飼い主が移動し、手にタッチしてきたらＣＴ。&lt;br/&gt;・「タッチ」と言い、手をずらし、犬が手に触ったらＣＴ。&lt;br/&gt;・家の中でいろいろな場所で行なう。&lt;br/&gt;・家の中で家族全員が行い、外に出るようになったら、気の散る環境で初歩の段階から練習。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ151&lt;strong&gt;&lt;br/&gt;犬と遊んでやろう&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;遊びの主体性を常にあなたが握って、犬の催促で遊ぶようなことをしてはなりません。そして、犬の興奮が高まってきたなら、遊びが中断することを教えてやりましょう。これにより、犬には 大事な自制心がついてきます。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ１・・・ひっぱりっこ&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・犬が大人しくしている時、もしくは、犬を呼んで、犬が指示に従った時だけに行なう。&lt;br/&gt;・タオルなどを楽しそうに犬の目の前でヒラヒラさせて「持って」と言う。&lt;br/&gt;・犬が噛みつき、ひっぱりっこをして三十秒ほどしたら、首輪を握り、タオルをゆるめてひっぱりっこをやめてしまう。&lt;br/&gt;・犬はしばらく、口にくわえたタオルを振っているかもしれないが、楽しくないので放す。その瞬間にＷＴ（声かけと褒美）。&lt;br/&gt;・またタオルを振ってやるが、犬が飼い主に飛びつくなど迷惑な行動をしたら、遊びをやめて無視する。&lt;br/&gt;・犬が首輪を持つと放すようになったら、首輪を持つ直前に「放せ」と言い、話せばＷＴ。そして遊び再開。&lt;br/&gt;・この練習を繰り返し、「放せ」で放すことを覚えさせる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;・興奮が高じて、飛びつく、以上に吠えるなどしたら、遊びは中断して数分犬を無視する。&lt;br/&gt;犬が静かにしない限り遊びを始めてはならない。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;・興奮度合いが毎回異常で噛みつきが激しい犬に対しては行なわない。&lt;br/&gt;・タオルなどは飼い主が管理し、犬が自由にとれるようにはしない。&lt;br/&gt;・もし、犬が遊びに誘っても無視し、犬が静かにしている時に呼び、こちらからタオルなどを出して誘ってやる。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;△犬の学習・・・「騒いだり、噛んだりすると遊んでもらえないんだ。また、『出せ』と言われたら放すと、褒美がもらえるんだ」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ステップ2・・・ボール遊び&lt;br/&gt;・ 廊下の隅など、犬をすぐ捕まえられる場所を選ぶ。&lt;br/&gt;・ボールを投げ、くわえた犬の口元に手をだし、ボールが手に触れたらＣＴ。&lt;br/&gt;・これを数回繰り返したなら、「放せ」の言葉を掛けながら手を出し、放したらＣＴ。&lt;br/&gt;◎注意&lt;br/&gt;・第一回から、失敗しないような状況で行なう。ボールをくわえて逃げ込まれぬような状況を設定する。&lt;br/&gt;・飼い主がボールを常に管理する。&lt;br/&gt;・万一、犬がボールをくわえて別のところに行ったら、完全に無視するか、別のボールを出して楽しそうに遊んで犬に見せびらかす。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ178&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;来い&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;◎原則&lt;br/&gt;・罰は絶対に用いぬこと。&lt;br/&gt;・入浴、爪切りなど、犬が嫌うことをする時は、絶対「来い」を用いず、犬に何気なく近寄り、首輪をおさえてしまう。&lt;br/&gt;・「来い」の練習は最初は室内など、気の散らぬ場所で、最後は、ロングリードをつけて誘惑の多い環境で十分に練習することが肝要である。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ1 ・・・ターゲットトレーニングを十分にしておくことがまず前提&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・二人以上の家族が参加し、一人が床、手を叩いて楽しそうに「来い」と呼ぶ。&lt;br/&gt;・犬は必ず来るはずで、もし来ないなら、ターゲットトレーニングの訓練が十分でない証拠である。&lt;br/&gt;・犬が手元に来たらＣＴ。&lt;br/&gt;・これを家族が交互に繰り返す。&lt;br/&gt;・以上の練習を時間を変え、一日何回も行なう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ2&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・拳をかざすと、犬はその近くに来る（ターゲットトレーニングを十分行なっていればそうなる）。そこでクリックだけ。&lt;br/&gt;・すぐ餌を数メートル先に投げる。&lt;br/&gt;・犬が餌を拾って食べてこちらを向いたら「来い」と手元に呼び寄せる。&lt;br/&gt;・この練習を繰り返す。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ3&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・Ａがボール遊びを楽しそうにしている時に、Ｂが犬を呼ぶ。&lt;br/&gt;・犬がＡに近寄ったら、Ａは遊びをやめて、しらん顔で無視する（犬の行為は報われない）。&lt;br/&gt;・Ｂの手元に来たら、ＣＴ。ついでに、Ａにボールで遊んでもらう。&lt;br/&gt;・Ａがボールの代わりに餌を手に握って犬に見せている時、Ｂが犬を呼ぶ。&lt;br/&gt;・犬がＡに近寄っても無視され、餌は与えられない。&lt;br/&gt;・Ｂの手元に来たらＣＴ、そしてＡからも餌。&lt;br/&gt;△犬の学習・・・「『来い』の言うことを聞かないと遊んでもらえないし、言うとおりにするとよいことずくめだ！」&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ４ ・・・数人の飼い主が協力して行なう。&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・最初、犬同士を囲いのある場所で遊ばせる。&lt;br/&gt;・飼い主が犬を呼ぶ。&lt;br/&gt;・呼んだ犬がまだほかの犬と遊んでいるなら、ほかの飼い主は呼んでいない自分の犬を足元に引き寄せ、遊びを中断する。&lt;br/&gt;・犬が指示に従い、足元に戻ったらＣＴ。そして、すぐ、また遊ばせてやる。&lt;br/&gt;△犬の学習・・・「飼い主のところに戻ると、褒美がもらえ、また遊べるんだ」（二重の褒美）&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ183&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;座れ&lt;br/&gt;ステップ1&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・この練習は犬が「座れ」の意味を覚えるまでの数回にとどめ、ステップ2に移行する。回数を重ねると、手に餌をもっていないことがわかると、犬は指示に従わなくなる恐れがある。&lt;br/&gt;・「座れ」と言いながら餌を片手に持って下から上に上げ、頭から十センチ程度のところで固定する。&lt;br/&gt;・犬が座ったらクリックして、そのまま餌をやる。&lt;br/&gt;・犬が騒いだら、何も言わず、そのままにしていると犬は必ず座る。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ2&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;・何も持たず、「座れ」と言いながら手を下から上にあげて（ハンドシグナル）、先ほどのように頭上十センチのところで手を固定する。&lt;br/&gt;・犬はしばらく騒いでも、必ず座る。&lt;br/&gt;・座った瞬間にＣＴ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ3&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;&lt;span style="color: #ff0000;"&gt;私達の方法では特に「待て」という指示は出さない。「座れ」「伏せ」と言ったら、「おしまい」の解除指示がない限り、その姿勢でいるように練習する。&lt;/span&gt;&lt;br/&gt;・ 座った犬に三秒おきにＣＴ。これを十四、十五回繰り返せば、結果として犬は一分近く座ったままで待つことになる。最後は「おしまい」で犬を自由に。犬は「おしまい」を聞くと、「ナンダ、もう座れは終わっちゃったのか」と残念な気持ちになる。&lt;br/&gt;・次、ＣＴ間隔を五、六秒おきから更に延長する。&lt;br/&gt;・数ヶ月もすれば、三十秒程度に1回のＣＴで十分となるはず。&lt;br/&gt;・もし、途中で犬が動いたら、すかさず「座れ」を指示し、座って数秒経ってからＣＴ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ4&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・ステップ3で三十秒に一回のＣＴで座ったままでいられるようになったら、一歩飼い主が下がり、座ったままなら、近寄ってＣＴ。&lt;br/&gt;・二、三歩下がり、犬が動かなければ、距離を徐々に延ばし、最大十メートル程度下がれるようにする。&lt;br/&gt;◎注意&lt;br/&gt;距離を伸ばすごとに、最初のうちは待たせる時間を短くする。&lt;br/&gt;最後は、ロングリードを利用し、ほかの人、犬のいる場所で「ステップ1」に戻り、最後は飼い主が隠れるなどして練習する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ187&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;伏せ&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ1&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・「座れ」で犬を座らせる。&lt;br/&gt;・握り拳に餌を入れ、「伏せ」と言いながら、手を床のほうに下げる。&lt;br/&gt;・犬が伏せたら、クリックして、握り拳の中の餌を食べさせる。&lt;br/&gt;・犬が一応指示に従うようになったら何ももたない手を上から床に下げ、伏せたらＣＴ。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ2&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;大体の犬はステップ1の方法で伏せるようになるが、うまく行かない場合は次の方法を用いる。&lt;br/&gt;・犬を座らせ、五十センチほど離れたところに飼い主が座る。&lt;br/&gt;・肩膝を立てて床にトンネルを作り、犬と反対の方角に餌をもった手を置き、犬を手のほうに誘う。&lt;br/&gt;・犬がトンネルに鼻を入れて餌をとろうとしたら、餌の位置をずらすと、犬は食べるために伏せの姿勢をするようになる。この瞬間にクリックして、手の餌を食べさせる。&lt;br/&gt;・この方法で伏せるようになったら、ステップ1を実行する。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ3&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;伏せの姿勢にある犬を待たせるのは「座れ」とまったく同じやり方を用いるが、餌を与える時は前足の間に置いてやること。いろいろな環境で練習することが必要。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ189&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;散歩のさせ方&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;◎原則&lt;br/&gt;①犬が自由に歩きまわり、臭いを嗅いだり、景色を見たりできること・・・犬の運動とストレス発散&lt;br/&gt;②しかし、犬はリードを絶対引いてはならない・・・飼い主の安全&lt;br/&gt;③指示があった時、犬は飼い主の左足元にピッタリつく、いわゆる「脚側行進」の姿勢になる・・・犬の安全と、他人に対するマナー&lt;br/&gt;この練習に入る前にターゲットトレーニングが完全にできるよう練習してください。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;自由散歩（リードを引かない範囲で犬は自由に散歩する・・・散歩の基本形）&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ1&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;・屋内で練習&lt;br/&gt;・リードをつけ、首輪から二十～三十センチのところを手でしっかり握り、腰の位置で固定。&lt;br/&gt;・犬が引いても無言のまま絶対リードを延ばさない。引くのをやめてこちらを向いたらＣＴ。&lt;br/&gt;・リードの長さを考え、犬が届かない距離に餌を投げる。犬がとろうとして引いてもそのままにすると、犬は必ずこちらを見る。そこでクリックし、別の餌を出してやる。&lt;br/&gt;・数回この練習を行なって、餌を投げてもこちらの目を見るようになってはじめて「どうぞ」と指さして床の餌を拾わせる。ただし、この時は飼い主がリードをゆるめてしまって、犬にリードを引く状態を作らせてはならない。&lt;br/&gt;・餌を犬の好みの玩具、ボールなどに代え、犬がそれらに気をとられず、こちらを見たらＣＴ。ついで前記と同様「持って」で犬に拾わせる。&lt;br/&gt;◎注意&lt;br/&gt;室内で行なう練習でも、「散歩に出かける時、戸口で待たせる」「横断歩道の前で停止させる」「獣医師のところで引いたらどうする」「散歩の途中、リードを張ったら飼い主は動いてはならないのだ」などを、飼い主が頭に描きながら練習することが重要。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ2&lt;/strong&gt;&lt;br/&gt;・ステップ1と同様の訓練を、リード１．５メートル程度に長く持って行なう。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;ステップ3&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・リードの端をベルトにしっかり固定する。&lt;br/&gt;・犬がリードをゆるめてこちらの目を見たら「レッツゴー」と声を掛け、三歩歩いて停止する。犬がリードをゆるめて目を見たらＣＴ、そして「レッツゴー」でまた三歩前進・・・。&lt;br/&gt;・更に、リードをゆるめている範囲で五歩、十歩、二十歩と歩ける距離を延ばして練習する（屋内で向きを変えて歩行する必要があろう）。&lt;br/&gt;・この練習の最中に、犬の好む玩具、餌などを途中に置いて、犬がその方向に引くようなら、飼い主は立ち止まり、犬がリードをゆるめ、こちらを見るまで動かない。こちらを見たら、左手で脇に誘導し、犬が従ったらＣＴ。この場合もリードがすこしでも張っている時、飼い主は犬を無視し、動いてはならない。また、飼い主が反対方向に離れ、犬がリードをゆるめたままでついてきたらＣＴしてやってもよい。ほかの家人の協力を得て犬を誘惑してもらうことも効果的である。&lt;br/&gt;・ここまでの練習が屋内でできたら、庭、家の前、など、犬が知っていて静かな環境から、だんだん犬の知らない、あるいは誘惑の多い環境で行なう。&lt;br/&gt;◎注意&lt;br/&gt;この練習は、犬がリードを引かず、静かにこちらの指示を仰ぐことを教えている。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&lt;strong&gt;脚側行進 （人混みなどで犬を左足にそって歩かせる）&lt;br/&gt;ステップ1&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;・ 胸のところでリードをしっかり持つか、ベルトに固定する。&lt;br/&gt;・犬がリードをゆるめ、こちらの目を見るまで待つ。&lt;br/&gt;・「ツケ」と言いながら、左手で左脇に犬を誘導する。犬が所定の位置についたらＣＴ。&lt;br/&gt;・一歩歩き、犬が前に出たら左手で再度誘導し、脇についたらＣＴ。&lt;br/&gt;・「ツケ」といいながら、左脇に犬を誘導するとともに更に三歩歩き、犬がついていたらＣＴ。犬が離れたら飼い主は止まり、犬がこちらを見たら左脇に再度犬を誘導し、歩きはじめる。そして犬が所定位置について数歩歩けたらＣＴをし、「レッツゴー」で長めに持ったリードがゆるんでいる範囲で犬に自由を与える。&lt;br/&gt;・ついて歩く範囲を延ばす、方向転換、Ｕターンを適宜折り込む。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ｐ198&lt;strong&gt;&lt;br/&gt;散歩の原則&lt;br/&gt;&lt;/strong&gt;競技会などで要求される厳密な脚側行進で得意気に犬を歩かせている人がいますが、これは飼い主の自己満足に過ぎません。犬はウロウロして、臭いを嗅ぎ、あちこち行ってこそ運動になり、ストレスを発散できることを忘れてはなりません。ですから、自由散歩が原則であり、状況に応じてリードの長さを調節し、止むを得ない場合のみ「ツケ」を命じてください。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;&amp;nbsp;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-8028029141255736686?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/8028029141255736686/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/043.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8028029141255736686'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/8028029141255736686'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/043.html' title='a 『愛犬を賢く育てる【魔法のクリッカー】』 渡辺格/石和田陽一 ＰＨＰ新書&#xA;043'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' 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/&gt;反復という作用によって人は当然の論理を忘れ始める。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;Ａ「風邪を治す」ならばＢ「薬を飲む」が繰り返し成立した時。&lt;br /&gt;「風邪を治す　ならば　薬を飲む」という因果関係は確実性を得る。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ＡとＢは渾然一体となる。&lt;br /&gt;「Ａ＝Ｂ　ならば　Ｂ＝Ａ」という可逆的な因果関係が成立する。&lt;br /&gt;それを因果関係というのかどうか、僕には分からない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「薬を飲むことは、風邪を治すことでもある」という硬い意識。&lt;br /&gt;こうした意識は思い込みとも呼ばれる。&lt;br /&gt;思い込みは、結果からつねに一定の原因だけを取り出そうとする意識だ。&lt;br /&gt;普通の人とは違って、イコールの印が因果関係に付されている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あくまでも因果関係に可逆性を認めてはならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;思い込みの激しい人は、手段の目的化が常習化しているとも言える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;目的が原因であり、手段は結果である。それが計画というものだ。&lt;br /&gt;計画は実行され、手段は評価される。それが検証というものだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人は手段（結果）がどの程度目的（原因）と合致しているかを評価するのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;繰り返し合致するような手段ほど良い評価を与える。&lt;br /&gt;良い手段として考えられるようになった手段は一人歩きしはじめる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;手段の目的化である。 &lt;br /&gt;その手段をとれば、必ず目的となるという思い込み。 &lt;br /&gt;計画は立てられず、ただ手段だけが繰り返される。 &lt;br /&gt;すでに手段を生じさせた目的は忘れられている。 &lt;br /&gt;目的が達成されたのか、されなかったのかという評価は行なわれない。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;手段を反復することに人は快感を覚えるからだ。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「薬を飲む」ことが目的化した人には、「風邪を治す」ことはどうでも良くなっているのだ。 &lt;br /&gt;案外、「薬を飲む」ために「風邪を引く」ことに勤しんでいたりする。 &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;因果の天邪鬼。 &lt;br /&gt;手段を目的化する。 &lt;br /&gt;目的は誰にも見えない。 &lt;br /&gt;自分さえも忘れている。 &lt;br /&gt;一人でも信じてくれる人が傍にいたら。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;カテゴリ：日記,因果関係,手段の目的化,病原と症状,目的と手段&lt;br /&gt;作成日時：Fri, 22 Apr 2011 16:03:18 +0000&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-9204247752100944039?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/9204247752100944039/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post_23.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9204247752100944039'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/9204247752100944039'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post_23.html' title='因果の天邪鬼。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2734665617888704478</id><published>2011-04-17T20:01:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.385+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>ジャガイモのアンテナ。</title><content type='html'>&lt;div class="largePhoto"&gt;&lt;img src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/blog_import_4dc2ca499d710.jpg" class="photoThumbnail" alt="フォト" border="0" /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;なぜ文化なのか？&lt;br /&gt;現象を語るときの切り口はさまざまである。&lt;br /&gt;もっとも客観性を保てるといわれている自然科学。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;もっとも論理的に語ろうとすると出てくる論理学。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、どこから切ってもあふれ出てくる文化という名の曖昧さ。&lt;br /&gt;いざ、文化を切り口に現象を語ろうとすると鉈の切り口のようで納得がいかなくなる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;結局、客観性や厳密さを求める行為に舞い戻る人。&lt;br /&gt;あるいは、すべてを複雑怪奇に仕立て上げるほかないと意気込む人。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;僕はいったいどういう切り口で現象を語ることを好む人間なのだろうか？&lt;br /&gt;未だに自分の切り口を把握できないのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="largePhoto"&gt;&lt;img src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/blog_import_4dc4e37a0bfa2.jpg" class="photoThumbnail" id="photo_1086344691" alt="フォト" border="0" /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;この人は僕の先輩で、とある会社で薬の臨床の統計解析を仕事としてる。&lt;br /&gt;彼は一ヶ月前、集められた落ち葉の絨毯の下にジャガイモの種芋を植えた。&lt;br /&gt;植えたというよりも、絨毯の下に隠した。&lt;br /&gt;種芋は土に植わっておらず、堆積した落ち葉の下層に置かれていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;芽が出て茎が伸び、大きな葉をつかせている。&lt;br /&gt;ジャガイモの成長に子供のような目を輝かせていた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;水耕栽培というものは土を必要としない。&lt;br /&gt;現代的な栽培方法であり、僕らもその恩恵にあずかっている。&lt;br /&gt;二人で「土は必要でないのだろうか？」と首をかしげた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「土作りが一番大事」という絶対的なテーゼもこんなところで脆くも崩れている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;適当に落ち葉に置くだけでジャガイモが仮に育つとしたら、最先端の栽培方法だろう。&lt;br /&gt;らくよう栽培とでも名づけるのが良いだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;育ったジャガイモは一つの現象である。&lt;br /&gt;その中身は、らくよう栽培のすべてを物語っているだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;文化という絶対的なテーゼを無視できるなら、僕はどんな物語を得ることができるのだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その出来上がりは果たして美味なのだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="largePhoto"&gt;&lt;img src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/blog_import_4dc4e37aae316.jpg" class="photoThumbnail" id="photo_1086344718" alt="フォト" border="0" /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;帰りに立ち寄った明治神宮の桜。&lt;br /&gt;この桜の後ろに控えるのはドコモタワーである。&lt;br /&gt;電波で人と人をつなげている。&lt;br /&gt;中枢で文化と言う名の複雑怪奇を桜吹雪のように撒き散らしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;カテゴリ：日記,土,文化,未来の農業&lt;br /&gt;作成日時：Sat, 16 Apr 2011 08:18:19 +0000&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2734665617888704478?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2734665617888704478/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post_17.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2734665617888704478'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2734665617888704478'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post_17.html' title='ジャガイモのアンテナ。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-3222161928396410728</id><published>2011-04-17T19:25:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.394+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>健礼門と桜。</title><content type='html'>&lt;div class="largePhoto"&gt;&lt;img src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/blog_import_4dc4e37c14b94.jpg" class="photoThumbnail" id="photo_1086305509" alt="フォト" border="0" /&gt;&lt;/div&gt;京都御所の左近の桜。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt; &lt;br /&gt;&lt;br /&gt;目を楽しませてくれた桜が葉桜に変わり始めた。&lt;br /&gt;名残惜しさとともに一年後の出会いを思い浮かべている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;祗園精舎の鐘の声&lt;br /&gt;諸行無常の響きあり&lt;br /&gt;娑羅双樹の花の色&lt;br /&gt;盛者必衰の理をあらはす&lt;br /&gt;おごれる人も久しからず&lt;br /&gt;唯春の夜の夢のごとし&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;有名な平家物語の冒頭は唯一そらで言える一節だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;平家物語は平家の栄枯盛衰を描いたものである。&lt;br /&gt;もともとは琵琶法師の語りの題材であったものが後世に伝わっている。&lt;br /&gt;作者は不明であり、物語に登場するのは実在の人物である。&lt;br /&gt;平家物語は読んだことは無い。&lt;br /&gt;司馬遼太郎の『義経』や手塚治虫の『火の鳥』等で知っている程度であった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;冒頭は多くの人が知っているが、巻末の項を知る人は少ないだろう。&lt;br /&gt;今回のK氏の講話で始めて聞き知った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;さる程に寂光院の鐘の声&lt;br /&gt;今日も暮れぬとうち知られ&lt;br /&gt;夕陽西に傾けば&lt;br /&gt;お名残惜しうはおぼしけれども&lt;br /&gt;御涙をおさへて還御ならせ給ひけり&lt;br /&gt;女院は今更いにしへをおぼしめし出でさせ給ひて&lt;br /&gt;忍びあへぬ御涙に袖しがらみせきあへさせ給はず&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;女院とは健礼門院徳子のことである。&lt;br /&gt;健礼門院という名の女性をいつの頃から知るようになったのだろうか？&lt;br /&gt;その名は、まだ見知らぬ女性に思い馳せるときめきのような思いを抱かせる不思議な名だった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;建礼門院徳子は源平の合戦の犠牲となった幼帝安徳天皇の母親である。&lt;br /&gt;彼女は壇ノ浦での自死を助けられ、余生を京都大原の寂光院で過ごしたという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;講話を聞く４日前、偶然にも僕は京都御所の健礼門をはじめて見ている。&lt;br /&gt;健礼門という名に浮かれて反芻していた矢先の出会いである。&lt;br /&gt;いつも出会いはどこかしら不思議を漂わせるものなのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="largePhoto"&gt;&lt;img src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/blog_import_4dc4e37cdce80.jpg" class="photoThumbnail" id="photo_1086305531" alt="フォト" border="0" /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;写真は西行がいくども歌にした吉野のヤマザクラである。&lt;br /&gt;見ごろが週末に重なり、尾根は黒山のひどだかり。&lt;br /&gt;西行が今の現状を知るときっと心を痛めるのであろう。&lt;br /&gt;彼の詠んだ吉野の桜はすでに現代には無いように思った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;人の問題だけではなく、桜自体の見栄えも良くないように思った。&lt;br /&gt;実際に吉野のヤマザクラは以前の美しさとは随分とことなっているようだ。&lt;br /&gt;（&lt;a href="http://sakura.hibiyakadan.com/page.jsp?id=4443688" target="_blank"&gt;http://&lt;wbr/&gt;sakura.&lt;wbr/&gt;hibiyak&lt;wbr/&gt;adan.co&lt;wbr/&gt;m/page.&lt;wbr/&gt;jsp?id=&lt;wbr/&gt;4443688&lt;/a&gt;）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="largePhoto"&gt;&lt;img src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/blog_import_4dc4e37e35e60.jpg" class="photoThumbnail" id="photo_1086305559" alt="フォト" border="0" /&gt;&lt;/div&gt;奈良公園の鹿と桜。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;予想外に吉野で満たされなかった気持ちをなんとか補ってくれた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="largePhoto"&gt;&lt;img src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/blog_import_4dc4e37f06f26.jpg" class="photoThumbnail" id="photo_1086305588" alt="フォト" border="0" /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="largePhoto"&gt;&lt;img src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/blog_import_4dc4e37fad50a.jpg" class="photoThumbnail" id="photo_1086305601" alt="フォト" border="0" /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;夜桜は京都府立植物園のものである。&lt;br /&gt;今年もっとも印象に残った。&lt;br /&gt;北山門から入って歩いていくと目に飛び込んできた桜に驚いた。&lt;br /&gt;幹だけが夜の闇に隠れ、群立している桜が一本の巨大な桜に見えるのだ。&lt;br /&gt;ぜひ北山門から入ったら良いと思う。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;div class="largePhoto"&gt;&lt;img src="http://www24.atpages.jp/~chamon/WordPress/wp-content/uploads/blog_import_4dc4e38059d5d.jpg" class="photoThumbnail" id="photo_1086305638" alt="フォト" border="0" /&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;最後はおわらないアトリエと桜。&lt;br /&gt;題名どおり、この展覧会はまだ終わっていなかった。&lt;br /&gt;桜が完全に散り、アトリエは次の巡回地である東京にやってくる。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;（RSS52mixiによりwordpressの記事を自動転記）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;カテゴリ：日記,京都府立植物園,健礼門院徳子,吉野のヤマザクラ,平家物語&lt;br /&gt;作成日時：Fri, 15 Apr 2011 12:20:50 +0000&lt;br /&gt;&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-3222161928396410728?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/3222161928396410728/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post_3835.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3222161928396410728'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/3222161928396410728'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post_3835.html' title='健礼門と桜。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-2048807903075482969</id><published>2011-04-15T15:03:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.373+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>風邪の源と財源。</title><content type='html'>今日は毎月楽しみにしている人の講話を聞いた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;印刷業界最大手の副社長をしていた人だ。&lt;br /&gt;地元が同じなので親近感も沸いている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;毎回、自分なりの考えをまとめて話をしてくれる。&lt;br /&gt;今回の震災の復興資金をどうするのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この点について彼はこう語った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「マーケットむけ（銀行や個人）に国債を発行して調達するには規模が大きすぎて回りきらない。国債を外部、つまりこれまで国内だけで消化していた国債を、外国にも持ってもらう方法もあるが、それはこれまでの国債の利率までも上げてしまう。利率が上がれば、返済による損失を免れ得ない。この際、奥の手として、特別国債を発行し、発行された国債をすべて日銀が受け入れる方が良いだろう。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;以前の講話で彼から教えて頂いていた国債の仕組みによれば、発行された国債は銀行（マーケット）が引き受け、それが販売されることで日本国内の全土の国民によって引き受けられるのだそうである。日本の国債の信用度は高く、その要因の一つには国債が国民だけに引き受けられているからなのだという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、今回の復興資金を調達する方法として国債を発行するにしても、復興に必要な資金は20?30兆円だと言われている。そんな規模の国債を全ての国民によって支えることはできない。ちかぢか1000兆円を超えようとしている国債発行残高である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;では、奥の手はどうなのだろうか？彼は、通常の国債を発行したり、増税したりするよりも、日本銀行（中央銀行）が引き受ける特別の国債を発行するほかないのだと言っていた。しかし、以前の講話で彼が言ったことは、「その方法は禁じ手なのだ」ということだったではないか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;日本では中央銀行が国債を直接購入することは、財政法5条で原則禁止されている。しかし、「特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内では、この限りでない」という但し書きが条文に織り込まれているのだが、今がそのときだということだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この禁じ手を解禁することで生じるリスクは何かというと、急激なインフレである。ドイツの第一次世界大戦後の急激なインフレ現象がその代表的な過去の事例であるそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;増税にしろ、国債の発行にしろ、日本は本当に岐路に立たされていることを、新聞もテレビもない僕さえもヒシヒシと感じている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ところで、今回の震災後、「誠に残念ですが、日本は貧しい国になるでしょう」と米国家経済会議（ＮＥＣ）前委員長のローレンス・サマーズ米ハーバード大学教授が２３日、ニューヨーク市内の講演で断言したという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;仮に原発問題がなければ、ここまで断言されるようなことはなかったのかもしれない。&lt;br /&gt;本当に残念だが、数年後、それが真実であると思われる現象がいくつも起きているような気がする。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;だからと言って、明日はやってきて、その日その日にやれることは震災前と後でもまったく変わらない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;風邪の源が、もしや放射能ではないかと考えたからと言って、現状は放射能被害を免れる訳ではない。&lt;br /&gt;（こういう考えは、こういう情報をもとによってもたらされる[&lt;a href="http://www.e22.com/atom/page08.htm" target="_blank"&gt;http://&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;www.e22&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;.com/at&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;om/page&lt;wbr&gt;&lt;/wbr&gt;08.htm&lt;/a&gt;]）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;だんだん僕は分からなくなるのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;一体、人間の思考というのはなんに役に立つのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;行動をコントロールしたり、よき行動を選択する為に思考があるのではないのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;よりよき選択を自身に及ぼそうと考え続けたところで、結果を支配しているのは結局のところ抗いようの無い運命といったものではないか・・・。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自身の行動は事前に定まっているという意味ではなく、行動というものはどんなに必然性を希求したところで無意味なのだという悲しい運命論だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;つまりは、人間は思考によってより良く生きていけるわけではないということだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「どんなに考えても、最後に至る道を誰も知ることはできない。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;それだけが真実であると言うのなら、なぜ僕らは思考することをやめないのだろうか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;思考を停止することが、思考が最も希求している必然的で論理的結論ではないか・・・。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;なんだか、禅の思想めいてきたのでこの辺でおわりにしよう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;カテゴリ：日記&lt;br /&gt;作成日時：Thu, 14 Apr 2011 11:59:40 +0000&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-2048807903075482969?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/2048807903075482969/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2048807903075482969'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/2048807903075482969'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post.html' title='風邪の源と財源。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-7375336728051274076</id><published>2011-04-14T15:46:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.449+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>適当。</title><content type='html'>適当に日記を書こう。&lt;br /&gt;そもそもここは日記と銘打っているが、エッセイになっている。&lt;br /&gt;プライベートに数行日記は毎日つけている。&lt;br /&gt;その日記はほんとうに思いついた言葉の羅列だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;最近忙しくて、疲れて、ゆっくりと頭を使って書くようなことができない・・・。&lt;br /&gt;もっと時間が欲しいけれど、優先順位は今行なっていることのほうだ。&lt;br /&gt;八方美人の性格を自覚し、何が先かをよくわきまえねば。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;まずは、上原春男の『夢をかなえる心の法則ーある科学者の伝記ー』について適当に書いていこう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;怪しいおじいさんなのか？&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その疑いは晴れた。&lt;br /&gt;対馬の出身なのだという。&lt;br /&gt;自慢話っぽい伝記だったが、努力するもののあり方を学ぶことができた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;上原おじいさんのような努力は雲をも掴むような気がする。&lt;br /&gt;僕は学問を徹底的にやるための環境も失った。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自身の努力の足りなさ、素直でない性格の結果が今であると再自覚した。&lt;br /&gt;歩いていた道を途中で投げ出す気楽さに流された結果が今なのだ。&lt;br /&gt;楽な道が見つかるだろうという考えのもとの行動が、楽な道を与えてくれるわけでない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;けっしてどの道も容易な道は無い。&lt;br /&gt;今歩いている道とて楽じゃない。&lt;br /&gt;それを理解することが僕のスタートだった。&lt;br /&gt;そのスタートは切ったばかりなのだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;上原おじいさんを世界的に有名にしているのは「海洋温度差発電」というものだ。&lt;br /&gt;深層海水と表層海水の温度差を利用した発電なのだという。&lt;br /&gt;温度差は、原子力や火力などの今日の主要な発電方法とは雲泥の差である。&lt;br /&gt;あまりに低い温度差なのである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「火力発電所では、その差が約570度あり、効率は４０％くらいである。しかし、海洋温度差発電では、表層海水温度が２０?３０度、深層海水温度が４?６度で、その差は高々１６?２２度であり、効率は２?３％でしかない。」（『夢を叶える』）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんなんじゃあ、エネルギーをつくるために回す自身のタービンさえ回せない。&lt;br /&gt;海洋温度差発電は出力が少ないどころか、電源の電源にすらならないと思われ続けている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;上原おじいさんはそんな発電方法を1970年代からライフワークとしてきた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;誰もが着手しない発電方法を研究し続けている彼には哲学がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その詳しい哲学は、大川隆法の本かと思えるような『成長の原理』という題名の本に収められている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;読んだ本に簡単に紹介されていた原理の箇条書きを載せておく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;第一原理：「創造・忍耐の原理」&lt;br /&gt;第二原理：「成長限界の原理」&lt;br /&gt;第三原理：「並列進行の原理」&lt;br /&gt;第四原理：「条件適応の原理」&lt;br /&gt;第五原理：「分離・再結合の原理」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;すべての原理が合わさって彼のライフワークは海洋温度差発電となった。&lt;br /&gt;一つの原理とライフワークの関係性について書かれたところだけを掻い摘んで紹介しておく。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;第二原理：「成長の原理」・・・いかなる科学技術にも必ず成長の限界がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今日、頼っている科学技術の衰退を見越して他の科学技術の研究に着手した。&lt;br /&gt;これが、彼のライフワークを海洋温度差発電とした一つの背景である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;こんなことは研究に従事するものにとっては当たり前の原理だ。&lt;br /&gt;ただ、そのほかの原理も合わさって彼のライフワークは海洋温度差発電となったようである。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼の第二の原理に従えば、石油の限界点は1980年代ごろ、原子力の限界点は2050年ごろとなっている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;今は火力と原子力が主流である。&lt;br /&gt;火力は衰退期の真っ只中である。&lt;br /&gt;そして、2015年ごろに臨界点に達すると彼は予測している。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;原子力の限界点は2050年という予測であったはずだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、「今回の原発事故でその衰退速度は急激に早まるか、一気に消滅するだろう。」と素人の僕でも思うような状況になってしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;早急に代替のエネルギー発電を日本は確立しなければならない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;40年前に上原おじいさんが抱いた思いを今、全国民が切実に感じ取っている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いまだ！&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかし、それは決して海洋温度差発電ではないだろう。&lt;br /&gt;いわゆるエコ発電と呼ばれる、太陽・地熱・風力、水力？だろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;この期に及んでも、海洋温度差発電は日の目をみそうにないのだが・・・。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;海洋温度差発電もエコ発電の一つに含まれている。&lt;br /&gt;しかし、何度も言うようにその実用化を誰もが疑っている。&lt;br /&gt;（余談だが、福沢桃助と上原春男がリンクし始めた。&lt;br /&gt;ちなみに、桃助は愉吉の弟子である。）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「利用できる温度差の条件（外的条件）が異なるときは、それに適した作動流体（内的条件）に変える必要がある」（『夢を叶える』）&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;発電の仕組みはまったく僕にはわからない。&lt;br /&gt;書けることは、この内的条件の変更を可能にする発明を上原おじいさんがしたということだけだ。&lt;br /&gt;それはウエハラサイクルとよばれる発明のようだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;何度も何度も「チタン製の復水装置を福島に持っていけばすぐに解決することなのですが・・・」とニコニコ動画の会見でボソボソと言っていたが、その復水装置というのはウエハラサイクルのことを指していたのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ちなみに火力も原子力も作動流体は「水」であるそうだ。&lt;br /&gt;「水」「水」「海水」と報道されるたび、なんだかショボサに唖然とするが、一応理に叶っているのだろう。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;しかしだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;若い頃、なぜ発電の作動流体のほとんどが水となっているかを上原おじいさんも疑問に思った。&lt;br /&gt;それを火力・原子力の専門家の権威に聞いたところ、「安いからだ」という回答だったという。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「安さ」で選ばれていたのだと聞くと今度はまったく理に叶ってないように思える。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いったい発電ってなんなんだ・・・。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;ちなみに、ウエハラサイクルによって循環する作動流体はアンモニアなのだそうだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;？・・・「まずは」って最初に書きながら、上原春男だけでこんなにも長文になってしまった。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;カテゴリ：日記,エネルギー,海洋温度差発電,福沢桃助&lt;br /&gt;作成日時：Wed, 13 Apr 2011 12:34:37 +0000&lt;div class="blogger-post-footer"&gt;&lt;img width='1' height='1' src='https://blogger.googleusercontent.com/tracker/6267518403984482989-7375336728051274076?l=chamolog.blogspot.com' alt='' /&gt;&lt;/div&gt;</content><link rel='replies' type='application/atom+xml' href='http://chamolog.blogspot.com/feeds/7375336728051274076/comments/default' title='コメントの投稿'/><link rel='replies' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post_14.html#comment-form' title='0 件のコメント'/><link rel='edit' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7375336728051274076'/><link rel='self' type='application/atom+xml' href='http://www.blogger.com/feeds/6267518403984482989/posts/default/7375336728051274076'/><link rel='alternate' type='text/html' href='http://chamolog.blogspot.com/2011/04/blog-post_14.html' title='適当。'/><author><name>chamon</name><email>noreply@blogger.com</email><gd:image rel='http://schemas.google.com/g/2005#thumbnail' width='28' height='32' src='http://2.bp.blogspot.com/-aOtugetHY_U/Ty4BurJXPkI/AAAAAAAAB1w/4EKfBk0PAIc/s220/profile3.png'/></author><thr:total>0</thr:total></entry><entry><id>tag:blogger.com,1999:blog-6267518403984482989.post-5680860235749135940</id><published>2011-04-07T16:25:00.000+09:00</published><updated>2012-02-05T13:16:36.426+09:00</updated><category scheme='http://www.blogger.com/atom/ns#' term='日記'/><title type='text'>上原春男。</title><content type='html'>ニコニコ動画で生放送された上原春男という学者の会見。&lt;br /&gt;気の優しいおじいちゃんか、酔っ払いなのか。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;いや、エネルギー工学の世界的権威である。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;あ、また地震。&lt;br /&gt;21:59。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「日本人として本当に残念です。」&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;桜を見ていると、こんなにも美しい。&lt;br /&gt;それなのに頭の片隅には黒い影がある。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;彼は、今回の原発事故の人災をはっきりと認めていた。&lt;br /&gt;人為的なものによる事故だと考えると残念で仕方ない。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;「ただちに」という流行語のように使われた言葉。&lt;br /&gt;善意に解釈しても「末代になると影響が出てくる」ということだ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;自分の子や孫を想像するとき、すくすくと育ってくれることを何よりも願う。&lt;br /&gt;それが、今のまだ子作りの準備もできない段階で「難しいですね」と言われているようで悲しい。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;上原おじいさんの言葉を信じていいのなら、今回の炉心溶解は人為的なものだ。&lt;br /&gt;初動操作で炉心溶解を防ぐことができた。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;本当に残念だ。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;僕ら日本人は末代までの影響を今も海水に、地球に与え続けようとしている。&lt;br /&gt;間違った舵取りの結果、全地球の乗組員の幸せを台無しにしようとしている。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;本当に残念なのに、なんなんだこの全国民総無力感。&lt;br /&gt;何かを与えることができる専門家さえもいないし、いても潰されるのだという驚き。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;たぶん頭のつくりが僕らと違う上原春男は自信を持って与えようとしている。&lt;br /&gt;しかし彼の与えられるものがどうなのか、だれも検討できない無力感。&lt;br /&gt;もっとひどいのは与えられようとすることすら無視されてしまう人為的な問題。&lt;br /&gt;&lt;br /&gt;その信憑性は疑われ、リスクが計算され、い
